明石 浩見 (あかし ひろみ)さんの自己紹介
出身は秋田県です。子どもの頃から自然の中で遊ぶのが大好きで、今この仕事をしているのも、秋田で自然に囲まれて育ったことが影響していると思います。小学校から高校までは新潟市で暮らしました。大学では林学を専攻し、自然や森林について学びました。阿賀町に移住して四半世紀が経ちました。登山も好きで、最近は登山道の整備にも取り組んでいます。
PROLOGUE
前回ご紹介した裏五頭山荘を後にして、今回はさらに山奥へ。次第に森深くなっていき、道中「前回は猿がいたし、今回はクマに遭遇したらどうしよう…」と思ってしまうような景色の連続です。
そんな場所にあるのが、今回ご紹介する中ノ沢森林科学館。平成5年に新潟県の施設として建設された中ノ沢森林科学館は、豊かな森林資源を活かし、その価値を次世代に伝えていく役割を担うためにと設立されました。
建物を外から見ると、裏五頭山荘と同様、森の中にポツンと科学館!です。
出迎えてくださったのは、代表世話人を務める明石浩見(あかしひろみ)さん。
現在、中ノ沢森林科学館は「お山の森の木の学校」の名称でも親しまれ、新潟県産材を使用した木工体験や、中ノ沢渓谷森林公園内での自然観察など、森と木の魅力に触れることのできるプログラムを提供しているそうです。
美しい森が広がる阿賀町ならではのこの施設。一体、どんな施設なのでしょうか?地域の自然、人や町との関わり、明石さんの思いを交えて伺いました。
INTERVIEW
森と人の共存、木への興味関心を仕事に
早速、明石さんに案内していただき、中ノ沢森林科学館の館内へお邪魔してみました。
入って右手には小さな木製の椅子や本立て、時計、鉛筆立てなど、木片で作られたカレンダーが飾られた木工作品のコーナーが。その奥の部屋には、実際に創作ができる電動のこぎりなどの木工用機械も置かれています。館内はほのかに木の香りが漂っていました。
中ノ沢森林科学館では、主に3つの事業を行っています。
1つ目は学校や子供たちを対象とした森林・木工体験学習、2つ目は森林散策や登山道整備などの森林教育体験活動、3つ目は県産材を活用した木工製品の製作・販売です。
「木工体験はお子さんに人気ですね。木の実や木の枝など、端材の自然の素材を使って自由にアレンジする時間を設けているので、世界に一つだけの作品が生まれます。施設内でも行っていますし、夏休みなんかは新潟県立植物園などへ出張体験も行っていますよ」と明石さん。
森林・木工体験学習は絵付けや色塗りなども可能で、地元である阿賀町を中心とした新潟県産木材を使用しているのも、ここならではのこだわりです。木で作られた雑貨は、一つ一つ形もデザインも異なりますが、手にしてみると木の温かみを感じるものばかりです。
そして、県産材を活用した木工製品では、ネームカード(名札)やノベルティグッズなどを受注生産しているのだとか。
森林教育体験活動は、子どもはもちろん大人にも人気のプログラムです。
明石さん、森林教育体験活動ってこの広大な森の中を歩くのですか?
「そうそう、森林科学館からさらに上に登った、中ノ沢渓谷森林公園の中を散策します。参加者と一緒に歩きながら、森の魅力、水との関係、菌類との関係など、森の生態系についてレクチャーしています。散策を通じて、自然の奥深さと人間との共生の大切さを感じてもらいたいと続けている活動なんです」と明石さんは語ります。
さて、ここからは明石さんのお話も少々…。
幼少期から自然に親しんできたという明石さん。子どもの頃に自然豊かな秋田から新潟に移り住んだ際、工場が立ち並ぶ新潟市内の殺伐とした風景に衝撃を受けたといいます。
「自然とはほど遠い環境を目の当たりにして、環境保護や自然保護の方向に進みたいという意識がすごく強くなりました」。
大学では林学・林業を学び、自然と人間を対立させるのではなく、共存の道を探る学問に魅力を見出しました。森林への知識を深めた大学卒業後、明石さんは木に関する技術を磨くため、職業訓練校で1年間家具の勉強をし、さらにその後は木工ろくろの世界に5年ほど身を置きました。まさに“木”を極めてきた人生!ですね!
