
金子 勝之 (かねこ かつゆき)さんの自己紹介
昭和27年(1952年)、福島県河沼郡柳津町(やないづまち)に生まれ育ちました。高校生の頃から写真が趣味で、結婚後30年間にわたり柳津町で写真屋を営んでいました。現在の仕事は……喫茶店をやっている農家か?なんだろな、クエスチョンです(笑)。
PROLOGUE
おぜしかプロジェクトの小山抄子さんからご紹介いただいた、「ティールーム山ねこ」の金子勝之(かねこかつゆき)さんに会うために、奥会津の柳津町へ向かいました。

奥会津とは、福島県会津地方の南西部にある地域。柳津町、三島町、金山町、昭和村、只見町、南会津町、檜枝岐村の7町村の総称であり、中でも柳津町は奥会津の玄関口とも言われています。
“奥”と付くだけあって山深いエリアにある同店。小山さんからの情報によると、「無農薬で育てたブルーベリーが絶品」「完全予約制の喫茶店」「おしゃべりが楽しい」とのこと。ワクワクしながら車を走らせました。

到着したのは、緑色のトタン屋根で民家のような建物。「ここで合ってるのかな?!」と思いながらよーく見ると、「山ねこ」と書かれた看板がありました!

店内は、丸太で作られたテーブルが2卓に椅子が4脚、そしてメニューは、ピザと紅茶のみ。こぢんまりとアットホームな雰囲気が漂います。

写真下:金山町の特産品「奥会津金山赤カボチャ」で作った赤かぼちゃピザ ※ご提供画像
「奥会津ピザ」と名付けられた4種類のピザには、自然農法で育てたブルーベリーやお手製の天然わらびのキムチ、また奥会津エリアの特産品である金山町の赤カボチャや昭和村の原木しいたけを使用。奥会津の恵みをたっぷり味わえる一枚です。

今回は「ティールーム山ねこ」を営む金子勝之さんにインタビュー。ここまでお読みいただいた方は、「今回は喫茶店のご主人のお話ね!」と思われたかもしれません。しかし、それは正解であり不正解。なぜなら金子さんの肩書は、喫茶店店主、自然農法農家、絵描き、移住者と地元住民のつなぎ役……と一言では表すことができない方なのです!
忘れかけていた大切なものを思い出すような、心温まるお話をたっぷりお聞きしてきました。
INTERVIEW
写真屋として歩んだ30年

店舗の外観に掲げられた2枚の看板。1枚には「美味いじゃむはここで作っています 試食どうぞ かねこ」、もう一方には「金子写真社」と書かれています。ジャムと写真?一見相反するこの2つが金子さんの今昔物語です。

「写真が好きで、高校卒業後は上京して都内の現像所に勤めました。カメラマンを目指していたけれど、写真の学校も行けなかったしカメラマンに弟子入りすることも難しくてね。現像所では、時代の最先端をいく商業写真や報道写真に触れたり、撮影現場に足を運んだりしながら、写真の仕事を学んでいきました」
しかし、だんだんと自分が撮りたいものとのギャップを感じるようになった金子さん。「自分が撮りたいのは見た目が美しい外側ではなく、内側の美しさ、すなわち“人の心”なんだ」と気付いた時に、ふるさとの何気ない日常風景や人々の顔が思い浮かんだといいます。
そして26歳の頃に帰郷し、4年後、結婚を機に婿入り先の奥さまの実家の敷地内で「金子写真社」を開業。それから30年にわたる、金子さんの写真屋人生が始まりました。

「その頃の写真屋の主な仕事は、建設会社の現場写真のフィルムを預かり自社で現像し、写真を納めること。ちょうど子どもが生まれて生活のこともあるし、一番好きな人物写真だけでは食べていくのは難しかったんです。それでも時折、会津の人たちを撮り歩きしながら写真屋の仕事に励みました」と金子さんは当時を振り返ります。

