
原田 雅代 (はらだ なりよ)さんの自己紹介
大阪出身で、20代前半まで神奈川で暮らしていました。アクセサリー製作や路上販売、浦安の夢の国で塗装工の仕事を経験しました。佐渡に移住したのは24年前です。3人の子どもをホームスクーリングで育てながら自主保育の場を運営したり、古道具と自然食カフェも経営していました。今は栗野江にある「手仕事リトリートコミュニティ佐渡あるもんで山」で、循環型の暮らしを実践する宿泊施設「古道具と手仕事の宿 ねまりや」を運営しています。
PROLOGUE
「あるもんで」という言葉をご存知ですか?
「あるもんで」とは、もとは「あるもので」という言葉で、今、手元にあるもので何かをしようとする時などに使われることが多いと思います。例えば、私たちも「夕飯は冷蔵庫の中にあるもので作ろう」とか「今、あるものだけで何とかしよう」と言うこと、たまにありますよね。
そう考えると、「あるもんで」という言葉は、あるものを活かして物事を考える……そんな前向きな思いがある言葉なのだと考えさせられます。
さて、初っ端から「あるもんで」を連呼していますが、今回、ラ パゴッドのジルさんと朋さんからご紹介いただいた「つながる人」が、「あるもんで山」という場所を拠点にしているのだとか。
「あるもんで山」?
どう考えても、もともとあった名前ではなさそう……なんですが、Googleマップで探してみると、ちゃーーんとありました。「一般社団法人 佐渡あるもんで山」という場所が!

早速、両津港から車を走らせること25分。カーナビを頼りに林道を上ること数分。古材で建てられたと思しき、一軒家が姿を現します。傾斜に沿って建てられた建物は、まるで山の一部のように佇んでいます。

そこに、「こんにちは〜!」と声をかけてくれる女性が一人、この方が今回ご紹介する原田雅代さんです。古材で造られたこの建物は、原田さんが経営する宿泊施設「古道具と手仕事の宿 ねまりや」なのです。

それにしても、電柱もなく、ただただ山の中!という印象のこの場所。実にワイルドだろ〜な景観が広がっております。
なぜ、「あるもんで山」という名前なのか、ここに宿泊施設を作った理由は?などなど、気になることがいっぱいありすぎて……原田さん、いろいろ教えてくださいっ!
INTERVIEW
「今ここにあるもの」でつくる価値
あるもんで山にある「古道具と手仕事の宿 ねまりや」を訪れたのは、冬の初めのこと。気温が高い日が続いていたせいか、山のところどころには紅葉が残っていました。

建物の中にもお邪魔してみます。1階は共有スペースと、まるで森に包まれているかのような客室の「山の間」、2階は眺めの良い「空の間」になっています。


扉や窓、床や壁なども古材を組み合わせて造られたもので、一つとして同じものはなく、ふぞろいさがかえって個性を際立たせています。室内はストーブもあってぽかぽかと暖かく、どこか懐かしい空気感に包まれていました。

2階のテラスからは、真野湾と佐渡の山々が一望できます。眺めの良さは抜群!夏は風が吹き抜けて気持ちがいいそうです。

でも、原田さん、ここって決して便利でも快適でもないところ(失礼!)ではありますよね……なぜ、この場所に宿泊施設を作ろうと思ったのですか?
「まず、このあるもんで山には物語があって。もともとは手付かずの自然が残る、地元の山だったのですが、建設業を営んでいた私の師匠である親方が『みんなで畑仕事をする山にしたい』『子どもたちが遊べる場所にしたい』という思いで、この土地を購入したことが始まりでした。私はこの親方の解体の仕事を手伝っていたこともあって、ぜひ一緒に作りたいと!」
その親方は長年、解体工事に携わってきたことから、建物の解体現場から出る古材の価値を知り尽くしていた方。首都圏や関西では何十万円もの値がつく古材が、佐渡では日々廃棄されている現状に心を痛め、できる限り保管を続けてきたそうです。

