栗林 礼奈 (くりばやし れな)さんの自己紹介
1991年生まれ、新潟市南区味方出身です。立命館大学を卒業後、東京の大手人材会社やソフトウェア商社で営業職を経験しました。2020年に新潟にUターンし、翌年には父が経営するスーパー「マスヤ味方店」の店長に。自分が実際に食べて本当においしいと思った、こだわりの全国のうまいもんを揃えています。
PROLOGUE
新潟平野のほぼ中央に位置する新潟市南区。
区の中央には中ノ口川が流れ、緑豊かな田園風景が広がります。また、農産物の生産量は県内でトップクラスを誇り、ル レクチエや越後姫、白根白桃などフルーツ王国としても名高い地域です。
中ノ口川にかかる味方橋を渡り、街の外れへ。味方エリアにあるのどかな住宅街に、なんとも個性的で、大注目されていて、“パワースポット”とも呼ばれるホットな場所があることをご存知でしょうか?
それは、神社でも仏閣でもありません。味方橋西詰の交差点の脇に佇む、一軒の小さなローカルスーパー……
「マスヤ味方店」なのです!
実はごっつぉライターの私も、自宅から車で30分かけて時折買い物に訪れています。新潟市内はもちろん、市外や県外からわざわざ訪れるファンも!人気の理由は、お店の中へ入ってみると一目瞭然。
生鮮食品や調味料、日用品などスーパーの定番品とともに並ぶのは、他店ではあまり見かけないような、全国から選りすぐったこだわりの品々。
「新潟ではマスヤでしか買えない梅干し」「九州にある超有名店の鶏めしの素」「関東の高級スーパーで扱っているお菓子」「大阪の老舗喫茶店のプリン」など、あれもこれも目移りして「食べてみたい!」と思わせるものばかりです。
マスヤに行くとワクワクが止まらず、気がつけば財布の紐がゆるくなってしまうのが、唯一の難点(笑)。
なんと、オリジナルグッズまであるではありませんか!
元々はごく普通のスーパーだった同店が、今や個性が光る人気のスーパーへ。遠方からでもわざわざ足を運びたくなる店づくりをするべく、仕入れ・見せ方・発信を一新させたのが、店長の栗林礼奈さんです。
「おいしい」と噂を聞きつければ日本全国どこでも駆けつけ、仕入れるのは自分の舌で確かめた自信のある商品のみ。手書きのPOPやチラシには、自分で考えたキャッチコピーを。商品への思いや美味しさの理由をインスタグラムでスピーディーに発信する、それが栗林さん流です。
栗林さんならではの行動力とアイデア、そしてスピード感には目を見張るものがあります。そして、そこには自分らしくHappyに生きることへのヒントが隠されていました。
INTERVIEW
「絶対に継がない」自分探しをし続けた修業時代
マスヤ味方店は、1949年創業。栗林さんの曽祖父様が始められ、現在はお父様が社長、そして栗林さんが店長を務めます。もう一店舗の、マスヤ中之口店は、叔父様が経営されているそうです。
「私が生まれた時には、両親もマスヤで働いていたので、私にとっては遊び場の一つのような場所でした。家族の休みなんてほぼなく、両親は日々働き詰め。子供の頃、祖父から『将来、マスヤは礼奈にあげるからね』と言われていましたが、心の中では絶対に継ぎたくないと思っていたんです。どこに行っても“マスヤのれなちゃん”と呼ばれるのも嫌で。私は私だから、自分のやりたいことをするんだって、漠然と県外へ出たいと思うようになっていました」と振り返ります。
とてもパワフルな栗林さんですが、幼い頃は意外にもおとなしく引っ込み思案だったとか。早生まれで、何をしてもなかなか1番になることができなかったと言います。そんな彼女が、初めての成功体験だったと語るエピソードが面白いんです。
「小学校高学年の頃、雑誌で見たモデルさんが着ている洋服がほしかったんです。母親に普通に『買って』と言っても買ってくれなかったので、どうやったら買ってもらえるだろうと考えました。『100点満点のテストが10枚溜まったらどう?』と母に言うと了承してもらえて。それから洋服欲しさに頑張って勉強した結果、約束を果たして買ってもらえたんです。このことが、努力をすれば良い結果がついてくるという成功体験になり、自信につながっていったんですよ。これは今にも通じているかもしれませんね」。
栗林さんの行動力やバイタリティは、このような成功体験を積み重ねていった経験から生まれているのかもしれません。そして、このお話から、栗林さんの“商人(あきんど)魂”を感じたのは私だけじゃないはず……! 子供ながらに、自分だけでなく相手も喜び、お互いがWin-Winになれる交渉を成立させたわけです。もうすでに、小学生の時点で商売人じゃないですか!(笑)
そして、努力を重ね高校は進学校に行き、県外の大学へと進みます。
「良い成績をとって、良い大学に行って、良い会社に入れば幸せになれると思っていたんです。都会でバリバリ働くキャリアウーマンに憧れがあって、東京で就職をしました。でも、現実は思い描いていたものとは違っていて……。大手人材会社やソフトウェアの会社で営業職として働きましたが、どこか自分の心が満足しなかったんですよ。ワークライフバランスが充実していたり、稼ぎが十分だったりしても、私の場合は自分のやりたいことや、自分にしかできない仕事でなければ、幸せを感じられないのだと悟ったんです」。
“自分のやりたいことは何か?”そのことを見つけるために、ワーキングホリデーで海外へ行くことを決意し、仕事を辞めることに。ところが、渡航直前で新型コロナウィルスが流行。仕方なく断念し、充電期間として新潟に戻りました。
このことが人生の転機になるとは……!
