長谷川 正義 (はせがわ まさよし)さんの自己紹介
1949年生まれ、新潟市西区出身です。明治中期から続く農家で、長谷川農園としては私で8代目です。中学校を卒業して市内の企業に勤めましたが、20歳で家業に入り農家の道へ。現在は、チンゲン菜とサラダ菜、そして20年以上の月日をかけて開発した「もみ殻堆肥」の生産・販売を行っています。そして自らを「アグリ環境ドクター」と称して、地域の農家さんたちと一緒に、その土地に合った土づくりを行っています。
PROLOGUE
えぐみがなく、ジュワ~~~っと茎から水分が溢れるチンゲン菜。シャキシャキで葉が肉厚なサラダ菜。
「なんだ……このおいしさは……!!!」
初めて口にしたとき、格別なおいしさと野菜が持つパワーを感じ、感動したことを覚えています。チンゲン菜は火を入れずに生のままでもおいしく、ナムルにしたり和え物にしたり。サラダ菜はひっそりとした脇役ではなく、サラダの主役に。
マスヤ味方店で販売している、長谷川農園さんのチンゲン菜とサラダ菜。以前から同店で買い物を楽しんでいたごっつぉライターの私は、すでに長谷川農園さんのファンになっていました。
「長谷川さんは農業界の革命家ですよ!」と店長の栗林さんが尊敬し、信頼を置くのが長谷川農園の長谷川正義さんです。
今回は、長谷川農園さんにお伺いして、おいしい野菜の理由に迫ります!そこには、長谷川さんが何十年にもわたり情熱を注いできた、挑戦と努力の物語があったのでした。
INTERVIEW
おいしい野菜づくりは土づくりから
新潟市西区にある黒埼地区。春は水を張った田んぼがキラキラときらめき、夏は青々と稲が色づき、秋は黄金色に稲穂が輝く。四季を通して美しい田園風景が広がるこのエリアで、長谷川農園は約150年も前から農家を営みます。
テニスコート約20面分に匹敵する1,600坪もの大型ハウスを運営し、野菜はチンゲン菜とサラダ菜のみに特化。また、独自に開発した“自家製もみ殻堆肥”の生産に取り組んでいます。
ハウスの中では、チンゲン菜たちが気持ちよさそうに生き生きと育っています。なんだか空気が柔らかく、心地いい~!
「うちの野菜は食べておいしいだけでなく、健康にもものすごくいいんですよ。私は40年前から、もみ殻と自然の微生物を活用した堆肥作りをして、栄養価の高い野菜を育てています。とくに、うちの野菜は抗酸化作用が非常に高く、免疫力の向上や老化防止にも効果的だと言われています」と、長谷川さんが採れたてのチンゲン菜を切ってくださいました。
肉厚でシャキッシャキ、茎からはジュワ~と水分が!
そして、酸化しづらいからこそ、この品質が長持ちするそうです。たしかに、冷蔵庫の野菜室に数日入れておいても、長谷川農園の野菜は元気でピンピン!他の葉物野菜はすぐしおれてしまうのに。
「うちの野菜の噂を聞きつけて、全国から大学教授や医学博士たちが視察に来てくれたんですよ。それで、栄養素を研究所で測定して数値化してくれました。すると、健康サプリメントのような栄養があることが分かったんです。それまでは私自身も、自分が育てた野菜にこんなにも栄養があるなんて知らなかったから、結果を見て驚きました。そして確信したんです。これらは全て、この“土”のおかげだと」。
長谷川農園では、年間30t/10a以上の自家製もみ殻堆肥を土壌に投入しています。つまり、これがおいしい野菜づくりの秘訣!