今、「ねまりや」の建物がある場所までも、何年もかけて道を切り開いていき、親方と共にコツコツとこの場所を創り出してきたという原田さん。話を聞けば聞くほど、あるものでの工夫の仕方に驚かされるばかり。まさに「あるもんで」づくしです。

「建物は全て佐渡の古材を活用していますし、水は山から湧き出る水を引いて、電気はポータブル電源を使います。お風呂は薪で沸かし、トイレは地球に還元できるコンポスト式。
一見『不便そう』って感じると思いますが、これって現代社会が置き去りにしてきた手作りの暮らしの知恵の結晶だと私は思っているんです。
『ねまりや』は宿泊施設でもあるのですが、限りある資源を循環させながら、次世代に引き継ぐ暮らしの場と思ってもらえたら」
自給自足に憧れて佐渡移住
佐渡に「あるもので」、原田さんが創り出した「古道具と手仕事の宿 ねまりや」。
「手作りの暮らし」の知恵を伝えたいと奔走する原田さんのこれまでの人生も、気になって仕方がありません……!
ここからは原田さんのこれまでのお話を少々。

もともと原田さんは大阪出身で、佐渡にやってきたのは24年前のこと。20代前半にヒッピーが集まるフェスティバルで自給自足の暮らしに出会い、その暮らしを夢見て佐渡にやって来ました。
「その昔、私、学校というものがとても苦手で。中学校を卒業後は定職に就かず、神奈川に移住して手作りのアクセサリーを露店販売したり、ペンキ職人として働いたり……いろんなことをしていましたね。
その中で出会ったのが、田舎で自給自足の暮らしをする人たち。自分たちの手作りでまかなう暮らしぶりを聞いて『こんな生き方があるんだ』と心を動かされました。当時のパートナーの友人が佐渡にいたことがきっかけで、『海も山もある佐渡に行ってみよう』と。そんな軽い気持ちでの移住でした」
最初の3年間は佐渡市の沢根で過ごしたそうですが「冬は隣に回覧板を持っていけないほど天気が荒れて、龍がのたうち回っているような雷が轟くような場所で。ちょうど子育てと重なって大変でした」と当時を振り返ります。
子育ての真っ最中でもあった原田さんはその後、金井の中興(なかおく)に引っ越し、3人のお子さんは保育園や幼稚園には通わずに、家庭で自主保育を行なっていました。
「京都でホームスクーリングを行なっているご家族の活動の様子を記事で読んで、実際に会いに行ったんです。なるほど、こういう形もあるのかと。自分も子どもも納得のいく形で子育てを考えてみようと、1人目の子が2歳半の頃から、佐渡で知り合った友人と共に、まずは自主保育を始めました」
原田さんの1番上の娘さんが小学校に上がる時に二人でよく話し合い、学校には通わずにホームスクーリングを選択しました。
「学校に通わない選択に迷いがなかったというと嘘になりますし、もちろん葛藤もありました。ただ、その時の小学校の校長先生が、わが家の考え方を応援してくださったんです」

一方、地域では「学校に通わせた方がいいのでは」という人もいましたが、地域の活動で娘さんたちがシャキシャキと掃除をしている姿を見て、「姉ちゃんたち立派らなぁ!」と声をかけてくれる人もいたといいます。
「学校に通わないという選択にネガティブなイメージを持たれていた一方で、成長した子どもたちを頼もしく思ってもらえたのはうれしかったですね。ちなみに、3番目の長男は6年生の時に本人の意思で学校に通うことになり、今は佐渡から出て陸上競技に夢中な高校生活を送っています。三人三様の生き方です(笑)」。
自主保育から始まった居場所づくり
自主保育は週3回、3家族で持ち回り、家を開放して集まるという仕組みでした。就学前の子どもたちの保育は、特に何か決まった遊びをするわけでもなく、子どもたちが「やりたい」と言えば時に手を貸し、そうでなければ親同士でおしゃべりしながら見守る、お昼ご飯をみんなで作ったり、そんなゆるやかな集まりだったそうです。
噂を聞いた親子が次第に集まってきて、20家族にまで拡大!この頃には、原田さんは佐渡の平清水へと転居。これまでの活動の名称も「いのちと暮らしのフリースペース ねまりや」としつつ、自宅部分の隣にあったかつて牛小屋だった納屋を改修して、お母さんたちが子どもたちを見守りながら一緒に仕事や作業ができる場所を作ることになりました。
そこで出会ったのが、後にあるもんで山を共に造り上げることになった、あの親方だったのです。その頃から原田さんは、親方の解体の仕事を手伝うようになりました。
「7年ほど続けた『いのちと暮らしのフリースペース ねまりや』も、次なるステップを考え始めていました。ただ、親子の居場所づくりは続けられないものかとも考えていて。そこで考えついたのが、親方から譲り受けた古道具を販売する古道具屋と喫茶店を組み合わせたスタイルのお店。『いのちと暮らしのフリースペース ねまりや』と同じ場所で名称を変えるという形で、2017年に『古道具と自然食カフェ ねまりや』を始めることにしたんです」

