
桑原 宗紀 (くわばら ときのり)さんの自己紹介
1975年、加茂市生まれ。高校卒業後、東京の専門学校で製菓を学び、パティシエとして働きました。その後、イタリア料理の世界へ。東京都内のレストランで経験を積んだ後、イタリア・フィレンツェへ渡り、約2年間、現地のレストランでトスカーナ料理を学びました。帰国後は地元の加茂へ戻り、2007年に「欧風厨房 サントピアット」をオープンし、今に至ります。
INTERVIEW
パティシエからイタリア料理の世界へ

加茂市で2007年にオープンした「欧風厨房 サントピアット」。自家製パスタをはじめ、手間を惜しまず仕込んだ料理で多くの人を魅了してきたイタリアンレストランです。
オーナーシェフを務めるのは、桑原宗紀さん。イタリア・フィレンツェでの修業経験を持ち、現在はそこで培った感覚に、新潟の食材や生産者と向き合ってきた時間を重ねながら、自身の味を追求しています。
そんな桑原さんが料理の世界へ進むきっかけとなったのは、高校時代のある出来事でした。

「アルバイトをして、初めてまとまった給料をもらったんです。それで、家族に何か買って帰ろうと思ってケーキを買ったら、すごく喜んでくれて。それが『食』に興味を持った原点だったと思います」と、懐かしそうに振り返る桑原さん。
家族に喜んでもらった経験から、次第にケーキそのものにも興味が湧き、製菓の世界を志すように。そして、高校卒業後に東京の専門学校へ進学。本格的にお菓子作りを学んだ後、パティシエとして働き始めました。
子どもの頃からプラモデルなど、手を動かして何かを作ることが好きだったという桑原さん。昔からものづくりが得意だったのか尋ねると、「得意ではないです。ただ好きなんですよ」との答えが。好きだからやってみる。気になるものがあれば、自分の手で作ってみる。振り返れば、そんな好奇心が桑原さんの背中を押してきたようです。

パティシエの仕事を続けていた桑原さんに、やがて大きな転機が訪れます。きっかけは、有名店で食べた特別な一皿……ではなく、当時住んでいた家の近くにあった、ごく普通のトラットリアでした。
「何気なく注文した、キャベツとアンチョビの茹で上げスパゲッティが、ものすごくおいしくて。それまでイタリア料理をろくに食べたことがなかったので、なんでこんなにうまいんだろうって衝撃でした(笑)」
ケーキに興味を持った時と同じように、自分でも作ってみたくなった桑原さん。その味を再現しようと自宅でパスタを作るうち、興味は菓子からイタリア料理へと少しずつ移っていったそうです。
やがてパティシエの仕事を離れ、都内のイタリア料理店に就職。こうして、料理人としての道を歩み始めました。
本場イタリアへ。そして、故郷・加茂へ

料理人として経験を重ねるほど、「本場を自分の目で見てみたい」という思いは膨らんでいきました。そして20代後半、ついにイタリアへ渡ることを決意。向かった先は、トスカーナ州の州都・フィレンツェです。なんと桑原さん、現地で働く店を決めずに日本を飛び出したのだそう!
「とりあえず行って、3カ月の間に働くところが見つからなかったら帰ってくればいいや、くらいの感じでした。行き当たりばったりで、『コック足りてる?』って聞いて回りました」
当時はイタリア語もほとんど話せず、辞書や指さし会話帳を片手に、働かせてもらえる店を探して歩いたといいます。こんな勇気のいる行動を淡々とできるなんて。桑原さん、なかなかの強者です(笑)。
そんな中、偶然知り合った日本人シェフとの縁から、フィレンツェのトスカーナ料理店で働けることに。念願だった本場での料理修業が始まりました。

