松本さんご夫妻の自己紹介
松本 高明(まつもと たかあき)さん【会津若松市出身】
高校時代、当時日本一だった会津高校合唱部に入部したことで音楽に心酔。東京芸大を卒業後イタリアへ留学するも、志半ばで音楽家の道を断念。その後、イタリア人らと現地法人を設立し、代表として2016(平成28)年まで日本文化事業に従事した。東日本大震災後には、故郷フクシマに強い思いを抱きながら、事業を通してニッポンを発信する活動に邁進。2016(平成28)年、家業である養蜂を継ぐべく完全帰国。2020(令和2)年、代表取締役に就任。創業80周年を迎え「次の80年プロジェクト」をスタートし、2022(令和4)年は本店を「Boutique del miele」にリニューアル。趣味は料理。
松本 彩子(まつもと あやこ)さん【滋賀県出身】
英語教師である父の影響で、幼少期より外国文化や外国人とのコミュニケーションに深く興味を持ち、外大卒業後はイタリアに単身移住。鞄職人に弟子入りしモノづくりを学ぶかたわら、フィレンツェ中央市場に就職し生計を立てた。市場では地元の特産品であるオリーブオイルやチーズをはじめ、サラミ、ワイン、そしてはちみつを販売していたことが、図らずも現在の女将業の役に立つことに。趣味はクラシックバレエと音楽鑑賞。
太郎庵の社長、目黒さん(ごっつぉLIFE会津3-1参照)からご紹介を受けて向かった、松本養蜂総本場(まつもとようほうそうほんじょう)さん。創業80年を迎え、2022(令和4)年10月にリニューアルされたという、会津若松市内の本店へ向かいました。
はちみつブティック「ブティック デルミエーレ」
こちらが松本養蜂総本場さんの本店、「Boutique del miele(ブティック デルミエーレ)」です。店名はイタリア語とフランス語の造語で“はちみつブティック”という意味。奥会津を中心とした松本養蜂総本場さんの養蜂場と、昔から信頼関係のある北海道・東北の養蜂場で採れる国産はちみつが、常時10種類以上そろう「はちみつ専門店」です。
洋服のブティックと同じように、その時々のおすすめや、要望に応じた「ピッタリの1瓶」をご提案くださるそうです。
店内はこんな感じ。大きなカウンターがあって、オシャレなバーのようです…。このカウンター越しに接客を受け、はちみつのテイスティングもさせていただけるのだとか。
カウンターと反対側の棚には、はちみつの瓶がずらり。
種類によってこんなにも色が違うんですね。知らなかった。淡い琥珀色のグラデーションが美しく、美術品を見ているようでした。
こちらのギフトボックスはイタリア紙製。日本ではなかなか見ないこの柄と質感に心奪われ、私ごっつぉライター、早速友人へ1箱送りました(笑)。
ミツバチが暮らす森を再現した「ビーガーデン」
店内のカウンター脇には、小さな回廊が。
ここを抜けると…
店舗裏にあるお庭「bee garden(ビーガーデン)」に出ます。数種類の樹木(全て蜜源樹)が植えられ、ミツバチたちが蜜を集める森をコンパクトに再現したお庭です。春から秋にかけてはここにミツバチの巣箱を設置し、ハチたちが蜜を集める様子やミツバチの生態を観察することができるそうです(ミツバチはこちらが何もしなければ、刺したりしないそうですよ)。
こちらは2022(令和4)年10月、本店リニューアルオープン直前に開催されたパーティーの様子。取材に訪れたのは冬だったので、木々の葉っぱは落ちてしまっていましたが、晩秋でもこんなにも緑豊かに茂るんですね!すてきなお庭!
2022(令和4)年のリニューアル以前からこのお庭はあり、ここで養蜂に触れるイベントも開かれていたとのこと(東日本大震災以降、近年は開催できず)。「お庭」と言っても周囲に囲いもなく、地域に開かれた空間で、とても心地の良い場所でした。取材に伺ったのは冬でしたので、これはまた、ミツバチが飛び回っている季節にお邪魔しなきゃだな!