「軽い気持ちでマスヤでアルバイトを始めたんですが、これがめちゃくちゃ楽しかったんですよ!東京で培った営業力やマーケティングの知識、全国にいるグルメ友達とのネットワーク、何より美味しいものが大好きな自分の強みを全部活かせると思ったんです。『自分にしかできない仕事はこれだ!』と、マスヤでやりたいことがマグマのようにグツグツと湧き出てきて、スケッチブック3冊分がビッチリ埋まるぐらい、全て書き留めました(笑)。
天職って、意外と身近なところにあったんです。今思えば、自分探しにさまよった“修業時代”があったからこそ今があるんですよ」。
2021年、正社員としてマスヤに入社をし、栗林さんの“自分の強みを活かした店づくり”が本格的に始まりました。
ローカルスーパーの異端児に、わたしはなる!
「まずは店づくりを学ぼうと、父と交友のあった五泉市にある『エスマート』さんを訪ねました。エスマートさんは、五泉市の郊外にあるローカルスーパーなのですが、遠方からも多くのお客様がご来店されていて、まさにうちが目指したい姿がありました。勉強をさせていただきたいとお願いすると、店長の鈴木さんは快く受け入れてくださって。同業者に対しても、別け隔てなく商品の仕入れや陳列のポイントなど、全て惜しみなく教えてくださったんです。ありがたく、とても感銘を受けました!
そしてエスマートさんで購入した商品の中で、私が1番衝撃を受けた商品が、この食べるオリーブオイルだったんです。早速、鈴木さんに仕入先を教えてもらいました」。
それから手書きのPOPを作り、商品を大量に陳列。インスタグラムで発信し、チラシにはこの商品1点のみを載せるという、これまでとは違う大胆な見せ方で、販売がスタートしました。
「最初は来店していただいたお客様におすすめしていました。買ってくださった方が『すごくおいしかった!』とリピートしてくださり、どんどんファンが増えて瞬く間に売り切れましたね。私が本当に美味しいと思ったものだったので、全部の情熱を注いだんですよ。それから徐々にセレクト商品を増やしていき、全国のうまいもんを求めて遠方からもお客様が来てくださるようになりました」。
マスヤに入社後、栗林さんが立てた目標が3つありました。マスヤの経営を黒字化すること。魅力的な商品を取り揃えて売り場を変えること。多くの方にマスヤを知ってもらうために、テレビや雑誌などのメディアに出ること。そして、自分自身は「スーパーの異端児になる」と決意を。
入社当時は店の経営状況が悪化していたそうですが、「やれることは全部やろう」と目標を達成するために日々奔走。そして計画通り、目標を達成していきます。スーパーの常識を取っ払い唯一無二の存在になる、そんな熱い想いに燃える栗林さん。
価格ではなく商品の魅力で勝負する手書きのチラシの作成、オリジナルグッズの販売、店舗や仕入先での動画配信など、次々とアイデアを形にしていきました。
「仕入れについては女性目線を意識して、主婦の皆さんが喜ぶ商品を意識しています。全国にいるグルメな友人たちからの情報はもちろん、自分の足を使って全国に探しにも行きます。『当たって砕けろ。会いたい人には会えるときに会いにいく』が私のモットーなので、電話でお取引を断られても諦めません。営業時代の経験があるからこそ、直談判が私の武器ですね(笑)。また、最近はお客様からおいしいものを紹介していただくこともあります」。
そして、有言実行となったメディアへの露出。2024年の春、地元のテレビ局が栗林さんのドキュメンタリー番組を放送しました。マスヤというローカルスーパーが注目されただけでなく、栗林さんの生き方そのものが多くの反響を生みました。
「マスヤが色々なメディアに出させていただくようになって、地元の方がとっても喜んでくれたんですよ。『これまで、味方と言ってもどの辺りか分かってもらえなかったけど、マスヤがある味方というと、あぁマスヤがあるところね!と反応してもらえるようになった』と。テレビに出た時も、放送後はどこに行っても『テレビ観たよ』『かっこよかったよ』『よかったね~』って声をかけてもらえて。マスヤはこの地域で73年の歴史があるので、私の赤ちゃんの頃から知っているお客様も沢山いらっしゃいます。そんな皆さんに喜んでいただけるのが嬉しいですね」。
栗林さんの輝きが地域を照らし、地域の誇りに。“パワースポット”と呼ばれる所以は栗林さんの人間力にあるのですね。
EPILOGUE
今やお買い物は、外に出向かなくてもできる時代。全国のうまいもんは、家にいながらポチッと指1本で買うこともできます。
でも、わざわざマスヤに行きたくなるのは、ワクワクするから、楽しいから、栗林さんに会うと元気が出るから!つまり、何を買うかよりも誰から買うかが大事なのかもしれません。
マスヤ味方店のこのスタイルが浸透してきた今、新たに挑みたいことをお聞きすると「スーパーという枠を超えて、色々なコラボレーションをしたいんですよ」と栗林さん。
これまでも店舗を飛び出てイベントに出店してみたり、講師を招いて食の勉強会をしたりしてきたそうですが、さらに様々な企画を計画中とのことで勢いは止まりません!