さらに、もみ殻堆肥の効果は、おいしさや栄養価の高さといった消費者側だけでなく、生産者側にもメリットをもたらしています。
農業関係者たちがこぞって驚くのが、土壌消毒を行わずに年間8回転も同じ作物を作り続けられるということ!さらには、もみ殻堆肥を使い続けることで連作障害を減らすだけでなく、年々土壌環境も向上するといいます。
ちなみに連作障害とは、同じ場所で同じ作物を作り続けることでだんだんと生育不良となり、収穫量が落ちてしまう障害のこと。連作は、土壌の成分バランスが崩れるだけでなく、作物が病気になりやすくなってしまうそうです。
「このもみ殻堆肥のおかげで年間8回転の連作に成功し、年間を通して安定的にチンゲン菜を出荷しています。去年のような酷暑でも生産量は前年と変わらなかった。だから農業関係者や研究者たちが驚いて、『話を聞かせてほしい、農場を見せてほしい』と全国のあちこちからわざわざここへ来てくれるんですよ。私は全部オープンに情報を提供しています」。
そそそ、そんなすごい野菜と堆肥が新潟市にあったとは!!
しかし長谷川さん、自ら堆肥を開発するだなんて、簡単なことではないですよね。今日に至るまで、相当ご苦労されたのではないでしょうか。
失敗こそ宝!人生をかけた自家製「もみ殻堆肥」の開発
長谷川農園のもみ殻堆肥について、もっと詳しくお話をお聞きするべく、ハウス裏の堆肥置き場に移動しました。
そもそも、長谷川さんが堆肥を開発されたきっかけは何だったのでしょうか?
「私がもみ殻堆肥の開発に着手したのは、今から40年以上前。20歳で家業に入りましたが28歳の時に父が急病で亡くなったので、本格的に後を継ぐことになったんですよ。その頃ちょうど結婚をしたタイミングでもあったんですが、農園の経営状況は悪く窮地に追い込まれていました。
当時は農業の近代化が進んでいて、なんでも楽な方へと効率化が図られていたんです。でも、手が楽になっても我々の収入は一向に上がらない。そこで、収入を上げるためには農作物の品質を上げて、収穫量も上げよう。そのためには今までにないことをしなければ!と考え抜いたのが“堆肥づくり”だったんです」と当時の状況を振り返ります。
「昔、父親が農場の隅っこで家庭用に作っていた野菜が本当においしかったんですよ。今でも忘れられないぐらいね。そこでは、家庭から出る食品残渣や稲わらなどを堆肥として使っていて、農場とは違うやり方をしていました。そして、野菜の味も全然違うもんだから、やはり堆肥がおいしさの鍵になるんじゃないかと思ったわけですよ」。
そうして、長谷川さんの堆肥づくりが始まりました。明けても暮れても土づくりのことばかりを考え、文献を読み漁り情報集めに奔走。到底、自分一人の力では困難だと思った長谷川さんは、ほかの農家さんにも協力を募りましたが、皆見向きもしなかったと言います。当時は、種を植える前の“土”に着目している人はほとんどおらず、理解もされていませんでした。それでも長谷川さんは、「絶対に成功してみせる!」と諦めませんでした。
それから数年後、長谷川さんの元に有益な情報が入ります。それは、埼玉県で取り組まれている「武蔵野の落ち葉堆肥農法」。木々を植えて平地林を育て、その落ち葉を集めて堆肥として畑に入れ土壌改良を行うという、2023年に世界農業遺産に認定された農法です。視察をし、この農法で作られた野菜を食べた長谷川さんは、そのおいしさに感動。「自分がやりたいのは、まさにこれだ!」と確信したそうです。
「私が目指したのは“山の土壌”です。山の落ち葉が堆積した土壌では、連作障害もなく有機物の循環が有効に行われていて、植物が生命力旺盛に育っています。植物が根から栄養を吸収しやすくさせるために、微生物が働いてくれているんですよ。そのような農業にとっての理想的な土壌環境を、新潟ならではの有機物を活用する方法で実現するために研究を重ね、もみ殻堆肥にたどり着きました」。
米どころ新潟ならではの“もみ殻”を使った堆肥は、田園資源をエネルギーに変えるので環境にやさしく、化学肥料や農薬の使用を抑えることができます。長谷川さんは、40年前からこの環境循環型農業に取り組んでいたわけです。
