山本 志穂 (やまもと しほ)さんの自己紹介
東京の広告デザイン会社の役員兼プロデューサーを務めた後、離婚をきっかけに実家であるふじやに帰省する。子どもの頃から、母親が歩んだ道(旅館の女将の道)を私も歩きたいという思いもあったため、旅館を手伝いながら若女将となる。若女将業の他にも、農業、ヴィーガン焼菓子職人、お腹セラピストという4足のわらじを履いている。
大川荘の渡邉社長に「とにかく元気な若女将がいる」とご紹介を受けて向かった、福島県喜多方市の山間にある、熱塩(あつしお)温泉「帰郷のお宿 ふじや」さん。昔は8軒のお宿が立ち並ぶ、歴史ある湯治場でしたが、後継者不足などの理由で今では2軒だけに。ふじやさんはそのうちの1軒、福岡から疎開してきた山本さんのひいおばあさまが始められた、創業85年のお宿です。
熱塩温泉は、ちょうどふじやさんと向かい合わせのように建つ「示現寺(じげんじ)」というお寺の開祖「源翁和尚(げんのうおしょう)」が1380年に発見したお湯で、「熱塩」の名のとおり源泉は68度と熱く、塩分が強いのが特徴。ナトリウム・カルシウム塩化物の泉質で体の中から温まり、婦人病・慢性皮膚炎・胃腸病などに効くとされ、古くから湯治場として親しまれてきた温泉です。
東京でバリバリ働いた後、2014(平成26)年に実家である「ふじや」に戻られ、2016(平成28)年から若女将として代表のお兄さまと共に宿を盛り上げてらっしゃる若女将、山本志穂さん。山本さんが戻って来られてから大きく変わったという「ふじや」について、お話を伺いました。まずは山本さん自ら手掛けてらっしゃる「無農薬野菜」と「ヴィーガン焼き菓子」について聞いてみました。
宿で提供される無農薬自家栽培野菜は、全て山本さん作
大々的にPRはされていないものの、ふじやさんは自家製の無農薬野菜をお料理で出してくださるお宿なんです。しかもその野菜は、全て若女将の山本さんが作っているというから驚き。
山本さんが戻って来られた2014(平成26)年から、知人の畑を借りて始めた無農薬野菜の栽培。隣の耕作放棄地も借りて、またその隣も…と広がり、今では800㎡までに広がったそうです。
無農薬野菜を育てようと思ったきっかけは、東京時代。
「なんとなく、住んでいたマンションのバルコニーで小松菜を育てたんです。それを収穫してキッチンに放っておいたら、すぐにしなびてしまった。でも買ってきた小松菜は、同じように放っておいてもしなびないんですよね。なんでなんだろう?と思って調べたら、野菜作りのいろんな現実を知ってしまって…。それで、“自分で食べる分は自分で育てる!”と決めたんです」
と、山本さん。
この思いは自分だけでなく、家族や宿に泊まりに来てくださるお客さまへと広がり、宿で提供するお野菜は自分で育てることに。今では料理長から「今どんな野菜あるの?」と聞かれ「もうすぐ〇〇ができるよ」なんて会話をしながら、お料理内容を決めているそうです。
若女将の仕事をしながらの畑仕事。どう考えても大変そうですが、ご本人曰く、
「もう始めて8年目なんで、コツを得てきました。どうやったらあまり手を掛けずに畑仕事ができるか?も分かってきたので、ちょろっと行って、ぺペペッとやってますよ(笑)」
と。
畑は車で20分くらいのところにあるそうです。
「ちょろっと行って、ぺペペッと」(笑)なんて、謙遜されていますが、こだわって育ててらっしゃるものが「ぺペペッと」なんて簡単じゃないはず。すごいなぁ。
なぜ、ヴィーガン焼き菓子?
