
中澤さんご夫妻の自己紹介
中澤 裕史(なかざわ ひろふみ)さん(写真右)
佐渡市両津生まれです。大学卒業後、東京で電子部品製造の仕事をしていましたが、2020年に佐渡へUターンしました。家業を継いで、中澤仲助商店の4代目として頑張っています。
中澤 加奈(なかざわ かな)さん(写真左)
出身は北海道です。看護師として働いていた時に、トルコへの旅行中に夫の裕史と出会いました。夫と5歳の娘と、佐渡暮らしを楽しんでいます♫
INTERVIEW
魚のおいしさを標準化でつくる
4代目の中澤裕史さん・加奈さんが中心となって切り盛りする、佐渡・両津にある「中澤仲助商店」。創業から100年を過ぎた今もなお、佐渡の海産物専門店として地域で親しまれています。
裕史さんが店の跡を継ぐことになったのは、2020年のこと。それまで裕史さんは20数年間、東京で電子部品の製造業に携わっていました。

「子どもの頃から『将来は家を継ぐんだよ』と言われていましたけど、結構反発していたんです(笑)。大学も理系に行って、製造業に就職して、家業とは全く関係のないところにどんどん行っていました。
あと、家が商売をやっていて忙しくしていたものだから、小さい頃は焼きたての魚のおいしさを味わったことがなかったんです。いつも冷たくなって硬くなった魚ばっかりで……(笑)。ですが、学校の遠足だったかな?うちの親が先生と生徒に差し入れした焼きたての汐イカを食べて、びっくりしてね。うちで作ってるイカってこんなにうまかったのか!と驚いた覚えがあります」と裕史さんは振り返ります。
しかし、裕史さんのお父さんの右腕だった叔父さんが急逝し、帰省するたびにお店の活気が失われていくのを見て「自分が帰ってくるのが一番妥当な選択じゃないか?」とUターンを決断。2年前に亡くなったお父さんと一緒に仕事ができたのは約3年間と短い期間ではありましたが、お父さんが作り上げてきた干物の技術と、裕史さんが製造業で培った経験が、今の中澤仲助商店には活かされています。それは、魚の加工作業を定量化・標準化し、味のばらつきを抑える取り組みです。

「私の仕事の経験が活きている点でいうと、作業の標準化ですね。例えば塩を振るといったら、どのくらいの量を振るのかで味は変わってくるんですよね。昔は職人の勘みたいなものでやっていましたが、それだと実際にはバラつきが起きます。手ですくうようなことをやっていたら、手の大きさは人それぞれ違うし、舐めてみてちょうどいい感じといっても、その時の体調によって感じ方って全く違いますから」

こういった部分を数値化し、作業を標準化することで、おいしいものを安定的に作るという管理の仕方を、今のお店では徹底しているそうです。
「魚の仕入れ段階から、家庭で焼いて食べるのにちょうどいいサイズを選んで買うことも、標準化の一環です。
昔は『すごくおいしかった』という意見もあれば『しょっぱかった』という声もあったりしましたが、そういう声は最近聞かなくなったので、成果は出ているんじゃないかな?」と裕史さん。品質安定の手応えを感じているようです。
獲れる魚も魚の旬も変わりつつある佐渡の海
裕史さんの一日は、朝7時の市場から始まります。魚の競りが7時、イカの競りが8時にスタート。店は9時から営業していますが、魚を仕入れた日は加工作業に追われます。魚をさばいて、洗って、塩漬けして干し始める作業は、なるべく午前中で終わらせます。

「イカだと干すのに3時間から5時間かかるので、例えば夕方5時から干し始めたら夜中になっても仕事が終わらなくなります。だから、なるべくその日のうちに全部処理するよう加工作業は午前中に終わらせるようにしています。その日のうちに出来上がったものをパックして冷凍すれば、鮮度がいい状態の商品が作れるので」
毎日仕入れに行くわけではなく、値段が高かったり、漁が少なかったりする時は買わないこともあるそうです。「海に左右される仕事です」と裕史さんは笑います。
日頃、魚にふれているからこそ、裕史さんは昨今の佐渡の海の大きな変化も感じているそうです。特に深刻なのが、看板商品である一夜干しの主原料・スルメイカの不漁。2023年は極端な不漁で、3ヶ月間ほとんど獲れない時期が続きました。
かつては佐渡の名産品だったトビウオも、昔に比べてほとんど獲れなくなりました。逆に、以前は獲れなかったメダイやサワラが獲れるようになり、マグロも豊漁に!佐渡産ブランドとしての認知度が低いことから、高値が付きにくいのが現状だといいます。
魚の旬も変化し、例えばアジは夏が旬といわれていますが、今は春を過ぎた初夏か晩秋の頃の方がおいしいのだとか。地球規模で環境が変化しているのを、裕史さんは肌で感じているそうです。

