
山田 貴司 (やまだ たかし)さんの自己紹介
喜多方市(旧塩川町)出身。実家が農家だったので、もともとは農家です。2011(平成23)年、「農家レストラン 塩川屋」をオープン。農家レストラン 塩川屋として喜多方老麺会に加盟したのも同じ頃です。2015(平成27)年に情報処理システム運用などを提案する「ヤマダソリューション」を創業しました。システムエンジニアであり、ラーメン屋であり、喜多方観光物産協会の理事など、いろいろと関わらせてもらっています。2023年4月から、「喜多方ラーメン神社」を管理するようになりました。地域産業に関わりながら、笑顔を増やすことが生きがいです。
PROLOGUE
「蔵のまち喜多方」を歩いてみよう!
蔵が点在し、どこか懐かしさが漂う喜多方市街。
中心市街地を南北に貫く「ふれあい通り」を歩きます。

JR喜多方駅からおよそ1kmの位置にあるレトロ横丁商店街は、仲町商店街・中央通り商店街・しもなん商店街の3つの商店街を歩いて回れるコンパクトさが魅力。
蔵を利活用した建物で営業する個性的な店は、のぞきながらそぞろ歩くだけでもおもしろいですよ。
昔から良質な水と米に恵まれた喜多方。
味噌や日本酒などの醸造業を営む場として発展してきました。

小路にも、好奇心を掻き立てる古い蔵や飲食店がたくさんあります。
さらに進んでいくと、何やら鳥居のようなものが見えてきました。

鳥居が箸の形!

看板には「喜多方ラーメン神社」と書かれています。
何やら、「喜多方ラーメンソフトクリーム」など、ここでしか味わえないメニューがそろっているようです。

中には真っ赤な鳥居が立ち、水色のラーメン丼が御神体として祀られていました。
イートインスペース横では会津土産も販売していて、会津散策の休憩場所にも丁度いいですよ。

スイーツ、ドリンクも!オリジナルメニューが充実していました。

カウンター横にあった会津ガチャもかわいい!
こちらは、ストラップが付いた「根付けべこ」5色のどれかが当たるもの。


喜多方の定番土産「たまりせんべい」もたくさん並んでいました。

御朱印も発見!

鳥居下に設置されたおみくじ。
どんなお告げが来るんだろう……

喜多方ラーメン神社のご利益は縁結びならぬ、麺結び(笑)。
細部まで〈喜多方ラーメンのまちらしさ〉がありました。
神聖な神社ではあるものの、所々に仕掛け人の遊び心が見え隠れするところが尚いい。
神社内におみくじを結ぶおみくじ掛けがあったので、結んで行く人も多いようです。
喜多方の魅力が詰まった喜多方ラーメン神社。
どんな方が運営しているのでしょうか……!?
INTERVIEW
原動力は、みんなの笑顔。
今回お会いしたのは、喜多方ラーメン神社の運営を2023年4月から一任された、山田貴司さん。
システム開発を行うヤマダソリューションの代表であり、農家レストラン 塩川屋の店主、喜多方老麺会の専務理事など、さまざまな顔を持っています。

当初、喜多方ラーメン神社は会津喜多方商工会議所によってオープンした施設。
神社でありつつ、以前は酒場やミュージアムといったコミュニティースペースの要素を備えていたそうです。
2023年4月から山田さんが管理するようになり、リニューアルオープンしています。
「地元の皆さんからアイディアをいただきながら、少しずつ営業スタイルを変えてきました。
例えば、うちで提供しているコーヒーは、地元のコーヒー店がタイから仕入れた厳選豆を使用していたり、オリジナルメニューのらーめんソフトのトッピングに使うプレッツェルは近くのお菓子屋のものを活用していたり。
地元の皆さんの力を借りながら、ようやく形になってきました」

「喜多方市内の飲料水は地下水が基本。
日本酒の仕込み水と同じ伏流水で入れたれもんソーダもご用意しています。
地元のものを使って、地域と連携する。
その他の商品も、喜多方のおいしいものを厳選していますよ」


喜多方ラーメン神社で味わえるのはカフェメニューのみ。
「喜多方ラーメンを食べた後に立ち寄ってほしい」と山田さんは言います。
「喜多方ラーメンを盛り上げるためには、まち全体を盛り上げていかなければいけない。
その取り組みの一つが、この喜多方ラーメン神社です」
山田さんの経歴を聞くと、なぜ喜多方ラーメンのためにここまで熱くなれるのかが見えてきます。

