
岩橋 義平 (いわはし ぎへい)さんの自己紹介
福島県西会津町・奥川地区の出身です。林業や測量、電子部品メーカーなどでの仕事を経て、2012年から14年間、集落支援員を務めました。代々続く田んぼで「減農薬竹酢米」のコシヒカリを育てながら、「農家民宿のばら」も経営しています。SNSの発信を通じて全国の大学生や社会人を奥川へと呼び込んでいます。
INTERVIEW
生まれ育った奥川でできること
おいしさと製法にこだわり、福島県西会津の奥川で米作りを続けてきた岩橋義平さん。そもそも、なぜここまで徹底した米作りにたどり着いたのか。そして、決して交通の便が良くない奥川に、なぜ今、人が集まっているのか。
後編では、奥川で生まれ育った岩橋さんの半生と活動を振り返りながら、その理由を探っていきたいと思います!
「生まれも育ちも、ここ、奥川。代々米農家の家で生まれ育ちました」と岩橋さん。奥川で生まれ、中学までを地元で過ごします。高校へ進むには下宿が欠かせない土地柄のため、林業を志して会津坂下町の農林系の高校へ、卒業後は福島県内の測量を学ぶ専門学校に進みました。

「正直、百姓やりたくないなと思っていました(笑)。じゃあ専門学校でも行くかって、たまたまそれが測量の学校だったんですよ」
専門学校を出ると、岩橋さんは東京の設計事務所に勤めました。時はバブルの最盛期。大手不動産会社系の宅地造成を手がけ、住宅公団に出向した時期もありました。ですが、24歳の時に父親が亡くなり、岩橋さんは故郷である奥川へ戻ることになりました。
帰郷後はまず、地元の森林組合で測量の仕事に就き、西会津町内の山をくまなく歩き回ったといいます。組合に5年勤めた後は、公民館の社会教育指導員として地域のスポーツや教育の企画に携わり、さらにその後は林業とも測量とも縁のない電子部品メーカーへ。
「一見ばらばらに見えるこの経歴が、のちの地域づくりの土台になるんですよ。山を知り、土地を測り、人と組織の間で動いてきたからね」と岩橋さん。これらの経験が活きて、奥川という地域の未来を想像し、読み解いていく目が養われていったといいます。
地域を駆け回った、集落支援員としての14年
岩橋さんにとっての大きな転機は、電子部品メーカーを離れた頃に訪れました。ちょうどその頃、西会津町が総務省の集落支援員制度に手を挙げたものの、なり手が見つからないという状況でした。そんな中、岩橋さんのもとに「集落支援員をやってみない?」と連絡が来たそうです。
集落支援員とは、過疎化が進む地域の維持・活性化を目指し、市町村から委嘱されて集落の巡回や状況把握、住民同士の話し合いをサポートする専門人材。日頃から地域で仕事をし、地域とつながりを持って暮らしてきた岩橋さんにとって、ぴったりの活動ですね。
「隠居するには早いし、二つ返事で引き受けてね。2012年から始めて、今年の3月まで続けたから14年もやったことになりますね」と感慨深そうに話します。集落支援員として担当したのは、奥川地区とそのお隣の新郷(しんごう)地区にある31の集落でした。

「『何をやってもいい』と言われて、まずは一軒ずつ訪ねて住民の困りごとに耳を傾けることから始めたんです。なかでも高齢者率が80%を超える5つの集落を、重点的に歩きました。いわゆる限界集落というところですね」
そういった地域には多くの課題がありました。道路の草刈りも水路の整備も、住民だけでは立ち行かない。「それでも、生まれ育った家で最期を迎えたいと願う人は多いんです」と岩橋さん。どんな山奥でも行政サービスは町中と同じであるべき……その思いで、岩橋さんは一軒一軒を訪れ、お茶を飲みながら話を聞き、住民と役場をつなぐパイプ役になっていきました。
「でも、地域活性化を仕事にすると、息が詰まってしまうことに気づきました。いろいろな人を訪ね歩いていると、段々と考え方が変わっていってね。地域活性化に熱心になるんじゃなくて、お互いに楽しくやりましょう、楽しいことを考えましょうと話して回るようになったんです。そうしたら『昔やっていた神社の祭りを復活させようか』なんて声がぽっと出てきたんですよ」
ポスター作りや準備はこちらで引き受けるから、1年に1日だけ参加してほしい。そんなふうに住民の負担を減らして声をかけると、地域で消えかけていた行事が次々とよみがえりました。
「活性化を旗印に掲げるのではなく、ただ『楽しいこと』を考えるだけ。あと何年かで集落が消えるかもしれない。その現実を前に落ち込んでしまうのではなく、最後まで楽しく生きる道を選んだ方が絶対にいい!と考えたんです」
その逆転の発想こそが、奥川を少しずつ動かしていくきっかけになりました。
「未来型結」で人が集まる仕組みとは?
今、岩橋さんのもとには、東京大学や慶應義塾大学、武蔵野大学、千葉商科大学の学生たちが毎年田植えや稲刈りに通ってきます。その根本にあるのが、奥川に古くから伝わる「人足(にんそく)」と「結(ゆい)」という言葉でした。
「結っていうのは、お互いっていう意味。労力は労力で返すっていうこと。一人ではできない仕事を集落みんなで助け合って、手伝ってもらった分は自分も返すということね。こうした共同作業を『人足』と呼んで、水路の土砂上げや草刈り、落ち葉さらいと、昔から地域で協力しながらやってきたんです」