「海の状況が読めませんね。そんな時だからこそ、市場での情報収集を大切にしています。魚市場に買い付けに来ている諸先輩方は、百戦錬磨の強者ばかりです。そんな魚の目利きの方々から、昨日のやつは良かったとか、今は脂が落ちているからやめた方がいいといった情報を聞きながら、おいしい魚を選んで買うようにしています。日々学ばせてもらっています」
変化する海と向き合いながら、おいしい魚を見極めていく。それが今、裕史さんに求められている仕事なのかもしれません。
EPILOGUE
両津の街は伸びしろしかないっ!!
家業に奮闘する裕史さんを支え、中澤仲助商店の新しい風となっているのが、妻の加奈さんです。北海道出身の加奈さんは、トルコ旅行で裕史さんと出会い、2020年に佐渡へ移住してきました。
「海の綺麗さ、北海道にはないお花、フルーツもたくさんあって、私にとっての佐渡は魅力しかありませんでした。娘と一緒に田んぼの景色の中を散歩したり、泥んこになって遊んだり、道端のキイチゴを摘んで食べたり。そんな日常が、私にとっての宝物なんです」と加奈さんはほほ笑みます。

移住当初は知り合いが一人もいなかったそうですが、子育て支援センターやSNSを通じて、子どもを介した繋がりが少しずつ広がり、地域の人々も温かく迎えてくれました。
「よそから来たというような感じではなく『仲助に嫁に来た!』『仲助のお嫁さん』と、皆さんが私の顔を覚えてくださったんです。隣のおばあちゃんは野菜を分けてくれて、何かをもらったら何かをお返しする。そういうやりとりが永遠に続いていくような、佐渡の人々の懐の深さを毎日感じています」
看護師として大きな組織で働いてきた加奈さんは、今は自営業という新しいステージで、自分のアイデアを形にする喜びを感じています。友達のお母さんたちと一緒にイベントに出展するなど、若い世代を中心に魚の魅力を伝える活動を積極的に行っています。

「トルコ旅行で食べたサバサンドが忘れられず、SNSで『誰か佐渡産のおいしいサバで、サバサンドやってくれないかな』とアイデアを発信したら、両津港にあるmaSani coffeeさんが応えてくれて、中澤仲助商店のサバを使ったサバサンドを提供してくれたこともありました。
小さいお子さんがいるご家庭や若い世代の方たちに、もっと中澤仲助商店を知ってもらって、佐渡の魚を食べてもらいたい。それが今の私の願いですね」と加奈さんは語ります。
裕史さんが20数年ぶりに戻ってきた両津夷商店街は、シャッター街になっていましたが、加奈さんの目にはそれが逆に可能性として映っています。
「私が来た時はシャッター街でしたが、満るかさんのような新しいお店も開いてくれて、これからどんなふうにやっていこうかと、ここで商売をしている私たちが自由に考えていけることに、とてもワクワクしているんです。両津夷の商店街は、伸びしろしかありませんから!」と加奈さんが笑顔で話す横で、裕史さんが「うんうん」と笑顔で頷きます。

「私たちが目指しているのは、佐渡でこの店に出会えて良かった、仲助に行けばおいしいものにありつける、間違いない!と思っていただけるような、愛されるお店づくりです。そのために、まだまだやらなければならないことがたくさんあります(笑)」と中澤さんは夫婦で意気込みます。
おいしいものはネットでも買えてしまう時代ですが、中澤仲助商店のおいしい逸品はぜひ!両津の街を歩いて買いに出掛けてみませんか?中澤さんとのおしゃべりもきっと楽しいはずです。