現地でまず驚いたのは、食材そのもののおいしさでした。
「イタリア野菜とか、オリーブオイルとか、チーズとか。やっぱり向こうで食べるとすごくおいしいんですよ。日本で同じように作ろうと思っても、なかなか同じにはならない。それは当時から感じていました」
厨房では、日本との違いをさらに実感したそうです。味付けや塩の使い方はもちろん、料理人たちの仕事の進め方も、日本とは異なるものでした。
日本で経験を積んでから海を渡ったからこそ、それまで自分が当たり前だと思っていたものが、決して唯一の答えではないことにも気づいたといいます。フィレンツェで過ごした約2年間は、桑原さんにとって料理に対する視野を大きく広げる時間となりました。

「その頃は、自分の店をやりたいとか、全然考えていなかったですね。ただイタリア料理をやっていて、イタリアに行ってみたかった。それだけです」
やがて30歳を迎える頃、この先の人生を考え、一度日本へ戻ることを決意。生まれ育った加茂市へ帰り、地元の飲食店で働き始めます。
そんな中、父親が飲食店に貸していた建物が空くことに。それが、現在の店がある場所でした。思いがけず巡ってきた機会に背中を押されるように、2007年、「欧風厨房 サントピアット」をオープンします。
あらかじめ描いた道を一直線に歩いてきたというより、その時々で心が動いたものに手を伸ばしてきた桑原さん。その積み重ねの先に、現在の「サントピアット」があるのです。
EPILOGUE
一皿の先につながるもの

桑原さんの歩みをたどってみると、最初から目指す料理の形が見えていたわけではないことが分かります。
むしろ、迷いながら、試しながら、その時々で出合ったものを自分の中に取り込み、少しずつ今のスタイルへ歩んできました。その過程で広がっていったのが、料理人同士の交流です。
その一つが、新潟県内の料理人たちで作るグループ「Il Laboratorio Di Cucina Niigata(イル ラボラトーリオ ディ クチーナ ニイガタ)」、通称「ラボクチ」です。

ジャンルや店の垣根を越えて料理人たちが集まり、互いの知識や技術を共有しながら、新潟の食材や食文化について考える。桑原さんにとっても、仲間から刺激を受け、新たな視点に出合える大切な場になっているそうです。
「昔は料理人同士って、あまり横のつながりがなかったんですよ。でも今は、みんなで情報交換したり、一緒にイベントをやったりできる。新潟の食が盛り上がるきっかけにもなるし、すごくいいことだと思います」と桑原さん。
自分の店だけでは出合えなかった食材や生産者、そして料理人たち。それぞれが持つ経験や感覚に触れることもまた、桑原さんの世界を少しずつ広げています。

イタリアで学んだこと。新潟の豊かな食材。そして、生産者や料理を通して出会った仲間たち。その一つひとつが重なり合い、今の桑原さんが作り出す一皿へとつながっています。
そんな桑原さんに、これから先の10年、20年について尋ねてみました。しかし、「こうなりたい」と明確に思い描くものがあるわけではないようです。
これまでも、決められたゴールに向かって一直線に歩いてきたわけではありません。その時々で心が動いたものに向き合い、試行錯誤を重ねるうちに、少しずつ今の場所へたどり着いた桑原さん。最近になってようやく、「これでいいんだ」と、自分のスタイルが腑に落ちるようになってきたといいます。

ただ、目指しているのは、わざわざ足を運ぶ価値のあるレストランであること。
イタリアで身に付けた技術や感性に、新潟で暮らし、食材や生産者と向き合ってきた時間が重なる。どちらかだけでは生まれない一皿に、私は“桑原さんにしかつくれない料理”の輪郭を見たような気がします。
遠くからでも「あの料理を食べに行きたい」と人が訪れ、また季節が変われば恋しくなる。そんな時間を重ねながら、桑原さんの料理はこれからもこの場所にゆっくりと根を張り、いつの日か、この土地で親しまれる「郷土の味」になっていくのかもしれません。
加茂の小さな厨房から、次はどんな一皿が生まれるのでしょうか。その時々のおいしさを映した料理を、一人のファンとしてこれからも楽しみにしています!













