
堀口 一彦 (ほりぐち かずひこ)さんの自己紹介
東京生まれ、横浜・千葉育ちです。建設コンサルタント関連の会社に12年間勤務した後、青年海外協力隊員として南米ベネズエラへ渡りました。帰国後は会津地方にIターン移住し、喜多方市山都地区グリーン・ツーリズム推進協議会、にしあいづ観光交流協会を経て、2018年に阿賀町地域おこし協力隊に。2021年4月から阿賀まちづくり株式会社の代表取締役を務めています。趣味は山登り、沢登り、釣り、旅、ウルトラマラソン、獲物を捌くこと、食べること!
INTERVIEW
35歳で押し寄せた、人生を変えた三つの転機
ヤマビルなどの“嫌われ者”の生き物を主役にしたユニークな企画や、「マイナスにこそチャンスがある」と語る堀口さんの企画立案のポリシー。その独特の感性は、一体どこから来ているのでしょうか?
後編では、堀口さんが阿賀町にたどり着くまでの人生の道のりをご紹介します。
堀口さんは、東京生まれ、横浜・千葉育ち。釣り好きが高じて「いっぱい釣るには魚の生態を学ぼう」と、東海大学海洋学部水産学科へ進学し、卒業後は発電所の取水・排水施設の設計施工を手がける会社に就職。12年間勤めたうちの半分は出向で、高知にある「マリーン・テクノロジー研究所」や水産庁の外郭団体でダイオキシンの研究をするなど、研究室と現場を行き来する日々を送っていたそうです。

「仕事は嫌いではなかったんですが、仕事ばかりの日々でしたね。このままでいいのかなと、少し疑問を抱き始めていて」
そのふとした疑問が、ある日、一気に行動へと変わります。堀口さんが35歳のとき、三つの転機が同時に押し寄せてきたのです。
「一つ目は、父のリストラです。千葉のマンションのローンが、僕に重くのしかかってしまって。二つ目は、ロサンゼルスからニューヨークまで走る北米大陸横断レースへの出走オファーです。僕はもともとマラソン好きで、北海道縦断や東海道踏破の実績を知る人から『お前が出れば大会が成立する』と声がかかったんです。そして三つ目は、青年海外協力隊の当時の年齢上限である39歳が、もう間近に迫っていたこと。サラリーマンを辞めてマンションを売却すること、大陸横断、青年海外協力隊と、この三つの転機が重なったこともあって、会社を辞める決意をしました」

家族会議を開き、「千葉のマンションを売って、田舎で暮らすけどどうする?」と堀口さんが提案。「両親は息子がそう言いだしたら、もはや僕に付いていくしか選択肢はないですよね(笑)」とのことで、ご両親と堀口さんの家族三人で、新しい暮らしへ踏み出すことになりました。
って、展開が目まぐるしいです……!
南米から福島、そして縁あって阿賀町へ
マンションを売って、堀口さんが次に向かったのがアメリカです。
そうでした、そうでした。転機と展開が目まぐるしすぎて、一瞬忘れかけていましたが、二つ目の転機「北米大陸横断レース」。これまたスケールが大きいです。

「ロサンゼルスからニューヨークまで、71日間で5,050km。完走したのは僕を含めて6人だけです。毎日70kmくらい、コースが決まっていてね。頑張ったら逆にダメなんですよ。壊れないようにペースを落としながら走り続けるんです。それが僕には向いてたんですよね」と堀口さんは笑顔で語ります。
サラッと話していますが、堀口さん、これはとんでもないことではないでしょうか!?
「走ることはそれほど好きじゃないけど、内なる自分自身と対話するのは好き」とのことですが、連日70kmを2カ月以上、完走率がほぼ半数だったことからも、過酷さがうかがえます……。
そして、帰国後すぐに、堀口さんは青年海外協力隊員としてベネズエラへ。アメリカを横断したと思ったら、今度は南米へ。堀口さんが地球規模で行動されていたことに驚かされます!
ベネズエラでの任地はオリノコ川流域のグリ・ダム周辺で、現地の言葉でカチャマという淡水魚の養殖技術の確立に取り組んだのだとか。養殖の合間には現地の人に日本語を教え、自分はスペイン語を教わる、そんな教え合いの日々を通じて、堀口さんは現地の人々と深く打ち解けていきました。

サラリーマンを辞めてからの3年間。5,050kmを走り切り、ベネズエラの濃密な2年を生きた堀口さん。日本への帰国後、東京には戻りませんでした。
「もう東京に戻るのも嫌で、たまたま福島の喜多方に築150年の古民家を買ったんです。Iターン移住でしたが、僕の場合は『古民家に住みたい』というのが理由でした(笑)」
ガハハと笑いながら振り返る堀口さんですが、東日本大震災の翌年、緊急雇用枠で就職したのが、「喜多方市山都地区グリーン・ツーリズム推進協議会」でした。

これが堀口さんにとって、初めての「観光」の仕事です!マニュアルも指示もない中、農業体験や街道を歩くツアーや自然観察など、得意分野を生かしたイベントを次々と立ち上げます。これがじわじわと評判を呼び、堀口さんが企画した「旧越後街道探索ウォーク」がご縁にもなって、隣の西会津町から「うちにも来ないか」と声がかかりました。その後、「にしあいづ観光交流協会」で3年間活動を続けました。

