
佐久間 康之 (さくま やすゆき)さんの自己紹介
1982年、三条市生まれです。東京の大学を卒業後、警備会社に勤めました。2011年、家業である「佐久間食品」を継ぐために、地元へUターン。2016年、農産物直売所「ただいまーと」の開業とともに新規事業として「ジェラテリアココ」を立ち上げ、店舗を構えました。休日は、妻と娘と一緒においしいものを食べに出掛けるのが何よりの楽しみです。
INTERVIEW
人生を変えた、一本の電話

三条市のJAえちご中越 農産物直売所「ただいまーと」内に店を構えるジェラート専門店、「ジェラテリアココ」。旬の果物や地元食材を活かしたジェラートを目当てに、連日多くの人が訪れる人気店です。
2025年12月には、「ジェラート界のオスカー」とも称される、イタリアで開催された国際大会「コッパ・ディ・オーロ」で見事グランプリを獲得。日本人、そしてアジア人としても初となる快挙に、新潟県内のテレビや新聞でも取り上げられ、大きな注目が集まりました。
この店を営むのは、ジェラートマエストロの佐久間康之さん。今や世界一の職人として知られる佐久間さんですが、その人生は、最初からこの道を志していたものではありませんでした。

「もともと警察官になりたかったんです。でも試験に受からなくて、大学卒業後は東京の警備会社で働きながら、警察官を目指しました。だから、家業を継ぐという選択肢は、自分の中にはありませんでしたね。うちは、兄弟4人それぞれが自分の人生を歩んでいました」
実家は、お祖父さまが1954年に創業した豆腐店「佐久間食品」。ご両親も「好きなことをやればいい」と、子どもたちに家業を継ぐことを求めることはありませんでした。
そんな佐久間さんの人生を大きく変えたのが、2010年、お兄さまからかかってきた一本の電話でした。

「『継げ』と兄から言われたんです。兄は7歳上なので、子どもの頃から絶対的な存在でした。だから、その場では『嫌だ』とは言えませんでしたが、継ぐつもりはありませんでしたね。東京で生活の基盤ができていたので、三条へ戻るなんて考えられませんでした」
それから帰省するたびにお兄さまやご両親と話を重ね、会社のこと、家業のこと、そして自分自身の人生について考え続けます。「なかなか決断できなくて、すごく泣きましたね」と静かに話す佐久間さん。その言葉には、当時の葛藤がそのまま詰まっていました。
お兄さまから電話を受けて約1年が経った頃、警備会社では目標にしていた社内表彰を受け、一つの節目を迎えていました。
「ちょうど会社でも、自分で目標にしていたことを達成できたタイミングだったんです。『ここまでやれたから一区切りかな』という気持ちもありました。悩みに悩んだ末、三条へ帰ることを決断しました」
2011年、佐久間さんは警備会社を退職し、故郷へ戻ります。東京で築いた暮らしを手放し、警察官への夢も諦め、豆腐店で新たな人生を歩み始めました。
地域が人を育てる

「三条って、本当に挑戦する人を応援してくれる町なんですよ」
家業に携わってから、佐久間さんは積極的に経営者の集まりへ顔を出しました。三条商工会議所青年部に入会し、異業種の経営者に自分から声を掛け、分からないことは素直に聞くということを繰り返していたそうです。経営、マーケティング、人材育成、店舗運営。業種は違っても、会社を良くしたいという思いは同じでした。
「燕三条地域は、世界に誇れるものづくりのまちです。すごい経営者さんがたくさんいるんですよ。業種は違っても困ったら相談できる人がいるし、『こうしたらいいよ』って惜しみなく教えてくれる。聞くことって恥ずかしいことじゃないんですよね。むしろ聞かない方がもったいないので、自分は分からなければすぐ聞きます(笑)。そうやって、地域の人たちに育ててもらいました」

その姿勢は、ジェラート作りでも変わりませんでした。独学で始めた佐久間さんは、日本ジェラート協会で出会った全国のトップジェラート職人たちにも、自ら声を掛けます。総会や懇親会では、分からないことがあれば臆することなく質問し、教わったことを新潟へ持ち帰り、自分なりに実践を重ねました。
「ジェラートも経営も、いろいろなことを学んでいると、それまで点だった知識が、ある時ふっと線でつながる瞬間があるんです。全てが勉強で、自分の引き出しになっていきます」と佐久間さん。その学びの積み重ねが、やがて世界一という結果へとつながりました。
しかし、佐久間さんはその結果を、自分一人の努力だけで語ろうとはしません。

