涌井 陽 (わくい ひろし)さんの自己紹介
生まれも育ちも加茂市です。学生時代に一度東京に出ましたが、2007年に地元に戻ってきました。今は5代目として「涌井金太郎商店」を継いで、17年になります。2015年に店を新しくして設備も整えました。看板商品の笹団子と水ようかんには特にこだわっています!生まれ育った加茂に恩返しがしたくて、若い人もお年寄りも楽しめる街づくりに微力ながら取り組んでいます。
PROLOGUE
加茂駅から約1.8kmにわたって続く、8つの商店街。
訪れたのは平日の昼間でしたが、商店街には車や人が行き交っていました。
駅からのんびり歩くこと約20分。
商店街の最奥に位置するのが新町(しんまち)商店街です。
これまで歩いてきた商店街は近代的な鉄骨造のアーケードでしたが、新町商店街はなんと木造雁木(がんぎ)!
ちなみに雁木とは、建物の1階部分を道路側に張り出させて、その下に歩道のような空間を設けた豪雪地特有の建築様式。張り出した部分が鳥の雁(がん)が翼を広げたような形に見えることから「雁木」と呼ばれるようになったとされています。
新潟では上越市高田、阿賀町津川、長岡市栃尾の雁木通りが有名ですが、雪国の生活を支える知恵から生まれた通路空間なのです。
新町商店街の木造の雁木が連なる様子は、他の商店街とは一線を画し、思わず足を止めてしまいます。
雁木に沿って町屋風の建物が立ち並び、昔ながらの風情が色濃く残っているように感じました。
さて、新町商店街の中ほどでは、「金太郎」のイラストが描かれた看板を発見!
こちらの和菓子店が、前回ごっつぉLIFEに登場した鴨川の佐藤晃一さんからご紹介いただいた「涌井金太郎商店」です。
5代にわたって営まれてきたという老舗和菓子店のショーケースには、名物といわれる笹団子や季節の和菓子が並んでいます。
お店の奥からにっこりと顔を出してくださったのは、涌井金太郎商店の5代目、涌井陽(ひろし)さんです。
涌井さんは伝統ある和菓子づくりだけでなく、佐藤さんのように加茂の街の活動にも励んでいるそう。
食いしん坊の私は涌井さんの作っている笹団子も気になるし、この素敵な雁木も気になる……そんなわけで今回は、和菓子と加茂の街のお話を涌井さんにたっぷりと伺ってきました!
INTERVIEW
ひと味もふた味も違う、涌井さんの笹団子と水ようかん
涌井金太郎商店の創業は明治29年頃。新町商店街に店を構えて早120年になります。
さらっと書きましたが、120年って!すごいですよね?
「金太郎」という名称は、初代が金太郎さんだったことに由来するそうで、地元では「キンタロサ」との愛称で親しまれています。
さて、涌井金太郎商店というと、まず何といっても知っていただきたいのが笹団子!
「え?笹団子?新潟県民は笹団子くらいじゃ驚かないよ」というそこのあなた。
広〜い新潟県において、笹団子は地域や作り手によっても使う素材や作り方が異なるそうですが……ご存知でしたか?
私は大人になるまで知りませんでしたよ……!(恥)
そんな新潟でド定番の笹団子なんですが、涌井金太郎商店のお店がある加茂市や三条市、旧下田村などでは、作りにある特徴があるといわれています。
それは、ヨモギで作る餅に「ごんぼっ葉」の葉を練り込んでいること!