もう1つふじやさんの特徴が、手作りの「ヴィーガン焼き菓子」。お茶請けとして各部屋に提供されています。「ヴィーガン焼き菓子屋さん」として、イベント出店することもあるそうです。
お料理やお菓子作りは昔から好きだったとのことですが、なぜヴィーガン焼き菓子なのか?それは、山本さんが溺愛する「3頭のヤギたち」がきっかけでした。
「2020(令和2)年に知人から譲り受けたヤギを飼うに当たって、“ペットとしての飼い方”を調べようとしたら、畜産としての飼い方ばかり出てきてしまったんです。それで畜産業界のいろんな現実を知り、動物性食品を食べないヴィーガンという生き方があることも知りました。…と言っても、私も完全なヴィーガンではなく、選択肢がある場合は動物性食品を食べない“フレキシタリアン”という分類になります」
元々動物が大好きな山本さん。ヤギたちもお乳を搾るわけでもなく、子どものように育てています。
「この子たち、私を親だと思ってるんですよ。ずっと後をついて来るんです~」
と、とろけるような笑顔で話す山本さん。
ペットのヤギを育てる過程で知った「ヴィーガン」という生き方。その後「もっとおいしいヴィーガンお菓子を作りたい。みんなにもヴィーガンを知ってもらいたい」と思い作り始めた「ヴィーガン焼き菓子」。こちらも無農薬野菜と同じく、大々的にPRしていません。その理由を尋ねると…
「私が初めて食べたヴィーガンお菓子って、驚くほどまずかったんです(笑)。私ならヴィーガンでも、もっとおいしいお菓子が作れる!と思ってやってるんですが、最初から“ヴィーガンですよ”と伝えると、変に身構えちゃう気がするんです。だから黙って、何も知らずに食べて、“あら、おいしい。これ何?”と聞かれたら、“実は卵も牛乳も使っていない、ヴィーガンお菓子なんですよ”と伝える方がいいな、と思って」
と山本さん。
なるほど。「おいしい」から入る方が、ヴィーガンを初めて知る方にとって理解しやすいですもんね。「変に身構える」も分かる気がします。
無農薬野菜もヴィーガン焼き菓子も、大々的にPRしない本当の理由
無農薬野菜もヴィーガン焼き菓子も、温泉宿で提供されるのは珍しいことですし、もっとPRすればいいのに…と思いますが、どちらも大々的にPRしない本当の理由がもう1つありました。
「兄とふたりで決めたんです。うちは中途半端に古い宿だし、特にこれと言って特長があるわけではない。じゃあ、うちに泊まることで、ちょっとでも健康になって帰ってもらおう!と。でもそれを公にせずに、お客さまがおいしいと言って食べてくださるのを見て、健康になって帰ってくださるのを見て、兄とふたり”しししし…”って陰でほくそ笑むのが好きなんです」
しししし…って陰でほくそ笑む(笑)。
代表のお兄さまは、4人きょうだいの長男で、山本さんは末っ子。8歳年上ながら「きょうだいの中で一番気が合う、大好きな兄」とのこと。仲良しの兄と妹でほくそ笑む姿、想像して笑っちゃいました。
末っ子が起こした「ふじや改革」
山本さんが若女将に就任されたのは2016(平成28)年のこと。女将であるお母さまから突然「明日からあなたは若女将です。みんなにそう言います!」と言われたのだそう。…と、同時に山本さんにもスイッチが入り、「よし、再建だ!」と。今までは両親や兄の影に隠れ「手伝い」として宿に関わっていましたが、これからは自分が前に出て改革を進めて行こうと決めたそうです。
「まず、両親と兄を呼んで説教をしました(笑)。このままではダメだ!スタッフばかりに無理をさせて、何をしているんだ!と」
末っ子の山本さんに喝を入れられた、旅館経営の先輩3人。何かしら反発もあっただろうと思いきや、皆さん素直に「はい、すみません」という感じだったそうです(笑)。
なんて素敵なご家族なんでしょう…。
「ふじや改革」大きな柱は2つ
山本さんが行った「ふじや改革」。その柱は2つ。
①家族にもスタッフにもルールを厳しくした