東京で暮らしたからこそ気付いた新潟の豊かさ。そして、挑戦する人を自然と応援し、知識や経験を惜しみなく分かち合う燕三条の風土。佐久間さんは、そうした地域や人との出会いが、自分を育ててくれたのだと繰り返し話してくれました。
出会いも学びも、自ら取りに行くもの。そして、チャンスは待つものではなく、自らつかみに行くもの。佐久間さんの歩みを通して、その意味を改めて教えてもらいました。
EPILOGUE
100万人の笑顔のために

世界一という称号を手にした今も、佐久間さんが変わらず大切にしている言葉があります。
「100万人の笑顔のために」
これは、「ジェラテリアココ」が創業以来掲げてきたコンセプト。一見すると、とても壮大な目標のように聞こえますが、この数字には、意外な理由がありました。
「経営を学んでいた頃、お世話になっていた社労士さんと『売り上げ3億円を目指そう』という話になったんです。当時ジェラート1個が300円だったので、『それなら100万人に食べてもらうことになるね』って。そこから生まれた言葉なんですよ」
しかし、佐久間さんが目指しているのは、100万人にジェラートを売ることではありません。

「自分が目指すのは、食べて終わりじゃないジェラートです。『おいしいね』って笑顔になって会話が弾んだり、仕事の疲れが少し和らいだり、そんな次の時間につながるきっかけになれたらうれしいですね。それに、その100万人の中には、お客様だけじゃなく、スタッフも、自分も入っているんです」と穏やかな表情で話す佐久間さん。
売り上げだけを追い求めるのではなく、関わる人みんなが笑顔になれる店でありたい。その思いは、世界一になった今も変わることはありません。
そんな佐久間さんに、最後に一つだけ気になっていたことを聞いてみました。あれほど苦しい日々が続いたのに、どうして投げ出さなかったのでしょうか?

「責任感ですね。兄から『継げ』と言われたのはきっかけですが、最後に決めたのは自分なんですよね。子どもの頃から、母がよく『自分で決めたことだからね』と言っていたんです。夫婦げんかをしても、何か大変なことがあっても、いつもその言葉を口にしていました。その姿を見て育ったので、一度決めたことは最後までやり通したいという姿勢が、自然と身に付いたんだと思います」
お母さまが繰り返し口にしていたその言葉は、大人になった今も佐久間さんの中で生き続けていました。そして、その教えこそが、赤字経営に苦しみ、何度も心が折れそうになった日々を支えていたのです。
少し間を置いて、佐久間さんはこう続けました。
「枝葉はぶれますが、幹はぶれませんでした。お客様や家族の笑顔を思い浮かべながら、『今日も頑張ろう』って。その積み重ねでしたね」
一歩ずつ学び、人との縁を大切にし、自分で決めた道を歩き続ける。その姿勢こそが、今の佐久間さんをつくってきたのだと感じました。
三条から全国へ。そして世界へ。今日も「ジェラテリアココ」では、一つひとつのジェラートに、100万人の笑顔への願いが込められています。

NEXT EPISODES
最後に、県央地域の魅力的な方々を、佐久間さんからご紹介いただきました。
「cafe PORTE」の中島さんご夫妻
1人目は、三条市興野でイタリアンカフェ「cafe PORTE(カフェポルテ)」を営む、中島さんご夫妻です。
「料理やお菓子だけじゃなく、お二人のあたたかいお人柄も本当に素敵なんです。お客様との距離感や、お店の空気作りも含めて、すごく勉強させてもらっています」と佐久間さん。
東京の人気イタリアンで修業を積み、奥さまの地元・三条市で店を構えたご夫妻。旬の食材を活かした料理やデザートはもちろん、お二人の温かな人柄や居心地の良い空間にも、多くのファンが集まっています。
実は、世界一に輝いた「マンゴーフロマージュブラン」には、中島さんからのアドバイスが活かされているのだとか。その誕生秘話や、お二人が大切にしている店づくりへの思いについて、お聞きしたいと思います!
「欧風厨房 サントピアット」の桑原宗紀さん
2人目は、加茂市のイタリアンレストラン「欧風厨房サントピアット」のオーナーシェフ、桑原宗紀さんです。
「新潟の食材をどう料理で表現するか、いつも刺激をいただいています。料理に向き合う姿勢も本当に尊敬しています」と佐久間さん。
新潟県産食材を活かした料理で多くの人を魅了し、県内外の料理人からも厚い信頼を寄せられている桑原さん。県内シェフでつくる料理人グループ「ラボクチ」のメンバーとしても活動し、新潟の食文化を盛り上げています。
佐久間さんが刺激を受け続けるという桑原シェフに、料理へのこだわりや、新潟の食への思いについてお聞きしたいと思います。
佐久間さんからつながる県央編は、おいしいつながりが続きます。ジェラート店からカフェ、イタリアンレストランへ……食を支える人たちの物語を、どうぞお楽しみに!