農家の長男として生まれた山田さん。
20代は米農家として農業に従事していました。
2007(平成19)年に地元・塩川町が市町村合併することを機に、「塩川町の町名を何とか残したい!」と、農家仲間たちと「会津塩川とりもつ協議会」を結成。
塩川町のB級グルメ「鳥モツ」をはじめ、地元食材を活用したイベント出店に力を入れてきました。
その後、2011(平成23)年3月10日に法人化し、農業仲間と共に「合同会社メディエイト」を立ち上げ。
合同会社メディエイトとして農家レストラン 塩川屋をオープンします。
しかし、その翌日に東日本大震災が発生。
苦境に立たされた山田さんが挑戦したのは、タイへの商談でした。
タイへの誘いをくれたのが、「アイヅピーナツマート」を運営するAPJ株式会社の松﨑健太郎さん。

会津産ピーナツを栽培する松﨑さんは豆菓子を、農家だった山田さんは米を商材としてタイに渡りました。
おふたりの他にも、日本酒の蔵元・笹正宗酒造、味噌やしょうゆを手掛ける星醸造、製麺所の五十嵐製麺も参加。
会津で商業を営む4人の仲間たちと共に、地元の食材をタイへ輸出できるように動いてきました。
2014(平成26)年、同じ5名で任意団体「会津喜多方グローバル倶楽部」として活動をスタートします。

それぞれの強みを活かし、喜多方ラーメンを世界へ発信するため
袋麺「喜多方ラーメン ロ麺チスト」を開発。
世界各国への商談を進めながら、2015(平成27)年にヤマダソリューションを設立。
「農業寿命を上げて、作業を楽にしてあげたい」
農家だったからこそ分かる苦労を、システム開発によって解決しようと動き続けてきました。
農家からラーメン屋へ。
さらに、システムエンジニアとして――
地域のため、同じまちで暮らす人々のために、多方面で活動しています。

「どうやったらみんなが笑顔になるんだろうと、常に意識しています。
まちづくりには自己犠牲が必ず必要になる。
だけど、楽しいから力を貸したくなる。
みんなが笑顔になることは常に考えています。
喜多方に来てみて、どうやったら笑顔になるかなって。
そうでないと、やっている意味がないですよね」
喜多方ラーメンの歴史を刻み続けるために。
喜多方ラーメンといえば、多加水の太ちぢれ麺としょうゆベースのスープを連想しましたが、実際のところ決まった定義はないとのこと。
塩ベース、味噌ベースを提供する店もあります。
そんななか、120年以上の歴史を持つ喜多方ラーメンをなんとか後世につなごうと、喜多方老麺会は活動を続けてきました。
喜多方市内には喜多方ラーメンを提供する店が100軒ほどあり、人口あたりの店舗数は日本一(※1)。
そんな、地元の喜多方ラーメン店で構成される団体が「喜多方老麺会」です。
朝食でラーメンを食べる「朝ラー」の習慣は、喜多方ラーメンが発祥(※2)。
朝早くからラーメン店に人々が並ぶ様子は、喜多方らしい情景とも言えます。
※1・2:喜多方老麺会調べ

「喜多方ラーメンは北海道の札幌ラーメン、福岡県の博多ラーメンと並ぶ、日本三大ラーメンの一つ。
しかし、つくり手の高齢化、経営状況の悪化など、人口減少とともにラーメン店が少なくなってきています。
地域特製ラーメンとしては酒田(山形県)や佐野(栃木県)が台頭してきていて、押し潰されそうな状況まできている。
その状況を受けて、会津喜多方商工会議所が主体となって『喜多方ラーメンブランドプロジェクト(通称:RBP)』も立ち上がりました。
RBPには製麺業者や醸造業の会社も参加しています。
喜多方ラーメンを何とか盛り上げたい。
後継者育成が、私たち喜多方老麺会の一番の目的です」
喜多方市内でよく見かけるラーメンMAPも、喜多方老麺会によって制作されたものでした。

現在、進められているラーメンMAPデジタル版の制作を手伝っているのは、2023年8月から地域おこし協力隊として喜多方老麺会に参加している星智也さん。
喜多方老麺会では初めてとなる、地域おこし協力隊のサポートです。
「社会に影響を与える仕事がしたい」という想いからラーメン屋の開店を目指す星さんに、山田さんは大きな期待を抱いていました。