構想から10年で形となり、その後も改良に改良を重ね、さらに品質を上げていったそうです。そして20年経ち、量産化をして様々なところで販売できるような、高品質のもみ殻堆肥ができあがりました。
「試作の段階では、カリフラワーを2000ポット枯らして大失敗したこともあったし、借金もたくさんしたし、家族にはものすごい苦労をかけてしまいました。失敗をするたびに『俺は何をしてるんだ』と自分に喝を入れて、失敗こそ学びのチャンスとばかりに原因を徹底的に追求したんです。『絶対に成功するぞ!諦めてたまるか!』と、もう毎日が死物狂い。でも成功したときの喜びは、何ものにも代え難いぐらい幸せなんです。だからまた挑戦したくなるんですよ」と笑顔で当時を振り返る長谷川さん。
家族のために経済的に豊かになりたい、そのためには消費者に喜んでもらえるおいしいものを作りたい。そんな思いから始まった長谷川さんの土づくりは、作物の栄養価を高め、連作障害の少ない強い土壌を育てるという、思わぬ効果も生み出しました。
今では、新潟の農業界で知らない人はいないと言っても過言ではないほど、土づくりと微生物の達人として、そして環境循環型農業のパイオニアとして、その名が知れ渡っています。
EPILOGUE
土が食物をつくり、食物が健康な身体をつくる
現在、長谷川さんのもみ殻堆肥は、自社で使用しているほか、大手ホームセンターに卸しています。また、野菜農家だけでなく、果樹園や花き農家、公園の緑地整備事業など、幅広い場所で大活躍。長谷川さんは自らを「アグリ環境ドクター」と称し、アドバイスなどをしながら地域の方々と一緒に土づくりをしているそうです。
また、サラダ菜は県内ではマスヤ味方店のみで、その他は関東圏の百貨店やスーパーで販売。チンゲン菜はマスヤ味方店や市内の百貨店、県内多くのスーパーで購入することができます。今年、新潟のテレビ局が発表した「視聴者の選んだ新潟の好きなラーメン店TOP10」の一位に選ばれたラーメンの具材にも、長谷川農園のチンゲン菜が使われているそうですよ!
自家製もみ殻堆肥の開発、そして栄養価の高いおいしい野菜の栽培のほか、長谷川さんが奔走したのが販路の拡大でした。今でこそ、新潟県内や関東圏などあらゆる場所に広がりを見せていますが、最初から順風満帆だったわけではありません。
「自分が作った野菜にものすごく自信があったから、多くの人たちに届けたいと思って、販路を広げるための営業活動も積極的に行いました。うちの野菜を取り扱ってもらうために、たくさんの会社に交渉しに行きました。ときには理解が得られなかったこともあったけど、うちの野菜を認めてくれて取引が始まった会社がいっぱいあります。
会社のキーマンに会えるようアポ入れに工夫をしたり、根気強く何度も通ったり、泥臭いこともたくさんしましたねぇ。あと、家業に入る前の10代の頃に勤めていた会社の人たちも、協力してくれたんですよ。農家とは全く違う仕事だったけど、人の縁はどこでつながるか分からないものです」。
農業人であり研究者のような長谷川さんでしたが、“営業担当者”という一面もお持ちだったんですね。知力、体力、気力のすべてが備わっているスーパーマンみたい!
そして長谷川さんの努力はどんどん人脈を広げていき、今では新潟県の財界人からも認められ、大きなプロジェクトが動き出しているそうです……!
「農家は食べ物を作っています。そしてわたしたちの身体は食べ物から作られています。だからこそ、食べ物は健康に直結するんです。農業は、たくさんの人の健康に寄与できる、ほんとうに素晴らしい仕事です。
今の日本の農業は課題が山積みですが、私が取り組んできた環境保全型農業は、あらゆる問題を解決していく鍵になると思います。そのためにも、私はもみ殻堆肥をさらに改良して、もっともっといいものにしていきたいんです」と、力強く語る眼差しには、一点の曇りもありませんでした。
一つの成功にとどまらず、さらに進化をするために挑戦しつづける長谷川さん。ひたむきで懸命な生き様から生まれる格別のおいしさは、これからも多くの人を幸せにするに違いありません。
未来につなぐ、たのしい農業───
「私がずっと目標にしてきた自分の言葉です。これを実現させるために生涯現役!まだまだ夢の途中ですよ」。