関 仁 (せき ひとし)さんの自己紹介
出身は三条市で、高校卒業後すぐに旧鹿瀬町の役場に就職しました。阿賀町で暮らして46年になりますが、役場では主に農業土木や地域振興の仕事が多かったですね。60歳で定年退職し、2年間再任用された後、道の駅阿賀の里の運営に関わるようになりました。今は特産品開発や観光振興、移住支援などに取り組んで、町の活性化を目指しています。阿賀マッチワーク協同組合事務局長、阿賀町ゆきつばきの会 会長も務めています。
PROLOGUE
新潟県内に42ある道の駅。道の駅といえば、ドライブの途中に立ち寄れるちょっとした観光スポットとして知られていますが、最近では特産品の販売から子ども向けの遊び場、キャンプができたり温泉があったり、さらには泊まれたり…と、あらゆるアクティビティを展開する道の駅も増えてきました。
阿賀町にも「みかわ」と「阿賀の里」の二つの道の駅があります。五泉市との境目付近にあり、阿賀町の玄関口ともいえるのが「阿賀の里」。こちらの道の駅、国道49号線沿い、阿賀野川の豊かな自然に囲まれた場所にあるのですが、私が阿賀町に取材やプライベートで出かけた際は99.999999%寄る道の駅だったりします!
施設内には、地元の農産物や特産品、新潟県内各地のお土産から、燕三条の刃物コーナー、阿賀野川を眺める展望室に食堂も併設。建物の外には鯉が泳ぐ池に、阿賀野川を周遊する遊覧船乗り場もあり、阿賀野川の景色を満喫したり、食べて、買って、のんびり過ごしてと、とにかく退屈しない場所なのです。
最近では、既存の建物を改装して、全天候型の子どもの遊び場「あがりーな」がオープンしたばかり。観光客だけでなく、地元や近隣の家族連れも気軽に利用しやすくなりました。
ドライブの途中に立ち寄る休憩所から、観光や遊びを楽しむために訪れる目的地として、変わり続けてきた「阿賀の里」。
その立役者ともいえるのが、裏五頭山荘の阿部さんからご紹介いただいた関仁さんです。関さんは阿賀の里の運営に加えて、阿賀町への移住支援や阿賀町雪椿の会にも関わっているのだとか。
関さん、町を盛り上げる秘訣、いろいろと教えてください〜!
INTERVIEW
青年よ、農業に大志を抱け!
道の駅阿賀の里のオープンは平成7年(1995)。旧三川村と民間企業の共同事業が始まりでした。当初は阿賀町の集客にもつながった人気スポットでしたが、高速道路の開通や団体旅行の減少により徐々に売上は低下。
平成29年(2017)には阿賀町が施設を買い取り、新たな運営体制へと移行。観光客だけでなく地域の家族連れもターゲットにした施設づくりや、地元特産品の販売や充実を図るなど、魅力向上に努めてきました。
阿賀町に根ざした道の駅として新たなスタートを切って、さらなる魅力を発信する阿賀の里ですが、開業当初からその栄枯盛衰を見守ってきた一人が、現在、阿賀の里の代表を務める関仁さんです。
「阿賀町、旧鹿瀬町に来たのは、高校を卒業してすぐでした。農業高校の土木科で勉強したんだけど、当時の鹿瀬の町長が高校の先輩でね。町長が“農業土木の実習生を1人連れてこい”と高校に打診したそうなんですが、それに引っかかったのが俺だったんです(笑)」。
鹿瀬町で働き始めてからは、主に農業土木の仕事に従事し、田んぼの整備や農道、農業用水路の整備など、農村の基盤整備に携わりました。
「鹿瀬町のことは、どこにあるのかも、どんな町なのかも知らなかったねぇ。俗にいう千枚田っていう、小さな田んぼがところどころにあって、そこに行くための道路もない水路もない、そんな環境だったんですよ」。
当時の鹿瀬町の人口は約4000人。関さんは「農業が衰退しているわけではないし、農家の方もたくさんいたから、まずは農地整備からやっていこうと。効率的な農業をして、一つの産業として成り立たせようと、町として取り組み始めた頃でした」と振り返ります。
地域にある小さなものを、確固たる収入源に
大規模農業が難しい地形的制約の中で、いかに農業を維持し、発展させるか。それが町としての課題でもありました。そこで関さんが着目したのが、農業と観光振興を結び付ける、地域の特性を活かした特産品開発でした。
「例えばね、野菜なんか結構皆さん作るでしょ。作っても小規模だから、なかなかそれが収益に結び付かないし、そもそも売る場所がない。その状況を打開するため、道の駅の中に直売所の設置や新たな作物の栽培や導入を進めたんです」。
今や、阿賀町の特産品として知られるエゴマの栽培は、まさにその一例なのだとか。
「当時からエゴマを栽培している人が何人かいたんです。細々と自家用にね。それをちょっとお金にする方法考えようよって、地元の農家さん方を集めて話し合いをしたんです。地域にあるものを活かし、それを商品化することで、農家の収入増加を目指そうよって」。
阿賀の里を訪ねてみるとお分かりいただけるのですが、特産品のコーナーにはエゴマを扱った商品がずらりとそろっているのです。エゴマって時期になると葉が売っているのを見かけることはありますが、確かに加工品って県内ではそんなにたくさん見かけませんよね?
