
阿部 耕介 (あべ こうすけ)さんの自己紹介
東京出身、現在51歳です。20歳頃からクライミングを始め、世界各地の岩場を登ってきました。30年ほどフリーランスの映像ディレクターもやっていて、最近はBSの釣り番組なども手がけています。2021年に妻の実家がある佐渡へ移住して、2023年に本格ボルダリングジム「KUJIRA WALL(クジラウォール)」をオープンしました。妻と猫5匹と暮らしています。
INTERVIEW
30年を捧げた“クライミング”という生き方
現在、阿部さんは51歳。30年以上にわたってクライミングと向き合い続けてきた人生の始まりは、阿部さんが20歳の時に池袋のサンシャインシティで開催されたクライミング大会でした。
そこで目の当たりにした、一人のクライマーとの出会いが、阿部さんの人生を変えたといいます。
「その当時、クライミングで世界一と言われていた平山ユージさんという方がいたんです。日本のトップクライマーがボコボコ落ちていく中で、平山さんだけが一番上まで登った。その時に僕がなぜか勘違いをしまして『絶対に俺の方がうまくできる』と、反骨心が湧いてしまったんですよ(笑)」
世界的クライマーの平山さんのデモンストレーションを見て、衝撃を受けた阿部さん。全く根拠のない自信が、阿部さんを30年間クライミングの世界に引きとめた原動力になったと、阿部さんは振り返ります。
「平山さんの腰巾着のように、彼と登るということだけを目標にしていました。一緒に海外に行ったり、クライミングのビデオを作ったり。ただの勘違いから始まりましたが、それだけ惹かれるものがあったんでしょうね」と笑いながら振り返ります。
平山さんとの関係は師弟というより、共に高みを目指す仲間のような関係だったそうです。
平山さんとの出会いから、阿部さんのクライミング人生は、想像を超えるスピードで展開していきます。海外でのクライミングも積極的に行い、アメリカ・ヨセミテ国立公園にある一枚岩の「エル・キャピタン」など国内外の岩場にも挑戦。阿部さんにとって、クライミングはただ登るものではなく、自分自身と向き合い、限界に挑戦し、新しい自分を発見するきっかけにもなりました。

しかし、いつしか阿部さんは、クライミングの世界だけで食べていくことの難しさを悟って、映像制作の道へ転身。「クライミングで一流にはなれない」とは思いながらも、クライミングそのものが嫌いになったわけではありません。
「むしろ、一生付き合っていくもの」。阿部さんはクライミングを人生の一部として捉えるようになりました。
佐渡移住とセルフリノベーションの日々
映像の仕事をしながら、クライミングを続けていた阿部さんですが、2021年に奥様の早苗さんの実家がある佐渡へ移住しました。篆刻家(てんこくか)である早苗さんとは映像の仕事で知り合い、現在はKUJIRA WALLの受付も手伝っています。
「佐渡に移住したのは、妻の実家が佐渡だから。理由はそれだけでした。僕は土地に対するこだわりがあまりないんですよ。ぶっちゃけると、多分僕が先に亡くなると思うので、その時に妻の周りに家族や親戚がいる場所の方がいいんじゃないかなと」と阿部さんは移住への率直な気持ちを語ります。

しかし、佐渡で困難を極めたというのが住居の確保。
阿部さんが購入したのは築80年の空き家でしたが、元は納屋として使われていた建物で、昭和の遺物が山のように積まれている状態でした。
「家にあるもの全てを、そのままの状態で引き取る条件で購入しました。そのため、2カ月間は佐渡のリサイクルセンターやゴミ焼却場を往復する毎日でした(笑)」と阿部さんは振り返ります。
さて、阿部さんが最初に取り組んだのは、納屋だったスペースをクライミングジムに生まれ変わらせることでした。納屋の解体から内装の工事、柱を抜く作業一つとっても、壁の中に隠された配管や構造を理解しなければならず、少しずつ手探りで進めていきました。
「でもね、解体作業って、やってみると本当に面白いんですよ。どういうふうに家が作られているか、その仕組みが分かってくるんです。これはもうパズルみたいなもので、一つ問題が解決すると、次の問題がまた現れる。でも、それを乗り越えるのが楽しかったですね。基本、根性でやればなんとかなると思いました(笑)」