一方で、中ノ沢森林科学館は当初、県の施設として建設され、地元の管理組合が運営を担当していたそうです。ですが、次第に木工体験や森林体験の運営には高度な知識や技術が必要になるといった課題が浮き彫りになってきたさなか、この地にやってきたのが明石さんだったのです。
「たまたま中ノ沢森林科学館が人を探していると聞いて、ここに入ることになったのが平成9年のことです。移住の覚悟? そんなものは全然なかったですね(笑)。ただ、仕事があるかないかが鍵だと思っていました」。
おいしい山菜を育む!?中ノ沢の森の秘密
森と木に導かれるように、明石さんが阿賀町中ノ沢へやってきた頃、阿賀町には製材業や木工業が残っており、林業の痕跡が色濃く残っていたそうです。
森林科学館の職員としては、木工体験などを通じて森の大切さを伝える活動をスタート。地域との関わりでは、山での暮らしを続けてきた生活してきた山人(やまびと)と呼ばれる高齢者から方々から、山の知恵や技術を学び、公私共に中ノ沢の森を見守る活動に勤しんできました。
林学を学んできた明石さんにとって、中ノ沢の森はどのように感じられたのでしょうか?明石さんは、森の特徴や独特の生態系について深い洞察を持っています。
「ここは五頭山の東側に位置していて、気候的にはとても湿潤なんです。新潟の他の地域と比べると、昼夜の気温差が大きいのも特徴ですね。あとは、土壌に特殊な粘土鉱物が含まれていて、それが植物の成長に影響を与えているようです」と明石さん。
明石さんがいうには、中ノ沢の森は植物の種類が豊富なのですが、成長具合が少し緩やかなのだとか。
え、そうなんですか!?こんな青々とした森なので、さぞかし成長の度合いは早いのかな〜と勝手に思ってしまいました(笑)。
「意外でしたか(笑)。でもね、土壌がちょっと痩せているといいますか、土の中に窒素分が少なくて、それが良い影響を与える部分もあると感じる部分もあるんですよ。
例えば、山菜。土の中に窒素分が多いと、どんどん山菜が成長して硬くなってしまうんです。でも、中ノ沢で取れる山菜って、世間的にやわらかくておいしいといわれていて、アザミは “中ノ沢アザミ”といわれるほど、その特徴が際立っているそうです。それっていうのは、土壌の性質が関係しているからなんじゃないかと、私は考えているんですよ」。
そういえば、裏五頭山荘の阿部さんも「この辺の山菜は、おいしいといわれる」とおっしゃっていました!山菜のおいしさの秘訣は、中ノ沢の“森”にあったのですね。
森の主は天然杉
阿賀町では、標高400m以上の中腹から上部にかけては、ブナの林が広がっています。それ以外の場所では、さまざまな樹種が混在する複雑な森林が形成されているのも特徴だと明石さんは語ります。
「この辺は、ミズナラ、クリ、トチノキ、オニグルミなどが混在しています。だけどね、中ノ沢の森の真の主役は、そこかしこに点在する天然杉かもしれません」。
本来、天然杉は山が険しく土地が痩せたところに生き残ってきたそうですが、中ノ沢の森で見られる天然杉は真っ直ぐと上に伸びた杉とは全く違う、個性的な姿をしているのだとか。
これは見てみたい!!
というわけで、実際に天然杉を見ることができる場所まで、明石さんに連れて行ってもらいました。
わ、岩に沿って根が張っている…!ひっそりとしていながらも、力強く根を張り、長年この場所で育ってきたたくましさが伝わってきました。
明石さんは、この天然杉の姿に「人と自然の共生の歴史を見ているよう」としみじみと語ります。
「江戸時代、この地域は会津藩の影響下にあって、北前船での交易が盛んだったといわれています。阿賀野川を使って、木材を大阪方面に運んでいたともいわれていて、その時代に多くの木が伐採され、利用されていたのかもしれませんね。
杉を利用するために伐採する…すると、残った枝が立ち上がって、新しい幹になる。そうやって幹が太くなっていく。上の方は細い幹が幾つも立っているんですが、下の方はどんどん太くなっていく。人の手が入ることで、独特の姿で育ってきたのでしょうね」。
中ノ沢の森に根を張る数十本もの天然杉。この土地特有の豊かな自然と歴史を、その姿に刻み続けています。
EPILOGUE
暮らし続けることで地域の未来を支える
四半世紀以上にわたり、阿賀町の自然、中ノ沢の森と共に生きてきた明石さん。阿賀町に移り住んだのは、森に関わる仕事を求めてとのことでしたが、明石さんにとって、阿賀町での暮らしは単なる仕事の場ではありませんでした。
「私がずっとこだわってきたのは、ここに“暮らし続けること”でした。単発のイベント開催で地域を盛り上げようという話も昔からありましたが、やっぱりそれは一時的なものなんじゃないかと思っているんです。
本当に地域に根ざして、地域おこしにつなげていきたいのであれば、その場所に住み続けて、生活を営んでいくことが一番大事なんじゃないでしょうか」と明石さん。
暮らし続けることで、道路整備や除雪といった生活に欠かせないサービスが維持され、暮らしやすさが少しでも整備されることで、地域の存続に繋がると明石さんは身を持って経験してきました。
「私の場合は、中ノ沢の森という資源を活用しながら経済活動を営むことが、地域が続いていくことにつながると考えています。単なる理想論ではなく、日々の暮らしの中で実践してきた私なりの生き方ともいうか。それができてきたのは、阿賀町へ移住してきた時に、私を山や森へと連れ出してくれた地域の山人、山の達人の皆さんのおかげでしょう」。
明石さんは少しずつ増えている阿賀町への移住者にも希望を見出しています。
「子どもさんが増えたとか、その子が小学生になったとか、そういうのを聞くだけでも喜ばしいことですよね。ここに生き続けることによって地域が良くなっていくのであれば、それは自分にとっては嬉しいことです」。
その言葉から感じられるのは、明石さんが地域と共に生きる喜び。明石さんの活動は単に森を守るだけでなく、地域全体の未来を見据えてきたのですね。