「一年目は星くんに喜多方を知っていただきたいという想いから、SNSによる情報発信をお願いしました。
製麺所に行ったり、飲食店のイベント出店を手伝ってもらったり。
最後の2,3年は、星くん自身が喜多方ラーメン店として開業するための準備期間です。
大変な作業ですが、飲食店との交流を深めながら、喜多方ラーメン職人としての技術と知識を蓄えてもらえたらと思います。
星くんの活躍が、喜多方ラーメンの未来に変革をもたらすと信じています」
ラーメンMAPデジタル版は、2024年春にリリース予定。
エリアごとに喜多方ラーメンの店が調べやすくなるというから楽しみです。
喜多方観光がさらにおもしろく、巡りやすくなるのではないでしょうか!?
EPILOGUE
喜多方独自の文化・景観・グルメを満喫しよう!
喜多方ラーメン神社から歩いてすぐの場所にある、山田さんのお店・農家レストラン 塩川屋にもお邪魔しました。

昼はラーメンと定食のお店。夜はエゴマ豚のしゃぶしゃぶ、すき焼きを中心に、会津産食材にこだわった宴会メニューを提供しています。

農家レストラン 塩川屋の看板メニューは、透き通る淡麗スープの「潮ラーメン」。
山田さんの地元・旧塩川町はシジミの養殖が盛んだったという歴史を持つことから生まれた、シジミベースの体に染み渡るあっさり塩ラーメンです。
飲み会後の締めの一杯にも人気がありそう。
「ピーナツ担々麺」は、2021年にAPJ松﨑さんとのコラボで完成した渾身のメニューです。

アイヅピーナツマートのピーナツをぜいたくに使用した担々麺は、ピーナツの油分が溶け込んだ、濃厚でまろやかなスープ。
ゴマだれならぬ、ピーナツだれのスープとは……!
会津の強みを最大限に活かした、計算し尽くされた一杯に感動しっぱなしでした。

「会津にはおすすめの観光スポットも、おいしいグルメもたくさんあります。
僕のおすすめは、秋の大イチョウが見頃になるときれいな新宮熊野神社長床(しんぐうくまのじんじゃながとこ)。
国の重要文化財にも指定されている、茅葺屋根の拝殿です。
喜多方ラーメン神社からは車を使えば10分程で移動できますよ。
喜多方は、横道・縦道と呼ばれる裏道がおもしろいまちでもあります。
そこで営業するラーメン店、定食屋も、個性豊かなメニューがそろっているので歩いてみてください」
まちのために活動を展開してきた山田さんらしい、喜多方市の魅力を凝縮したモデルコースは参考になるものばかりでした。
喜びの多い町、喜多方。
観光客と地元の人々の交流拠点として、多くの人が喜多方ラーメン神社に参拝します。
喜多方ラーメン神社に行けば、山田さんと会えるのでしょうか?

「基本は山都町にあるヤマダソリューションの事務所にいます。
たまに、喜多方ラーメン神社や塩川屋にいることもあるんですけどね。
けんちゃん(APJ松﨑さん)もよく言うことですが、街を盛り上げるためには自分が幸せでなければ、幸せは提供できない。
まずは自分が幸せになることが大前提。
疲れていたり、幸せでなければ、人に優しくはできませんから。
これからも、楽しみながら街づくりに尽力していきたいです」
喜多方ラーメン神社の新しい楽しみ方としてつくられた、出来立てホヤホヤの絵馬を見せてくれました。

神社の御神体として祀られていたものと同じ、水色の丼が描かれた絵馬。
気になっていた水色の丼は、およそ120年前に初めて提供された喜多方ラーメンの丼を再現したものでした。
「願い事を書いて神社に奉納しつつ、お守り代わりにもなるように
丼の部分はくり抜ける仕様にしました。
喜多方ラーメン神社に行ってみたくなるような仕組みを、まだまだ考えていますよ」
山田さんがこだわってきた、誰もが笑顔になるまちづくり。
今後の展開にも大注目です。
ちなみに、RBPの活動によって毎年7月17日は「喜多方ラーメンの日」に認定されました!

2024年度からは、喜多方ラーメンのイベントも開催予定。
まだまだ新しい楽しみ方が、ここから始まりそうです。