「いのちと暮らしのフリースペース ねまりや」から次なるステップ「古道具と自然食カフェ ねまりや」へ(写真右)
(※ご提供画像)
「古道具と自然食カフェ ねまりや」のコンセプトは、誰もが気軽に来て、古道具を見て、おしゃべりしてもいいし、本を読んでいても良い、自由なスペース。原田さんもお客さんと会話をしたり、原田さんのお子さんたちはお店のお手伝いをすることで、働くことの意味を考える機会にもなったといいます。「古道具と自然食カフェ ねまりや」には観光客も度々訪れるようになりました。

「私、神奈川にいた頃から、社会に問いかけるような活動をしたかったんです。誰かに何かを与えてもらうばかりでなく、自分が考えていることや、やってみたいことに挑戦してみるのも、時には必要なのかもしれないって。
20代の頃は少々尖っていましたが(笑)、母親になったこともあり、尖った形ではなく柔らかく穏やかに会話しながら、このことを考えていく機会と場を作りたかったんです」
佐渡の平清水で始めた、親子のための「いのちと暮らしのフリースペース ねまりや」。
同じ場所で名称と形態を変えて展開した、大人と子どもの居場所兼カフェである「古道具と自然食カフェ ねまりや」。
そして、栗野江のあるもんで山で新たにスタートした「古道具と手仕事の宿 ねまりや」。
「ねまりや」という言葉をベースに、少しずつ呼び名と形を変えながら、原田さんの思いと活動が広がっていきました。
EPILOGUE
生きる力とは何か?を体験する場へ
「ねまりや」の語源でもある「ねまる」とは、佐渡弁で座る・ゆっくりするという意味。
せかせかと忙しく生きる現代人、時代にこそ「手作りの暮らし」の価値が問われると、原田さんは考えています。
「便利さだけを追い求めるのではなく、人とのつながりや、土地の文化を大切にする暮らしですね。それは20代の頃に求めていた自給自足とはまた違った側面で、私が佐渡で過ごした時間の中で見出した価値です。これから先の社会では今まで以上に技術や工夫、知恵が大切になっていくと思っています。お子さんたちにとっても、生きることの意味や感覚を体験してもらえる場になっていけたらいいですね」

その価値を見出すために、原田さんが必要だと考えるのが「時間」。佐渡は今、移住者が増えていますが、一時的なブームではなく、地に足のついた移住者を増やしたいという思いもあるそうです。
また、観光においても、1泊だけでは伝わらない佐渡の魅力を、あえて時間や手間をかけて感じてもらいたい。そんな思いがカタチになったのが、今ある「ねまりや」なんですね。
「佐渡の文化や自然環境を受け継ぎ、持続させていきたいと願う人たちと共に、新しいコミュニティを作っていきたいですね。3月20日の「古道具と手仕事の宿 ねまりや」の再開を前に、その準備を進めています」と原田さんは意気込みます。
次の世代へ“今ここにあるもの”の魅力を伝えていく、あるもんで山と「ねまりや」。「時間」と「場所」という宝物と共に、新しい循環の輪を広げ始めているように感じました。
私、この夏、「ねまりや」に2〜3泊して子どもたちと共に、暮らしや生きることを見つめ直したい……と考えています!
