
佐久間 康之 (さくま やすゆき)さんの自己紹介
1982年、三条市生まれです。東京の大学を卒業後、警備会社に勤めました。2011年、家業である「佐久間食品」を継ぐために、地元へUターン。2016年、農産物直売所「ただいまーと」の開業とともに新規事業として「ジェラテリアココ」を立ち上げ、店舗を構えました。休日は、妻と娘と一緒においしいものを食べに出掛けるのが何よりの楽しみです。
PROLOGUE

「マンゴーフロマージュブラン」──スプーンを入れた瞬間、まず驚くのは、そのなめらかさ。口に運ぶと、濃厚なマンゴーの甘みがふわりと広がり、とろけるように舌の上でほどけていきます。
まるで完熟したマンゴーそのものを食べているかのような、みずみずしく、南国の陽射しを閉じ込めたような甘美な味わい。そして、後を追うように爽やかな酸味がスーッと全体を包み込み、軽やかな後味を残します。
「こ、これが、世界一のおいしさか……!!」
思わず声が漏れたこちらの一品。なんと、2025年にイタリアで開かれた国際ジェラート大会「コッパ・ディ・オーロ」でグランプリに輝いたジェラートなのです。


今回、ごっつぉライターがおじゃましたのは、三条市のJAえちご中越農産物直売所「ただいまーと」内にある「ジェラテリアココ」。
ショーケースには、旬の果物や地元食材を使った色とりどりのジェラートがずらり。夏本番を迎えるこの時季、連日、多くのお客さんでにぎわっています。
そして、この店で世界一のジェラートを生み出したのが、オーナーであり、ジェラートマエストロの佐久間康之さんです。

実は佐久間さん、もともと料理人でもパティシエでもありません。全くの異業種からどうやって世界一のジェラートを生み出したのでしょうか。
お話を伺うと、その15年は、ジェラートのように甘い道のりではなく、笑顔だけでは語れない苦悩と挑戦の日々でした。
INTERVIEW
豆腐店のアトツギが選んだ、新たな道

ジェラテリアココでは、常時16種類のジェラートを販売しています。
世界一に輝いた「マンゴーフロマージュブラン」はもちろん、新潟県産の牛乳を使った「なんかんミルク」や「越後姫」など、ショーケースには地元食材や旬の果物などを使った色とりどりのジェラートが並びます。
店内外にはイートインスペースがあり、夏季を除いてランチ営業も実施。直売所の買い物客や地元の人たちの憩いの場としても親しまれています。
今では県内外から多くの人が訪れる人気店ですが、その始まりは意外なものでした。

佐久間さんの実家は、1954年創業の豆腐店「佐久間食品」。4人兄妹の次男として生まれ育ちました。大学卒業後は東京の警備会社に5年間勤務し、2011年、家業を継ぐため故郷・三条市へ戻ります。
店に入った佐久間さんは、豆腐づくりを学ぶ一方で、「もっと会社を良くしたい」「新しい販路を広げたい」という思いを抱いていました。売り上げや利益を分析し、新たな可能性を模索していました。
そんな時に耳にしたのが、JAえちご中越が新たに農産物直売所「ただいまーと」を整備するという話。佐久間さんは、ここに豆腐や油揚げを販売する直売店を出店できないかと考えたのです。

「担当者に相談すると、『ジェラートとランチを楽しめるお店を計画しているんです』と言われたんです。『じゃあ、それをうちにやらせてください』って、その場でお願いしました。それまでの人生ではジェラートの『ジェ』の字も知らなかったんですが(笑)」と佐久間さん。
思わず私も「そこからのスタートですか!?」と聞き返してしまいました。 経験も知識もないまま飛び込んだジェラートの世界。もちろん、すべてが順調に進んだわけではありません。店作りを始めた佐久間さんを待っていたのは、想像以上に厳しい現実でした。
どん底が教えてくれたこと
専門書を読んだり、県外のお店へ足を運び質問をしたりと、一から学ぶ日々。ジェラート作りは少しずつ形になっていきましたが、店の経営は思うようにはいきません。オープン当初、佐久間さんは豆腐店の仕事をメインにしながら、ジェラート店の運営をほとんどスタッフに任せていました。
「商品がおいしければ、お客様は来てくださる。当時は、そんな思いがどこかにありました」と佐久間さん。しかし、現実は甘くありませんでした。

スタッフに運営を任せきりだったため、自ら店の課題を把握できず、売り上げも伸び悩んでしまったのです。
「当時のスタッフさんは、レシピ通りにジェラートを作ることはできても、接客まではできていませんでした。『呼び鈴を押してもなかなか出てこない』『お店で寝ていた』という話まで人づてに聞こえてきて……。でも、自分には豆腐屋の仕事があって現場にいられないので、指導も何もできなかったんです。本当に名ばかり社長でした」
早朝から豆腐店で働き、夕方に数時間だけジェラート店へ立ち、夜は再び豆腐店へ戻るという生活を繰り返すこと3年。それでも赤字が続き、家族やスタッフ、取引先との板挟みの中で、心身ともに限界まで追い詰められていきました。

