
富山 聡仁 (とみやま としひと)さんの自己紹介
新潟市中央区出身です。大学進学を機に上京し、2015年に新潟へUターンしました。家業の不動産・駐車場経営・ペット葬祭業に携わる傍ら、経営コンサルティングを行うNEPPU JAPAN、2016年には一般社団法人 新潟今昔写真を立ち上げました。新潟今昔写真の活動で、古い写真を通じて地域の記憶を次世代へ繋ぐ活動を続けています。最近の趣味はマラソンです。
INTERVIEW
気が張っていた東京時代を経て、新潟で見つけた自然体の自分
古い写真と現在の風景を重ね合わせ、街の記憶を掘り起こす「新潟今昔写真」。その代表を務める富山聡仁さんは、かつて総合商社や財務省という、いわゆるビジネスの最前線で世界を股にかけて活躍していました。
そんな輝かしいキャリアを持つ富山さんですが、新潟へ戻る決意をしたのは2015年のこと。11年に及ぶ東京での生活は刺激的でやりがいもありましたが、一方で非常にハードな日々。当時、お子さんが生まれてまだ3ヶ月。東京で結婚し、親となる中で「このまま東京で自分らしく、のびのびと生きていけるだろうか」という迷いも生じていたといいます。

その中で湧き上がってきたのが「これだけしんどい思いをして、誰かに喜んでもらうために働くなら、自分の身近な人、生まれ育った新潟の人に喜んでもらいたい」という思いでした。
「東京にいた頃は、自分でも気づかないうちに常に気が張っていたんだと思います。子育てに関しても、周りの空気に合わせて無理をしなければならないような、自分本来の感覚ではいられない違和感がありました」
2015年7月、富山さんは長年過ごした東京を離れ、故郷・新潟へと戻ってきました 。そこで一番に感じたのは「自然体でいられる心地よさ」だったといいます。
「新潟は仕事でもプライベートでも、背伸びをせずに『自然体』でいられる場所。自然が身近な環境も魅力ですが、人もどこかガツガツしすぎていない。公私ともにのびのびと日々の生活を送れていることが、今の私にとって新潟の一番の魅力だと感じています」
没入した「記憶」。一冊の本と母の物語が原体験に
さて、新潟今昔写真のことも忘れちゃなりません。富山さんが「古い写真」にこれほどまで情熱を注ぐのには、ある原体験がありました。それは小学3年生の頃にさかのぼります。
「母が買ってきた『新潟わが青春の街角』(1990年/新潟日報メディアネット発行)という本です。母が『昔の街はこんなふうだったんだよ』と話してくれるのを聞きながら、その世界にどっぷりと没入していました」

特に強く心に刻まれているのは、1955年(昭和30年)に起きた「新潟大火」の後の写真でした。
「母は当時被災していて、家が焼けてしまったんです。逃げる時にふわーっと火の粉が舞っていたという話を、写真を見ながら何度も聞かせてくれました。その時の風景やすすだらけになった街の様子を、幼いながらに自分の記憶のように追体験していたんだと思います。まさに『没入』という言葉がぴったりな感覚でした」と富山さんは振り返ります。
富山さんのルーツをたどると、さらに街との深い繋がりが見えてきます。母方の曾祖父はかつて古町にあった「小林百貨店(のちの新潟三越)」の創業者であり、父方も古町で長く商売を営んできました 。

「祖父母たちがどんな思いでこの街で生きていたのか。写真の中の風景に自分や家族の歴史を重ねて、妄想を膨らませるのが楽しかったですね。東京でバリバリ働いていた頃はすっかり忘れていましたが、一緒に新潟今昔写真を始めた先輩から、鎌倉の今昔写真の話を聞いたときに『あ、俺、昔から古い写真が好きだったわ』と幼い頃の感覚が鮮明に蘇ってきました」
懐古趣味ではなく、そこに生きた人々のストーリーに思いを馳せる。その幼少期の体験こそが、富山さんの活動の根底にあったのですね。
家業が生む意外な繋がり
富山さんの仕事は、新潟今昔写真の活動だけではありません。家業である不動産・駐車場経営、そして経営コンサルティングと、複数の顔を持っています。一見バラバラに見えるこれらの仕事も、富山さんの中では一つの「街」というキーワードで繋がっています。
「不動産の仕事は土地のオーナーさんと話をしたり、駐車場の開発を通じて街の変化に直接関わったりする仕事です。一方で新潟今昔写真は、その土地で人々がかつてどう暮らしてきたか、その文脈を解き明かす活動。特に意識はしていませんでしたが、結果としてどちらも街の変遷に携わっているという点では、後付けのように自分の中で繋がっていきました」
こうした複数の顔を持っているからこそ生まれるユニークなコラボレーションもあります。今回富山さんを紹介してくださった「阿部仏壇製作所」の吉田香那子さんとは、実はUターン支援の活動を通じて知り合った10年来の友人同士。その縁が意外な仕事の繋がりを生んでいます。

「家業の一つとしてペット葬祭業も営んでいるのですが、そこで阿部仏壇製作所さんの木製の位牌を取り扱わせていただいています。飼い主さんのペットの足型をレーザー加工で木の位牌に焼き付けてくれる商品ですが、とても可愛らしくて人気なんです。吉田さんが提案してくれたのがきっかけでした」
友人関係から始まり、互いの専門性を活かしたビジネスへと発展する。そんなゆるやかで温かい関係性も、新潟という適度な距離感のコミュニティならではの良さなのかもしれませんね。
EPILOGUE
歴史を重んじた「これからの街づくり」へ
街を軸にした活動を通じて、思いの先にあるのは「街は常に役割を変えながら生きているものという確信ですね」と富山さん。だからこそ、富山さんは「かつてのにぎわいに比べて、新潟の街は衰退した」という論調を好みません。

「昔の幻影を見て今を嘆くのではなく、今の役割を見つめることが大切だと思うんです。例えば古町なら、かつて商店街を中心とした買い物の街でしたが、今は金融機関やオフィスが集積し、職・住・食が近接する新たなエリアへと進化しています。教育環境を求めて若い世代も移り住んできている。単純な比較ではなく、今の街の文脈を正しく捉えることが大切だと考えています」と力強く語ります。
さらに振り返れば、かつての古町には多くの旅籠屋(はたごや)が並んでいた時期もありました。そうした長いスパンで街を見れば変化は必然であり、同時に過去との繋がりが未来のヒントになることに気が付きます。富山さんの視線は、常に「連続性のある街の発展」に向けられています。

「再開発で新しいビルができるのは素晴らしいことですが、それがどこにでもあるような無機質なビルではもったいない。その土地にかつて何があったのか、どんな歴史が刻まれてきたのか。そうした文脈と土地の歴史的背景を踏まえた開発がなされると、街はもっと面白くなるはずです」
実際、富山さんは周辺の不動産開発に対しても、歴史的な観点からアドバイスをすることもあるといいます。また、工事中のビルの仮囲いにその場所の古写真を掲示する提案など、実務を通じても、歴史と未来の橋渡しを試みています。
一枚の写真から失われた風景を呼び起こし、これからの街を照らし出す。富山さんの活動はデジタルツールを使いながらも、その実体は徹底して「リアルな人の想い」と「足で歩く体験」に基づいています。
「街の歴史を、ただの思い出で終わらせない」。一般的な街づくりとはひと味違う、富山さんの街の未来への挑戦。新潟今昔写真の活動を通じて、富山さんらしい新しい街づくりの視点から目が離せません。