その後、西会津時代に交流があり、堀口さんの活躍を知っていた阿賀町観光課から「うちで地域おこし協力隊をやらないか」とお誘いが舞い込んできました。それが、2018年のことでした。
「気が付けば、南米から喜多方、西会津、阿賀町と西へ西へと移ってきました。ゴールは佐渡島ですかね(笑)」と笑う堀口さん。ワールドワイドに駆け回ってきた堀口さんですから、ゴールが佐渡島というのもなきにしもあらず……ですね。
「世のため人のため」より「自分のため」が真実
阿賀町でさまざまなイベントを企画提案しながら、活動を続けて9年。山登り、沢登り、釣り、旅、ウルトラマラソン、星空観察、街道宿場歩き、格闘技観戦……と、多彩な趣味の全てが、今の仕事の引き出しになっていると堀口さんは語ります。

「いろんな企画を立ち上げていますが、どれも遊び半分だからこそ、楽しくやれるし、自分がやりたいからやっているというのが大きいですね。僕のやることの基本は、あくまで自分のため。何かイベントをするにしても、その主役となるものが好きだとか、興味があるものでないと、ここまで深掘りはできないと思うんです。ボランティアでやることも、相手が喜んでくれるのを見て、自分の気分が良くなるためにやっているというスタンスです」

実はこのスタンス、ボランティアの語源にもピタリと合っているのだとか。ボランティアの語源は、ラテン語の「ボルンタス」。意味は「意志」。本来のボランティアは「無償奉仕」ではなく「自らが考え行動する」ことだといいます。堀口さんが講演などでも繰り返し伝えている言葉です。
EPILOGUE
「住めば都」阿賀町で見つけた人間らしい暮らし
地域おこし協力隊として赴任してから、9年間一度も町を離れていない堀口さん。その理由について尋ねてみました。
「住めば都で、僕、いた所はみんな好きになっちゃうんですよ(笑)。でも、東京に戻る気は現時点では全くありませんね。東京では経済力のない(笑)。僕は有事には生き残れないでしょう。阿賀町なら、山に行けば食べるものはいくらでもあるし、生き残れる自信があります」
物があふれてはいないけれど、絶対に必要なものはちゃんとある。人間らしい生活ができる場所……それが、堀口さんにとっての阿賀町なんですね。
そして今、堀口さんは会社の活動と並行して、地元・津川小学校での自然観察ボランティアにも力を入れています。

「小学生に教えているのは、まず自然。こんなに素晴らしい環境に、君たちは生まれて育っているんだよ、ということを伝えたいですね。そこから郷土愛が芽生えて、一旦は町外へ出てほしい。荒波に揉まれてから、最後に戻ってくるのはここなんだという気持ちを残したいと思っているんです」
外へ出るからこそ、ふるさとの良さに気づける。だからこそ、いつか戻ってきたいと思える心の土台を「今のうちに小学生たちの中に植えておきたい」と堀口さんは話します。

「その時、僕はもう天国にいるかもしれませんが、何人かの子が『そういや堀口っていう変なおじさんが、そんなこと言ってたな』と阿賀町に戻って来てくれているのを、天国から見て一人ほくそえんでいたいですね(笑)」
阿賀町という土地が持つ可能性を、外からのまなざしと面白がる力で掘り起こし、磨き、光らせてきた堀口さん。その活動の根っこに流れる「自分のため」というシンプルな信念は、実に強くてしなやかです。 私たちの日常の中にも、見方や考え方一つで「これは面白いかも!」と思えるものが見つかるかもしれません。堀口さんのお話を聞いて、とても前向きな気持ちになれました。
NEXT EPISODES
最後に、堀口さんゆかりの魅力的なお二人を、堀口さんからご紹介いただきました。
目黒農園の目黒貴博さん
1人目は、阿賀町で自然薯やエゴマの栽培に取り組む、目黒農園の目黒貴博(めぐろたかひろ)さんです。
「目黒さんは地域おこし協力隊の先輩で、新潟市から移住してきた方です。目黒さんが作る農産物はどれもおいしいですが、自然薯は格別です」と堀口さんが教えてくれました。
農産物の栽培に加え、農業体験や研修受け入れなども行っているという目黒さん。エゴマといえば、阿賀町の特産品でもありますよね。こだわりの農業や移住について、お聞きしたいと思います!
西会津の「農家民宿のばら」の岩橋義平さん
2人目は、阿賀町のお隣、福島県西会津で農業と農家民宿を経営する岩橋義平(いわはしぎへい)さん。堀口さんが西会津で活動していた際にお世話になったそうで、イベントの企画なども共に行ってきた方だとか。
「西会津の奥川地区で、減農薬竹酢米というこだわりのお米を作っていらっしゃいます。また、イベントの企画も一緒にさせてもらいました。6月7日に開催した『奥川七観音ウォーク』は、かつて岩橋さんと企画した思い入れがあるイベントなんです」と堀口さんはうれしそうに語ります。
目黒さんと岩橋さんのエピソードも、どうぞお楽しみに。











