
目黒 貴博 (めぐろ たかひろ)さんの自己紹介
新潟市(現・南区)出身。ゼネコン、土木会社、工務店を経て、新潟県森林組合連合会へ。森林組合の仕事で阿賀町に出入りするうちにこの地に魅せられ、地域おこし協力隊として阿賀町へ移住しました。以来10年以上にわたり、目黒農園として自然薯(じねんじょ)やエゴマを栽培。農薬・化学肥料を使わない農法にこだわっています。狩猟免許を持ち、猟や山菜採りも楽しむ、根っからの食いしん坊です。
INTERVIEW
興味の赴くままに歩み、縁あって阿賀町へ
農薬や化学肥料を使わない、自然薯・エゴマづくりに情熱を注ぐ目黒さん。徹底して本物を追い求めるその姿勢は、一体どんな半生から生まれたのでしょうか。後編では、目黒さんが阿賀町にたどり着くまでの歩みをご紹介します!
新潟市出身の目黒さんは、農業とは全く縁のない業界でキャリアを歩んできました。工業高校の土木科を出て、最初に勤めたのは建物を手がけるゼネコン。その後、土木会社で現場監督を務め、住宅に興味を持って工務店へ。そこで木材と出会い、「木とは何ぞや」という問いを抱いて、新潟県森林組合連合会に移ります。

「興味があったら、そっちの方へ進んじゃうんですよ」と笑う目黒さん。建設から土木、住宅、そして林業へ。興味の赴くままに業種を渡り歩いてきた目黒さんですが、この森林組合の仕事こそが、阿賀町との出会いをもたらすことになります。
仕事を通じて出入りするようになったのが、阿賀町にある東蒲原郡森林組合でした。山と向き合う日々の中で、目黒さんはこの土地の豊かさに惹かれていきます。森から受ける恩恵、雪解け水のおいしさ。新潟市の実家に帰ると、水道水の味の違いに驚くほどだったといいます。
一方で、農道や林道を走っても若い人の姿がなく、畑では腰の曲がった高齢者が鍬を持っている、そんな光景も目に入りました。
「これだけ自然が豊かで、食べ物もおいしいのに、なぜ阿賀町は注目されていないんだろうと。惜しいなぁという気持ちですよね。きっかけさえあれば、今で言うところの“バズる”んじゃないかという気がしていました」
豊かな資源があるのに知られていない、地域の担い手もいない。その「惜しさ」を自分の手で何とかしたい。そんな思いに背中を押され、阿賀町三川で林業をしている人から地域おこし協力隊の募集を教えてもらい、応募しました。40歳を過ぎたころに、目黒さんは地域おこし協力隊の2期生として阿賀町へやってきました。
農業も狩猟も初体験。その全てを地域で学ぶ
地域おこし協力隊として阿賀町にやってきた目黒さんですが、農業はまったくの未知の世界でした。前編でご紹介したような無農薬・循環型の農業も、最初からできたわけではありません。
エゴマのために岐阜県の日本エゴマ普及協会へ半年間通い、農薬を使わない栽培について専門家の著書や振興局などが開く講習会で学ぶなど、各地に足を運んで知識を積み上げてきました。
「やっぱり頭を柔らかくしないとダメだと思うんですよね。『こうだ』と思い込まないで、いろんな話を聞いて、良いところを自分なりに工夫して取り入れていくことが大事だと思いました」

学びの姿勢は農業だけにとどまりません。目黒さんは地域おこし協力隊になってから狩猟免許も取得。きっかけは、当時から深刻だったサルによる農産物への被害でした。
「檻や爆竹を使っても、サルは頭がいいから慣れてしまうんですね。どうやって駆除したらいいかと考えて、第一種銃猟免許とわな猟免許を同時に取りました」
イノシシやシカなど、獲った獲物の解体も自分で行います。イノシシは100キロを超えることもあるため、自宅には冷蔵庫3台、冷凍庫2台、保冷庫1台を完備しているそうです。
山に入ればクマと出くわすこともあります。
「何の準備もしていないときに近場でクマに出くわしたら、もう動かないことです。そして、音を立てずにゆっくり後ずさりして、物陰に隠れること。奴らはびっくりすると襲ってきますから」
クマは400メートル離れていても匂いを感知するといわれているため、狩猟以外で山へ入る際は事前にタバコを吸ったり、蚊取り線香をぶら下げたりして「ここに人間がいるぞ」と知らせるようにしているそうです。昨今のクマの被害を聞くと怖くなりますが、自然に本気で向き合う厳しさが、目黒さんの言葉から感じられました。
また、さまざまな角度で農業や暮らしを学ぶことと同じくらい、目黒さんが大切にしてきたことがあります。それは地域との関係づくりです。同じ新潟県の出身であっても、すぐに「地域の一員」になれるわけではありません。だからこそ目黒さんは、関係ができるまで時間が流れるのを待つのではなく、自分から地域へ飛び込んでいくことを選びました。

「協力隊に来た1年目は、誘われた飲み会を一度も断らなかったんです。最初は『お酒を飲めない体だ』と言っていたんですが、2年目で『その体格で飲めないなんて嘘だろう』とバレてしまって(笑)。そこからは『酒を出すし、布団も敷いてやるからここで寝て帰れ』という感じになりました」
飲み会で集落の区長と知り合えば、翌日お茶を飲みに行き、紹介された次の区へ。またその次へと顔の見える関係を積み重ねていきました。相手が心を開くのを待つのではなく、まず自分から一歩踏み込む。その積み重ねが、確かな信頼を育ててきたのでしょう。今では、町で目黒さんを知らない人はほとんどいないほどです。
EPILOGUE
ないからこそ、工夫する。知恵が、人を育てる
10年以上阿賀町に住み続ける目黒さん。その理由として、目黒さんは「阿賀町は食べ物がうまい!」ことを挙げます。
「ここでの暮らしは決して楽ではありません。でも、なぜここに住めるかといったら、やっぱり飯がうまいんですよ!食べることが好きなので」と目黒さん。

阿賀町では昔ながらの郷土料理が今も各家庭で作られており、目黒さんも地域の人から教わり自分でも作るようになったそうです。さらに、狩猟の先輩からは「山で遭難したときは樹皮の内側の白い皮を薄く削いで食べる」という知恵も教わりました。阿賀町に移住しなければ知り得なかった全てが、目黒さんの暮らしを豊かにしています。
あるものを生かし、足りなければ工夫する。その積み重ねが、人を強く豊かにしていく。建設から森林、そして農業へ、興味のままに歩んできた道のりの全てが、今の目黒さんの農業と暮らしを支えています。
「知恵と工夫を身につけていくことで、人間力が向上するというかね。ここに来てから、たくましく生き抜く力は間違いなくつきましたよね」と目黒さんはしみじみと語ります。
豊かな自然と食、自ら飛び込んで築いた人とのつながりの中で、目黒さんは今日も畑に立っています。本物の味を追いかける歩みは、まだまだ続いていきます。