②料理を変えて宿泊費を上げた
①は「なぁなぁでやっていたことをなくした」と言います。長年勤めてらっしゃるスタッフさんも多く、山本さんにとっては家族と同じくらい近い存在。だからこそ、大切にしたかったと。逆に家族には、スタッフと同じく従業員としてのルールを徹底。
②は2020(令和2)年に料理長を迎え、これまでの「女将が料理をして提供するスタイル」を大きく変更しました。これにより山本さんも料理をしなくて良くなり、畑仕事に集中できるように。また、無農薬野菜の使用のお料理として付加価値を付け、宿泊費の値上げにも踏み切りました。
「父は自由人で好きなことをやっていましたし、母は天然でマイペース。兄は業界団体の会合などが多くあちこち飛び回っていたので、なんとなく、みんな別々の方向を見ていたように思います。そしてそのひずみが、当時20人近くいたスタッフにのしかかっていたように私には見えました」
家族同様にスタッフさんのことを大切に思う山本さん。
自己紹介で「4足目のわらじ」として紹介されていた、服の上から内臓をマッサージして体調を良くする「お腹セラピスト」も、「スタッフのために何かできないか」と思い勉強したそうです。
「会津の人は本当に我慢強くて、ほんっとに休まない、病院に行かないんです。寝れば治る、つば付けておけば治ると思ってるんじゃないかな(笑)。だから、スタッフがしんどそうな時、少しでも楽になればいいなと思って勉強しました。スタッフのためにと思って取った資格なので、これを新たなサービスに…とは考えていません」
と、山本さん。
山本さんこそ、「休まない、病院に行かない」なんじゃないかなーと心配になりつつ、スタッフのために資格まで取ってしまう、愛情の深さに心打たれました。山本さんは、ふじやが大好き、家族も大好き、スタッフも大好き、ペットのヤギちゃんも大好きなのです。
宿泊費を値上げしたことで客層も変わったと言います。コロナ禍をきっかけに始めた「ヴィーガン焼き菓子屋さん」としてのイベント出店も功を奏し、今までとは違う、ご家族連れや若い女性のお客様が、ふじやにやって来てくれるようになったそうです。
「仕事で遊んでいる」
聞けば聞くほどパワフルな山本さん。最後に、どうしてそんなに働けるのか?動けるのか?その秘訣を伺いました。
「筋トレを2022年の秋から兄と一緒に再開したんですが、これでいろいろと楽になったんですよ~!ヤギ小屋の掃除もあっという間!いいですよ、筋トレ!」
(笑)…あ、いや、違うんです、その、フィジカルな話じゃなくて、その原動力は何だろうかと。全部好きなことだからですか?楽しいから苦じゃないのかしら?
「あぁ、確かに。そうですね。仕事で遊んでいる感じです。働いている感覚がない。遊びながら、お客さまが喜んでくださる。笑顔を見ることができる。こんなにうれしい遊びはないですよ」
と、山本さん。
そうか、山本さんからあふれ出す「大好き」という気持ちは、仕事全体、日々の暮らし全体に向けられている「大好き」なんだ。日々大好きな家族やスタッフのため、宿のために働くこと自体が遊びだから楽しいし、大好きなんだ。
…と同時に、自分に対してストイックな山本さん。
「“もっとお前はできるだろう!もっとおいしいものを作れるだろう!もっと喜んでもらえるだろう!”って私が私に言うんです。たぶん、私、動物か人間、どちらに厳しいか?と言われたら人間の方だと思いますが、その中でも自分に一番厳しいと思います(笑)」
だから、「遊びだ」と言いつつも自己満足に陥らず、お客さまのため、家族のため、スタッフのために頑張れるんですね。納得です。どうかお体には気を付けて。パワフルな山本さんから、たくさんのパワーを分けてもらいました。ありがとうございました!
お店の情報
帰郷のお宿 ふじや
福島県喜多方市熱塩加納町熱塩熱塩甲807
HP:https://h-fujiya.com/
(※長期休業中)