「毎日、本当に地獄でした。豆腐屋の事務所でご飯を食べながら、ガラス越しに見える線路をぼんやり眺めて、良くないことを考えてしまう日もありました。そのくらい、現実から逃げたくて仕方なかったんです」
穏やかな笑顔で話す佐久間さんですが、その表情からは想像できないほど壮絶な日々だったことが伝わってきます。当時を思い返すように、一つひとつ言葉を選びながら語ってくれました。
「でも、自分で新潟に帰ると決めたんです。ゲームみたいに人生はリセットできません。東京へ戻るわけにもいかないし、経営者として背負った責任もある。『逃げたい』と思うことは何度もありました。でも、自分で選んだ人生だからこそ、最後までやるしかない。その思いだけは、ずっと心の中にありました」

2019年、佐久間さんは豆腐店を離れ、自らジェラテリアココの現場へ立つ決断をします。
事業を立て直すため、店づくりを一から見直すことに。ビジネス書で学んだPDCAや5Sの考え方を現場へ落とし込み、地域の先輩経営者にも教えを請いながら、商品の構成や動線、接客、スタッフ教育、コストまで徹底的に改善。ランチメニューも当時は100種類近くあったものを、段階的に6種類まで絞り込み、利益の出る店へと変えていきました。
その地道な積み重ねが実を結び、店は第5期で初めて黒字化を達成します。あのどん底の日々は、一人の経営者として佐久間さんを大きく成長させた時間でもありました。
全力で挑んだ世界の舞台

ようやくスタートラインに立つことができた佐久間さん。次に見据えたのは、「ジェラテリアココ」という店を多くの人に知ってもらうため、コンテストで結果を残すことでした。
「当時は、この店に箔を付けたいという思いが一番強かったですね。牧場が経営するジェラート店だったり、有名な農園が手掛けるジェラートだったりすると、それだけで魅力がありますよね。でも、うちには何もありませんでした。ただいまーとにある、よく分からないジェラート屋。それなら、コンテストで認められた店になるしかないと思ったんです」
そこで、レシピに磨きをかけるため、日本ジェラート協会で出会った全国各地の先輩たちに教えを請い、試作を重ねました。
そうして挑んだ国際大会でしたが、残念ながら2年連続で入賞を逃すという結果に。

「全然歯が立ちませんでした。日本の仲間たちは入賞しているのに、自分だけ結果が出ないのは、本当に悔しかったですね。ホテルまでの帰り道、同じように入賞できなかった仲間と一緒に涙を流しました。その時、『佐久間さん、次はコッパ・ディ・オーロに挑戦してみないか』と声を掛けてもらったんです。最初は、自分なんかに無理だと思いましたが、あの一言が、大きな転機になりました」と当時を振り返る佐久間さん。
こうして次なる舞台に選んだのが、「ジェラート界のオスカー」とも称されるイタリア最高峰のジェラート大会「コッパ・ディ・オーロ」でした。2025年の大会テーマは「マンゴーソルベ」。ここから、大会までの1年間、佐久間さんがマンゴーと向き合う日々が始まりました。
「大会までは、世界で一番努力した自信があります。試作は200回以上。マンゴーの種類や糖の使い方、水分量、配合を何度も変えながら、『マンゴーよりマンゴーらしいジェラート』を追求しました。これまで勉強してきたことを一つずつ試作に落とし込んでいくうちに、点だった知識が全部つながって、腹に落ちた感覚があったんです。大会当日も自信があったわけではありません。でも、やれることは全部やったという思いはありました」
そして2025年。イタリアで開かれた「コッパ・ディ・オーロ」で、佐久間さんが作った「マンゴーフロマージュブラン」が見事グランプリを獲得!日本人として初めて同大会を制し、世界一の称号を手にしました。
しかし、佐久間さんが真っ先に口にしたのは、自分の努力ではなく、これまで関わってきてくれた人たちへの感謝でした。

「自分の名前が呼ばれた瞬間は、信じられない気持ちで頭が真っ白になりました。でも、すぐに思い浮かんだのは、これまで支えてくれた人たちの顔でした。教えてくださった先輩方、一緒に店を支えてくれるスタッフ、おいしい食材を作ってくださる生産者さん、そして家族。みんなで獲得した『世界一』なんです」
その言葉を聞くと、冒頭で味わった「マンゴーフロマージュブラン」の濃厚なおいしさが、また違ったものに思えてきます。あの一口には、15年にわたる苦悩と挑戦、そして多くの人たちと歩んできた日々が詰まっていたのです。
次回は、三条に戻ってくるまでの葛藤や佐久間さんの人生の原点をたどります。どうぞお楽しみに!