農業から観光振興へ。「多角的な産業育成が必要」だと考えていた関さんの心中には、地域の人々が自分たちの手で収入を得られる仕組みを通じて、持続可能な地域づくりを目指したいとの思いがありました。当初、道の駅阿賀の里は、その起点としての役割も果たしていたのです。
「楽しい」だけで終わらせない。産業の育成を担った道の駅へ
町役場勤務時代から、道の駅阿賀の里と密接なつながりがあった関さんですが、本格的に関わるようになったのは、役場を62歳で退職した4年前から。町と民間企業の共同運営でしたが、経営不振が続き、町として全面的に買い取りに踏み切った後のことでした。
道の駅の経営に関わるという決断には、関さんの強い思いと確信がありました。
「道の駅って全国いっぱいあるけどね、うちの場合は町として関わってきた施設だったし、それをつぶしてしまうのはプライドが許さないわけですよ(笑)。ここは町の中では一番の集客施設ですから、なくなってしまってはますます阿賀町に人が来なくなる、それは絶対に避けたかった」と関さんは施設の重要性を力強く語ります。
阿賀の里を受け継ぐにあたり、関さんが意識したのは「地域の魅力を凝縮した場所」であることでした。
「やっぱね、地域性のある道の駅にするには、地域の物を売らないと。どこでもあるものを並べてたって、お客さんもつまんないでしょう。あと、また来たくなる場所というのは、何度も見たい景色であったり、そこにしかないようなものが売っていたり、あらゆる人に響く良い場所が条件だと思うんですよ。川の魅力を活かすってのも地域性の一つだからね」。
阿賀野川沿いに立つ施設ならではの強みとして、阿賀の里は阿賀野川ライン下りで遊覧船も出航しています。施設や船の上からと、さまざまな角度から阿賀野川を眺めることで川を身近に楽しんでもらおうという計らいです。関さんは阿賀野川をこの地域ならではの魅力の一つとして掲げています。
「数年前に、川沿いにベンチを置くようになったんですよ。座ってもいいしさ、誰も座ってなくても絵になる風景でしょ。俺、この場所が阿賀の里の中で、一番この場所らしさってのがあってお気に入りなんですよ」と関さんはニッコリ!
阿賀町役場として取り組んだエゴマの栽培指導・商品開発をはじめ、関さんは今も変わらず、地域の資源を活かした商品開発に力を入れています。
「例えば、阿賀の里の食堂で販売しているおにぎりは阿賀町産のコシヒカリを使っているんだけど、そこで食べてお客さんが“おいしい!”ってなれば“お米は隣で売ってますよ”とすぐ紹介できるでしょう。食べること、買うことが阿賀町の農家さんたちの収入源につながったらと思っているんです」。
役場勤務時代から考えていた「多角的な産業育成」が、道の駅という場所を通じて少しずつ実を結んでいるようです。
EPILOGUE
若手の感性とアイデア、熟年の知恵と技術を町の強みに
さて、関さんのプロフィールを読んでいただくとよくお分かりいただけると思いますが、関さんの活躍は道の駅だけに止まりません。阿賀マッチワーク協同組合では移住支援、雪椿発見の地・阿賀町だからこそできる雪椿の椿油を使った商品開発にも携わるなど、阿賀町きってのハイパーマルチクリエイターとでもいいますか、とにかく多方面で活躍中なのです!
阿賀マッチワーク協同組合を立ち上げたのは、町の人口減少対策の一環で、関さんが役場勤務時代に雇用関係の仕事をしていた縁で関わっているそうです。
「あ、そうそう、以前、ごっつぉLIFEに登場した「パンとおやつ 奥阿賀コンビリー」の柳沼くんもね、その頃の縁なんですよ!地域おこし協力隊の制度を町に取り入れたのが平成26年だったんですが、最初は「誰でもいいから来てもらえばいい」くらいの気持ちだったところに、柳沼くんが来てくれてね。最初に会ったときは「こんな若いのか!」って驚いたよね(笑)」。
わ!まさか、柳沼さんと関さんにご縁があったとは!なんだかうれしいです!
「柳沼くんはエゴマの栽培や加工品の開発などで大活躍してくれてねぇ。彼のような若い人が移住してくれて、新しいアイデアを出してくれるのは町にとってすごくありがたいことなんです。こういう人たちをしっかりサポートしていくのも、私たちの大事な仕事ですね」。柳沼さんの活躍ぶりに目を細める関さんですが、支援するのは若手だけではなく、地域の高齢者の活躍の場を作ることも重視しています。
「年を重ねて仕事や農業から一線を退いた、いわゆる高齢者予備軍といわれる方々が、この先増えていきます。その皆さんがこの町で暮らしていくために何か仕事であったり、趣味につながることで小遣い稼ぎ程度でもいいからつなげられたらとも考えているんです。それがまた産業になっていくと思うからね」。
地域の方々の知恵や技術を活用した商品の開発や作物の販売、それが収入となるだけでなく、地域の人々の生きがいや元気にもつながるように。
訪れた人々の記憶に残るものや体験を提供できる場であるように。
「道の駅阿賀の里は地域の内外を向いている場所でありたいですね」と関さん。道の駅から阿賀町を見つめ直し、この先にかける思いを熱く語ります。