ごんぼっ葉とは、オヤマボクチ(ヤマゴボウ)という山野草の葉のこと。うちわほどもある大きな緑の葉を持つ多年草で、県央地域の笹団子作りに欠かせない食材として使われています。
涌井金太郎商店ではかつて、近隣の山野に自生するオヤマボクチを採取して使っていたそうですが、現在は長岡市の契約農家で栽培されたものを使用しています。
さて、ごんぼっ葉が入ることで、一体どんな違いがあるのかというと「団子にコシが出るんです。うちの笹団子の場合は、少し繊維が残るくらいの状態で加えて、歯ごたえと香りをしっかり残しています」と涌井さん。
涌井金太郎商店の笹団子のベースとなるのは、ごんぼっ葉とヨモギ、そして上新粉と餅粉。ごんぼっ葉だけだと固くなりすぎるので、ヨモギを混ぜて軟らかさを調整しているのだそうです。
「時代とともに人々の好みも変わるので、その都度調整しながら、ちょうどいい食感を追求しているんです」と涌井さんは話します。
また、団子を包む笹と仕上げにも独自のこだわりがあります。
「うちでは生の笹を使っています。鮮やかな緑色と強い香りは、生の笹ならではの魅力なんです。あとはね、団子は蒸して仕上げるお店が多いと思いますが、うちでは団子を釜で煮ているんです」。
この方法により、もちもちとした食感と豊かな香りが際立つのだとか。
また、毎年6月15日に開かれる加茂市の長瀬神社の春季祭礼「上条まつり」においても、涌井金太郎商店の笹団子が大活躍!
このお祭りは地元で「だんご祭り」とも呼ばれ、地域の人々が無病息災・災厄消除を願って団子を食べる風習があるそう。涌井さんの笹団子は地域のお祭りや文化・風習に深く関わっているんですね。
一方、笹団子と並ぶ看板商品が、冬季限定で販売される「水ようかん」。
北海道産の小豆を使ったこしあんに、金時豆をアクセントとして加えている水ようかんは、夏によく頂く水ようかんとは違って、ぷるんとした食感を残しつつ、あんこのしつこくない甘さが絶品の知る人ぞ知る水ようかんなんです!
「水ようかんは70年以上の歴史があります。冬の味覚として定番商品になっています」と涌井さん。10月下旬から4月上旬までの販売とのことで、まさに今この時期!
初夏の笹団子に、冬の水ようかん。
最近は店頭だけでなくECサイトなどでも販売していることで、県外から商品を買い求める人も増えているそうです。
商売と自分を変えた、人と人との出会い
現在5代目として涌井金太郎商店を守り続けている涌井さん。
先代から受け継いできた独自の和菓子を作り続けていますが、あとを継ぐまでは決して順風満帆ではありませんでした。
「実は、最初からこの仕事を継ぐつもりはなくて、サラリーマンとして別の仕事をしていました。ですが、27歳の時に父が病で倒れて。それをきっかけに急遽、5代目を引き継ぐことになったんです。加えて父の病気の直後、祖父も急逝してしまいました。だから、父と祖父から教わる時間がほとんどなかったんですよ」。
父と祖父に和菓子作りの基本を教えてもらったのは、わずか半年ほど。
涌井さんは穏やかな表情で語りますが、決して平坦な道ではなかったはずです。
二人が亡くなった後、涌井さんを支えたのは、加茂で長年菓子店を営む同業者の皆さんだったといいます。
本来、同業であれば競争相手のはず。
しかし、苦境に立った涌井さんを見捨てるわけにはいなかいと、菓子店を営む方々が涌井さんを支え続けました。
「困ったことがあったら何でも聞いてくれと、技術的なことから経営のアドバイスまでしてくれて。本当に助けていただきました」。涌井さんは懐かしそうに語ります。
「基本的な製法を一から教えてくださった方もいれば、お客様との付き合い方を教えてくれる方もいて。加茂の人たちってなんて温かいんだろうと思いましたね。支えがなかったら、今の自分はありませんから」。
……なんて泣けるエピソードなんでしょう(涙)。
「地域とつながりを持つことの大切さを実感した時期でもありました。
それから商売を始めて10年くらい経った頃でしょうか。
何となく心の余裕ができたこともあって、加茂の商店街の若手の集まりに顔を出すようになり、同世代と知り合う機会が増えてきました」。