イタリア大好き!代表夫婦が作る世界観
ここまでで、皆さん、よくお分かりになったと思います。この松本養蜂総本場さん、どこか日本離れしていますよね?店内外の雰囲気もお庭も。
それもそのはず、松本養蜂総本場 代表取締役の松本高明さんと、奥さまであり「女将」として販売も担当されている松本彩子さんは、大のイタリア好き。おふたりとも長年イタリアで暮らしていらっしゃったと言います。
こちらの本店リニューアルにあたっても、「イタリアの市場で日常的に行われていたように、お客さまと会話をしながら、はちみつを選んで欲しい。知って欲しい」と思われて設計されたとのこと。
そう言えば、ご紹介くださった太郎庵の代表目黒さんが「松本高明さんは、元オペラ歌手だよ」と仰っていたような…。イタリアでおふたりは何をされていたのか?そして、どうして会津で養蜂家に?今に至る経緯をお尋ねしました。
オペラ歌手から経営者へ
代表の高明さんは、東京藝術大学の声楽科を卒業後「イタリアのオペラハウスデビュー」を目指してイタリアへ。音楽学校や大学で勉強しつつ、声楽家として活動していくために奮闘されていたそうです。
「10年頑張ったのですが、志半ばでプロとしての道を断念しました。ただ、イタリアでの暮らしは私の性にとにかく合っていたので、このまま定住し続けるために、日本人として何ができるか悩んだ末、日本が大好きなイタリア人らと現地法人を設立し、日本文化事業を始めたんです」
留学から鞄職人へ
一方、高明さんが会社を立ち上げた翌年、フィレンツェ大学に留学に来ていた当時大学生の彩子さん。高明さんが代表として主催した事業の、ボランティアスタッフとして彩子さんがお手伝いをしたことがきっかけで、おふたりは出会います。
1年の留学を終えて帰国する際、「次イタリアに来る時は、鞄職人の修行に来ます!」と高明さんに宣言した彩子さん。高明さんは「また来るって言って、来ない人はいっぱいいるけどなぁ…」と思ったそうです。
「言語習得が目的でイタリアに行ったんですが、町のいたるところで見かけた鞄職人の仕事風景に心奪われて、私も鞄職人になりたい!と思ったんです。一旦帰国して、大学を卒業し、就職して資金を作り、3年後にはイタリアへ向かいました」
と、彩子さん。
「有言実行で、驚きましたね(笑)。この再会から一気に親しくなり、気が付けば一緒に暮らすようになりました」
と、高明さん。
「会津に戻って、養蜂をやってくれないか」
イタリアは本当に魅力的で、「このまま一生イタリアで…」と思っていたおふたり。ところが、2015(平成27)年の秋、突然高明さんのお母さまがイタリアへ来られたことで運命が大きく変わります。
「私がイタリアで暮らし始めて16年が経っていましたが、母が来たのは初めてでした。その理由は“会津に戻って家業の養蜂を継いで欲しい”というものでした」
と、高明さん。
その頃、ご実家の養蜂場は、亡くなられたお父さまの後をお母さまが継ぎ、お母さまが代表を務められていました。2011(平成23)年の東日本大震災以降、風評被害の影響もあり、経営状況は良くなかったと言います。
「東日本大震災以降、正直私も複雑な思いでいました。地元の同級生が会津で頑張っているのに、私は海外のイタリアで、どこか他人事のように毎日を過ごしている…。福島のために、会津のために何かしなければいけないのではないかと。母からの“会津に戻って、養蜂をやってくれないか”という言葉に背中を押され、“ここからまた、新しい人生もありだな”と決意し、翌年の2016(平成28)年には現地法人を閉め、帰国しました」
「君は鞄を作って」と言われて帰国したものの…
この高明さんの動きに合わせて、鞄職人としてイタリアで活躍し始めていた彩子さんも帰国。2016(平成28)年にご結婚されました。
「“養蜂はやらなくていい。君は鞄を作って“と言われて帰国したのですが、なぜか徐々に深く関わるようになり、今では”女将“になってしまいました…」
と、笑う彩子さん。
もともと販売の仕事をされていたため、はちみつの販売も始めてみると楽しく、どんどんやりたくなってしまったそうです。「あれ…?最近、鞄作ってないなぁ…」と思うことも、しばしばあるのだとか(笑)。
ただ、今でも鞄職人としてのお仕事は継続されており、完全オーダーメイドの受注生産。二足の草鞋!女将と鞄職人さん!カッコイイですね!
養蜂初心者のイタリア人
会津に戻られ、家業を継がれた時のことを振り返り…
「もう私は完全に頭の中がイタリア人になっていたんですよね(笑)。例えば、物事なんでも白黒つけようとする。だから、会津に戻ってきて、何かと苦労しました。たぶん当時の従業員も、関係者の方たちも、私のことを“宇宙人が来た”くらいに思っていたと思いますよ(笑)」
と、高明さん。帰国後2・3年はこの苦労が続いたそうです。
また、養蜂に関しても初心者だった高明さん。長年勤めていらっしゃる従業員さんたちから習いつつ、お父さまやお母さまがされてきたことを学び直したと言います。
「幼い頃、父に連れられて養蜂場に行ったことを覚えていますが、作業車に染み付いた、養蜂用具やハチやに(ミツバチの巣箱のすき間や内部の壁に付着している、ねばねばした茶褐色の樹脂のようなもの)の匂いが嫌で嫌で…。大人になっても、絶対に養蜂はやりたくないと思っていたくらいですからね。養蜂のことは何も知らずに大人になりました。養蜂初心者のイタリア人が代表になって、従業員は大変だったと思います…(笑)」
と、高明さん。
おふたりがイタリアで暮らした意味
「ただ、この私の中にあった養蜂のネガティブなイメージも、イタリアで暮らしたことで大きく変わっていました」
…と、言うと?イタリアの養蜂は、日本と違っていたということですか?