「今考えているのは、農家さんを集めて農家連合みたいなグループを作れたらなと。新潟の野菜って本っっっ当においしくて、凄腕の農家さんっていっぱいいらっしゃるんですよ。でも皆さん恥ずかしがり屋であまりアピールされていないんですよね。だから、もっと農家さんに焦点が当たるように、規格外のB品の野菜を集めてうちで販売したり、農家さんが店頭に立ってお客様とつながる機会を作ったりしたいです。
また、マスヤのお客様と農場見学ツアーもやりたいです。美味しい野菜がどのように作られているのか目で見て、話を聞いて、よりその野菜のストーリーを知れる機会があったらいいですよね。色々な農家さんたちとつながることで、みんなで新潟の農業を盛り上げていけたらと思っています」と目を輝かせながら話してくださいました。
最後に、地域の人々にとってマスヤ味方店はどんな存在でありたいかを尋ねました。
「最近、遠方からいらしたお客様が、マスヤで友人に会うという光景を何度か目撃したことがあるんです。お互い『えー?!』と驚いていて。そんな風にみんなが集まったり、『マスヤで買ったあれが美味しかったよ』と話題にしたり、生活の一部になれるって嬉しいなと思ったんですよ。買い物という枠を超えて、地域の人々の暮らしに欠かせない、なくてはならない存在になりたいです。みなさんが豊かな食生活を送れるように、食を通じてライフスタイルも提案していきたいですね」。
おいしいものへの共感、挑戦する姿勢への尊敬、イキイキと自分らしく働くことへの憧れ───。多くの人を惹きつける栗林さんの魅力は、栗林さんの“幸せな生き方”にあるのかもしれません。
スーパーの売り場は冷えていますが、栗林さんは熱い!(笑) 「いらっしゃいませ~ご来店ありがとうございます!」今日もマスヤ味方店には元気な声が響き渡ります。
NEXT EPISODES
最後に、新潟市の魅力的なお二人を、栗林さんからご紹介いただきました。
奥深き日本茶の楽しみ方を発信する「うずまき屋」
1人目は、新潟市江南区でお茶の問屋「有限会社向井園」を営む傍ら、「日本茶専門店 うずまき屋」も運営する向井さんご兄弟。
何人かのお客様から「うずまき屋のお茶を置いてほしい!」とリクエストがあって、栗林さんがインスタグラムから直接メールを送り、会いに伺ったそうです。
「いくつか試飲をさせて頂いたんですが、お茶の美味しさに感動したんですよ!日本茶というと、苦いイメージがあったんですが、うずまき屋さんのお茶は苦みがなく、旨味たっぷりで驚きました。それ以来、私も日本茶を飲む習慣ができたんですよ」と栗林さん。
確かにわたしも、日本茶は苦いというイメージがあります。日本茶のイメージがガラリと変わるお茶、ぜひ飲んでみたいです。
20年以上かけて、もみ殻堆肥を生み出した「長谷川農園」
2人目は、新潟市西区でチンゲン菜の栽培と、自家製もみ殻堆肥の生産に取り組む「長谷川農園」の長谷川正義さんです。
「新潟の農業界で知らない人はいないと言っても過言ではないほどの、超有名人なんですよ。知り合いの農家さんのご縁で出会ってから、チンゲン菜とサラダ菜をマスヤで販売させてもらっています。こだわりが超すごいのですが、とにかく野菜がおいしい!!私もいいつも勉強させていただいています」と栗林さん。
私もマスヤで購入して食べたことがありますが、このチンゲン菜とサラダ菜の美味しさには驚きました。詳しくお話を伺ってきたいと思います。
「うずまき屋」さんと「長谷川農園」さんのエピソードも、お楽しみに!