特に印象に残っているのが「やっぱり鴨川の佐藤晃一さんとの出会いですかね!」と涌井さん。
「晃一さんとは高校の先輩・後輩の関係だったんですが、本格的に知り合ったのは商売を始めてからですね。晃一さんは本当にアイデアマン!いつも新しいことにチャレンジしています」と笑顔で語ります。
佐藤さんの「加茂をもっと元気にしたい」という熱意に刺激を受けたという涌井さん、佐藤さんとの出会いを通じて、地域全体のことを考えるきっかけが得られたそうです。
何より実感したというのが、加茂の若い人たちのエネルギーと地元愛。
若手と話していると「自分も何か新しいことをしたい!」と思うようになったと涌井さんは自身の気持ちの変化を振り返ります。
「みんな、加茂のことが大好きな人ばっかりなんです。
決して大きい街ではないですが、こうやって若手が自分の街を好きといえるって、すごく貴重なことなんじゃないかな。
この街をもっと良くしたい、もっと多くの人に知ってもらいたいって、そういう思いを共有できる仲間ができたことが、本当にありがたかったですね」。
EPILOGUE
地域のコミュニティを支える。それも商店街の役割
涌井さんが涌井金太郎商店を継いで17年になります。
8つの商店街がにぎわいを少しずつ取り戻している今、あらためて加茂市の現状と課題について、目を向けたいとご自身の思いを語ってくれました。
「最近、加茂市も移住促進や若手支援に力を入れているんです。もちろん、それも大切なことで移住してきた方々や若い方たちのおかげで、商店街も新しい風が吹き始めてうれしく思っています。でも、私はちょっと違うスタンスで地域に関わりたいとも考えているんです」。
ちょっと違うスタンス?と尋ねると、涌井さんの表情が真剣になりました。
「この加茂の街を作ってきたのは、高齢者や年配の方々です。今も加茂で暮らす高齢の方々の暮らしも、しっかり守っていかなければならないと感じていて。
私が店を継いだ時、周りの年配の方々に本当に助けていただきましたから。技術はもちろん、商売の心得まで教えてくださって、その恩を返したいという思いもありますし、何より、この街の歴史や文化を守ってこられた方々への敬意が一番ですね」。
涌井さんの思いの背景には、これまでの加茂で受けてきた恩恵にあるということですね。
確かに、どこの街、どの場所においても、若い人たちの力も絶対に必要だし大切なんですが、年配の方々の知恵や経験も同じくらい貴重だと、私もごっつぉLIFEの取材を通して感じています。
「年齢は関係ないですよね。私は両方のバランスを取りながら、みんなが暮らしやすい街づくりができればと考えているんです」と涌井さんはほほ笑みます。
実は新町商店街に連なる木造雁木も、近年の道路拡幅工事の際に地域の声や要望を反映し、継承されたものでした。
電信柱をなくして地中に電線を全て入れているなど、昔ながらの商店街の雰囲気を今に伝える、貴重な景観として親しまれています。
あらゆる年代の思いを形にするべく、涌井さんはさまざまな取り組みに力を入れたいと意気込みます。
「市の協力を得て、今年の10月からお年寄りの方々が買い物に来やすいように、帰りのバス料金を免除する実証実験を始めました。
商店街の日常の売り上げを確保しつつ、七谷や加茂の奥地から買い物に来る高齢者の方々の生活を支える。そんな取り組みができればと思っています。
加茂には、若い人も年配の方も、みんなが暮らしやすい街であってほしい。そのバランスを取ることが、今の私の役目だと感じています。地域の方々と力を合わせれば、きっと大きな変化を生み出せるはず。そのために、自分にできることを少しずつでも実践していきたいですね」。
「商店街の人間は、単にモノを売るだけでなく、地域のコミュニティを支える役割もある」と涌井さん。
「お客様との会話を大切にしたり、地域の行事に積極的に参加したり……そういった小さな積み重ねが、街の活力につながると信じています」。
加茂の伝統の菓子文化を守りながら、街に新しい風を吹かせる涌井さん。優しく頼もしい眼差しが……まさに加茂の「金太郎」のよう。
涌井さん、これからの加茂の街の変化、楽しみにしています!