ところが、高齢化が進み、地元の人だけではそういった作業を担いきれなくなったのが現実でした。そこで岩橋さんが考えたのが、都会の若者に人足へ加わってもらうこと。農作業をはじめとした作業を行う日をSNSで告知し、参加者を募るということを数年前から続けてきました。
「地元の人は助かるし、来た人は田舎暮らしを体験できて得でしょう。それを『未来型結』って名付けたんですよ」とうれしそうに語る岩橋さん。奥川で今年の春に行われた人足には、関東から35人ほどが駆けつけたといいます。

……ですが、そもそも学生たちは、どうして奥川へ通うようになったのでしょうか?ここ、ずっと気になっていました!
「ことの発端は、ある大学教授との小さな縁でね。奥川に来た地域おこし協力隊の隊員が、とある塾に参加していて、その塾を主宰していたのが東京大学と慶應義塾大学で教える教授だったんです。その教授がある時、私を訪ねてきてくれて『自分も田植えがしたい』と言うから『それだったら、うちの田んぼでやればいい』と引き受けた。これが始まりで、この地域に学生たちが来るようになったんです」

その後、教授が教える学生が奥川を訪れ、そこから縁は次々と枝分かれし、別の大学へと輪が広がります。最初は3〜4人だった田植えが、秋の稲刈りには30人に。やがて西会津町にある「西会津国際芸術村」からはアーティストが、さらには大手コンサルティング会社の社員も、研修の場として、岩橋さんのもとへ通い続けるようになりました。

また、美術大学の学生が、岩橋さんの農家民宿に泊まり込んで創作活動を行い、シャッターなどに絵画を描くなど、学生と地域をつなぐ活動も数多く行われてきました。

一人の教授との小さな縁が、これだけの人の流れを生んだとは……それだけ皆さんが岩橋さんの人柄や活動に惹かれたということなのでしょうね。
EPILOGUE
文化を守りながら、新しい風を入れる
決して便利とはいえないこの場所に、なぜ都会から人が何度も訪れるのか。岩橋さんは「わからない」と笑いますが、自身で心がけていることが幾つかあると教えてくれました。
一つは、まめなお礼。岩橋さんは一度来てくれた人には必ず、方言を交えた短いメッセージを送るそうです。岩橋さんの持論では「くたびっちゃべったでしょう(疲れたでしょう)」と土地の言葉を添えると、相手は親しみを感じるのか、また足を運んでくれるといいます。
もう一つは、学生たちに本気で向き合うこと。農作業に不慣れな学生を、あえて方言で叱ることもあるそうです。
「ちょっとでもやる気がないような素振りを見せれば『おめえたち、何しに来たんだ』って怒るんですよ。そうすると不思議なもので、怒ってもらえるのがうれしいって子がいるんです」
岩橋さんのように本気で向き合ってくれる、親ではない大人の存在は、今の若者にとっては新鮮なのでしょうか?
「学生たちを孫のようだと思っています。下手に感情を隠したり、いいことを言おうとしたりするとうまくいかないもの。ありのままの自分で接すると、相手も心を開いてくれるんじゃないかと。それはずっと心がけていることですね」
その場に必要とされ、本気で向き合ってもらい、家族のように扱われる。便利さでは測れないその手応えや関係性こそが、今の若者に響くのかもしれませんね。

「何かを起こすのは、よそ者、若者、バカ者と昔から言われるでしょう。でも、それを受け入れる人がいないと、うまくいかないものです。新しいアイデアは歓迎するけれど、土地の風土に合わないと感じれば、はっきり伝えます。ここにはここの文化がある、それを守りつつ取り入れるならいいと思っています。文化を残しつつ変えていくのは、やぶさかではないんです」
そんな岩橋さんの思いを形にしたのが、福島県で初めての取り組みとされる「集落の教科書」です。集落の決まりごとをまとめた1冊で、地域を訪れた学生や移住者に配布しているそうです。強く守ってほしいルールには怒り顔、ゆるやかな約束にはにこにこ顔のマークを添えました。山の生き物への注意も盛り込んだこの教科書は、中学校の道徳の教科書にも取り上げられました。

岩橋さんのもとには、研究者が書いた本や論文も次々と届きます。頼んだわけでもないのに、奥川での営みを何十ページと書き残してくれる。来た人が語り、書き、また誰かを連れてくる。その連鎖こそが、この地域に関わる関係人口を育ててきたのです。
「ご縁ができてつながった人は、絶対に離したくないんですよ。私の場合は、去る者は追わずじゃなくて、去る者は追います!」と満面の笑みで話す岩橋さん。
一度でも関わった人とは、必ずつながり続ける。そうやって結んできた縁が、岩橋さんを中心に奥川に広がっていきます。そのご縁の輪は、今も少しずつ大きくなっているのでしょう。岩橋さんは、そんな未来を楽しそうに語ってくれました。