それと同時に、金子さんがひそかに始めたことがありました。
「ちょっと行ってみますかね?」と、山ねこからほど近い場所にある金子さんの畑に案内してもらいました。
「たしかなものを食べさせたい」親心を原点に

娘さんが誕生したことをきっかけに、金子さんが始めたのが野菜作り。きゅうりやトマトなど、家の庭に畑を作り、自身の手で栽培を始めました。
「離乳食が始まったときに、この子にはたしかなものを食べさせたいと思ったんです。昔、自分が子どもの頃に両親が畑で作ってくれた野菜がすごくおいしかった記憶がありました。化学肥料や農薬を使わずに、この土地で採れた旬のものを食べさせたい。そのためには自分の手で作るしかないと思ったんです」と力強い口調で語ります。
しかし、その頃の本業はあくまでも写真屋さん。野菜作りは趣味として、自然栽培に関するさまざまな本を読み、時には失敗を繰り返しながら独学で学んでいきました。

そして2002年、デジタル化の波とともに写真屋の仕事に陰りが見え始めた頃、金子さんは畑仕事の場を自宅の庭から現在の場所へと移し、ブルーベリーの栽培も始めました。
「写真屋の仕事が減っていくので、畑の仕事を増やしていったんです。そしていよいよ写真屋を閉めて、今後どうしようかと考えていたのが2010年の秋頃。その頃、畑の仕事はライフワークになっていましたが、それだけで生活するのは厳しい現実がありました。そもそもこの辺りは雪深く冬の生活が大変な地域。1つの仕事に特化するよりも、いくつか選択肢を持ちながら、リスクを分散させるような働き方をしようと思ったんです」と金子さん。
農家としてだけでなく新たな仕事も考えていた矢先、未曾有の出来事が起こります。
それが、2011年3月に起きた東日本大震災です。

「震災が起きて、自分のことばっかり考えている場合じゃないなと思ったんです。人の助けになることをやりたいと。あと、たった一度の人生だから自分の好きなことで楽しく生きたいとも思いました。お金じゃなくてね」
農薬や化学肥料を使わない方法で育てたブルーベリーのおいしさで、人々に笑顔になってもらうこと。そして、写真屋で現像待ちのお客さんに紅茶を淹れていた経験を活かして、楽しい時間を提供すること。これらが、新たな出発点のヒントになったのです。

ふるさとの豊かな恵みと暮らし
自宅敷地内にあった写真屋は喫茶店へと姿を変え、2013年に完全予約制の喫茶店「ティールーム山ねこ」としてオープン。冒頭でご紹介した4種類の奥会津ピザと、こだわりの紅茶を提供しています。

畑から再びお店に戻り、インタビューの合間に淹れていただいたこちらの紅茶。一見普通の紅茶に見えますが……あまりのおいしさに驚きました!
喉を通った瞬間おだやかな花香が鼻を抜け、体にスーッと染み渡るような余韻に包まれるのです。金子さん、どうしてこんなにもおいしいのでしょうか?!
「茶葉自体もこだわって仕入れているのですが、なんといっても水の力。奥会津は水がとんでもなくおいしいんです。作物も自分の体も水でできています。この奥会津の宝をおいしく味わうには紅茶が1番良いんじゃないかと思ったんです。東京から来てくれた紅茶マニアのお客さんも驚いていましたよ」と金子さんは微笑みます。

そして金子さんは「山ねこ」をオープンした翌年、築100年を超える自宅の古民家で1日1組限定の農泊も開始(現在はお休み中)。
さらに、イベントやワークショップなどにも積極的に参加し、食を提供するだけでなく、奥会津の暮らしそのものを伝える活動も始めました。

「春は種まき、秋は収穫。日々の農作業に加え、奥会津での暮らしは厳しい冬に備えた保存食づくりも欠かせません。漬物や燻製、味噌、納豆づくりなど自然の恵みを活かした手仕事も、奥会津では大事な仕事の一つなんです。雪国ならではの、厳しい冬を生き抜く知恵や手仕事といった暮らしの文化も、奥会津以外の地域の人や若い世代に伝えていけたら」
金子さんが開催しているワークショップの中でも特に人気なのが、金子さんの畑で収穫される大豆と奥会津の稲ワラで作る「ワラつと納豆づくり」。稲ワラとスゲを使って藁苞(わらつと)を作るところから体験できるそうです。豆本来の旨味と風味が強く、市販品では味わえないおいしさなのだとか。これはぜひ一度体験して食べてみたい~!