たくさんの厳しい現実を前にしても、「自分ができることを少しずつやっていくだけ」と、前向きな姿勢を貫く阿部さん。その姿勢こそが、佐渡初となるボルダリングジム誕生へとつながったのですね。
EPILOGUE
半径30mの人を幸せにする生き方
クライミングジムの運営に加え、阿部さんにはもう一つの大きな野望があります。それは、「佐渡の岩場を開拓すること」。つまりは、クライミングができる場の開拓です。
「佐渡には意外と岩場があります。今、注目しているのが外海府の岩場かな。風光明媚な上に、夕方に行ったら太陽が沈んでいく様子が見られる岩場で魅力的ですよ」と阿部さんは語ります。

この開拓活動には、世界的なクライマー・小山田 大(こやまだ だい)さんも協力しています。昨年は、小山田さんが3週間くらい佐渡に来られたそうで、一緒に佐渡の岩場を開拓したのだとか。実は今、クライミング業界では「佐渡、これからどうなる?」といった期待の目が向けられているといいます。


「最終的に僕が目指すのは、佐渡でクライミング文化を定着させるということです。各地からクライミングを目的に佐渡を訪れる人、佐渡でクライミングを始めた人、その人たちを受け入れる受け皿を作り続けたい。そのための岩場開拓ですね。もちろん、自分のためでもありますが」
室内のボルダリングジムは、初心者がクライミングを楽しむことから始める「釣り堀」だとしたら、クライミングの本当の面白さは自然の中の岩場にあると阿部さんは信じ、佐渡にその可能性を見出しています。「クライミングで佐渡に新しい魅力を生み出したい」という思いが密かにあります。
「最終的には佐渡クライミングの父みたいな銅像を建ててもらいたいかな。半分本気です(笑)」と阿部さんは冗談めかして語りますが、その表情には真剣さが感じられました。

取材中、「時間がない」と繰り返し言葉にしていた阿部さん。その背景には、自身の体力の衰えや老いで、有限な時間を実感しているからと話してくれました。
「あと5年が勝負だと思っています。この5年間で、どれだけ自分がやりたいことを実現できるか。そこにかかっている気がしますね。僕にとってクライミングって『生きている実感』を得られる貴重なもの。今、ここに生きているという喜びがクライミングにはあります」
一方で、佐渡の将来について、阿部さんは現実的に捉えています。世界文化遺産登録で注目されて、観光で一時的ににぎわったとしても、佐渡に住んでいる人自身が楽しんでないといけないのではないか?と阿部さんは考えています。
「国内外から観光客が来て、おいしいところ・綺麗なところだけ取って『ああ良かったね』で終わりではなく『なんか佐渡に住んでいる人たちってすげー楽しそうじゃん!羨ましい!俺も住んでみよう』、そんなふうに見える人や生き方の発信こそ魅力的じゃないですか?」と問いかけます。

あくまで、自分が楽しむことが第一と話す阿部さん。自分自身が佐渡全体をどうにかしたいという気持ちよりは、自分と関わってくれる半径30mくらいの人たちを幸せにしたいと日々考えているそうです。
「人間、半径30mくらいしか変えられないし、一人一人が30mという領域を持っていれば、やがて伝播して幸せも広がっていく……そう考えているんです」
大きなスローガンではなく、自分ができることに挑戦しながら、着実にものごとを積み重ねていく。クライミングを人生そのものと捉える阿部さんらしい、地に足のついた考え方だと感じました。
何十年後、「佐渡のクライミングの父」と書かれた阿部さんの銅像にお目にかかれること、私も楽しみにしています!