「そうなんです。養蜂は養蜂なんですが、ヨーロッパでは、研究者自身が実際に養蜂を営んでいることが多く、アカデミックな仕事として捉えられている側面があるんです。私がネガティブに感じていた養蜂のイメージとはずいぶん違っていて驚きました。」
と、高明さん。
高明さん曰く、「ミツバチの生態は神秘的で、今でも謎に包まれている部分が多い」とのこと。日本ではこのような視点から養蜂にスポットライトが当たることは少ないので、松本養蜂総本場さんは事業を通じて、養蜂のアカデミックな面を発信していきたいと考えているそうです。
続いて彩子さんも
「はちみつの買い方・選び方も、イタリアと日本では全く違いました。まず、はちみつに何種類も種類があること、それぞれに風味が違うことがまだまだ日本では知られていないですもんね。イタリアの家庭では普通に複数種類のはちみつが置かれていて、気分や体調によっても使い分けられていましたし、市場では売り手が相談に乗りつつ、おすすめのはちみつを販売する…というのが一般的でした」
と。
そうか、おふたりがイタリアに長年いらっしゃったことは、松本養蜂総本場さんの事業にとっても大きな意味を持つんですね。
「私たちがイタリアで経験したことを強みに、私たちだからできることをやっていきたいと思っています」
と、高明さん。
おふたりが大好きなイタリアが、会津や日本の養蜂に新しい風を吹かせてくれること、おふたりの力となり松本養蜂総本場さんを力づけてくれること、なんだか、うれしいですね。そして、今後の展開が楽しみ!
父たちが守った森、父の偉大さを知る
会津に戻り、お父さま・お母さまがしてこられたことを学び直した高明さん。
「父たちが奥会津の森を残そうとしてくれたことの重要性を、今改めて感じています」
と、最後にお父さまの話をしてくだいました。
松本養蜂総本場さんの主な養蜂場(ミツバチの巣箱を設置している場所)は、奥会津のブナの森。こうした貴重な森林が、開発という名のもと、戦後50年の間に昭和20年代の10分の1にまで減少するほど伐採され続け、養蜂業の存続が危ぶまれた時期もあったと、高明さんは言います。
「奥会津に広がる落葉広葉樹林は約8万ヘクタールあり、本州最大で世界でも珍しいブナの原生林なんです。父たちは、当時いち早くその価値に気付き、多くの地域住民だけでなく、大学教授や専門家、共感してくれたさまざまな人々の力を借りて、手弁当で数十年に渡り森林を守る活動を続けました。現在、林野行政は新たな岐路に立たされていますが、あの頃、未来を見据えて後世のために情熱を捧げてくださった皆さんのことは決して忘れてはいけないと思うのです」
高明さんのお父さま、松本雄鳳(ゆうほう)さんが行ったブナの森を守る活動については、松本養蜂総本場さんの公式WEBサイト「私たちのこと」に詳しく書かれています。ぜひご一読ください。
高明さんのお父さまらが守り抜いたブナの森から採れたはちみつは、2006(平成28)年に「JONA(日本オーガニック&ナチュラルフーズ協会)」から、国産で初めての有機はちみつとしての認証を取得しました。手付かずの蜜源、有機認証基準に従って飼育したミツバチ、有機認証基準に従った生産方法。いずれも、お父さまが当たり前に蜂飼いとして生きてきた生き方そのものであり、守り続けてきたもの。そのバトンを、物語を、しっかりと受け継ぎ、養蜂を続けることで森を守る高明さんと彩子さんが、今ここにいらっしゃる。亡きお父さまも、お喜びのことと思います。
松本養蜂総本場さんの商品はオンラインショップでも購入可
ここまでご紹介した松本養蜂総本場さんの商品は、オンラインショップでも購入可能です。…が、できれば、本店のあの空間、裏のお庭「ビーガーデン」の心地よさを感じていただきたいので、実店舗へも足を運んでいただきたいです。そしてなにより、おふたりに会っていただきたいです!
こんなにも心がホカホカして、なんだか幸せな気分で帰路についた取材は初めてでした。空間もお話も、そしておふたりのお人柄も。おふたりからあふれ出る仲の良さと、ミツバチや会津の自然を大切に思う気持ち。全てが、このホカホカの原因だと思います。
高明さん、彩子さん、ありがとうございました!おふたりがすてきで、なんだか聞きすぎちゃったかも…。プライベートなお話をたくさん聞いてしまって、ごめんなさい…!ビーガーデンにミツバチが飛び回る頃、またお邪魔したいと思います。ビーガーデンでのイベント開催、楽しみにしています!(松本養蜂総本場さんの公式WEBサイトの「お知らせ」を要チェックだな…!)