「この地域で採れたものや、自分の畑で作った野菜たちを自分の手で加工することって、本来ぜいたくなことだと思うんです。手間暇はかかるけど、手作りだからこそ安心・安全なものを作ることができます。自分の子どもにその味を伝えてきたように、お客さんたちにも知ってもらって『こんなおいしさがあったんだ!』って喜んでもらえたら、そんなうれしいことはないですね」
金子さんが伝えていることは、現代に生きる人々が忘れかけた大切なもの。「奥会津には日本の原風景がある」と言われるゆえんが、なんだか分かった気がします。
EPILOGUE
おたがいさまの心で人と人との絆を大切に

金子さんが写真屋を閉めて新たな道を歩み始めた頃から、積極的に関わるようになったのが、県外からの移住者や地域おこし協力隊の人々でした。
「なぜこんな雪深い田舎を選んでくれたのか、不思議でしょうがなくてね。日本中に選択肢があるのに、どうして奥会津を選んだのか知りたくて、積極的に彼らが集まる場所に行って仲間に入れてもらったんです。世間では『地元住民と移住者の間には溝ができやすい』なんて言われているけれど、そんなのはもったいない!移住者の方々から学ぶことって、とても多いんです」

写真下:「あいづ朝市」のInstagramには楽しい情報が満載 ※ご提供画像
金子さんは移住者らが開催するイベントに参加したり、一緒にワークショップを開催したりと、積極的に仲を深めていきました。また、移住者に地元のいろんな名人たちを紹介するなど、両者をつなげるかけ橋のような存在になっていきました。
「移住者のパワーや発信力って素晴らしいんですよ。毎年秋~冬にかけて開催している奥会津体験博覧会『せど森の宴』は、移住者の方が運営するイベントです。地域住民が主役となり、奥会津の魅力に触れるさまざまな体験プログラムを催しています。もはや奥会津を代表する人気イベントで、県内外から多くの人々が訪れるんですよ。また暮らしの面では、消防団や除雪で若い力を貸してもらわらなくちゃいけない。彼らなしではこの地域は成り立たないと言っていいぐらい、ありがたい存在です。雪国だからこそ助け合って、“おたがいさま”と思い合うのが大事なんじゃないですかね」と優しく言葉を紡ぎます。
奥会津にあるのは、豊かな自然がもたらすおいしい水や作物、知恵や工夫が詰まった季節の手仕事、そして人と人が手を取り合う温かなつながり。金子さんは、その大切な宝を伝える伝道師のようです。

そして、インタビューの最後に「実はこんなこともやっていまして」と言いながら見せてくださったのは、一冊の本。還暦を迎え、六十の手習いとして大の苦手だった絵を描くことに挑戦して以来、10年以上描き続けてきた絵手紙を一冊にまとめて自費出版したのだそうです。
「歳を重ねての手習いは、今まで不得手だったことに挑戦することに意味があると思っています。今は72歳になったので七十の手習いをしなくてはと思い、唄を始めました。会津には全国的にも珍しい、蕎麦をほめる言葉に節を付けて唄う『会津蕎麦口上』があります。今ならまだ唄ってくれる先輩がいますが、10年後には唄える人が地域からいなくなってしまうかもしれない。苦手だなんて言っている場合じゃないと思って、一念発起したんです。10年後には大きなリサイタルを開くからぜひ来てくださいね」と晴れやかに笑う金子さん。
奥会津ならではの暮らしを楽しみながら、金子さんの挑戦はまだまだ続きます。
