
加賀さん母娘の自己紹介
加賀 米子(かが よねこ)さん(写真右)
昭和20年代に祖父が創業した「まるか旅館」の3代目です。旅館ではお客様のお出迎えから料理、サービスとやっております。次女の実穂と一緒にお食事処を始めて、バタバタしていますが楽しい毎日です。
加賀 実穂(かが みほ)さん(写真左)
佐渡・両津で生まれ育って、高校卒業後に東京で学生をしていました。24歳で戻ってきたのは、母の力になりたいと思ったから。旅館では送迎を担当していて、両津港までのお客さんとの会話が楽しいです。昨年、念願だった飲食店オープンを実現しました。大好きな両津の街のために頑張っています!
INTERVIEW
両津にかつてのにぎわいを
お食事処満るかとまるか旅館を営む加賀米子さん、実穂さん。母娘共に生まれも育ちも佐渡の両津で、良くも悪くも両津の街の移り変わりを肌で感じてきました。中でもお二人は、幼い頃に見た、人々が活発に行き交う活気に満ちた街の記憶が、今も色濃く残っているといいます。

「私が子どもの頃、平成初期くらいでしょうか。両津は本当ににぎやかでした。特に夏になると、商店街全体がお祭りのようににぎわっていて、両津港に大型バスが次々と到着していました。旅館で夕食を終えたお客様たちが浴衣姿でぞろぞろと商店街に出てきて歩き、下駄の音が『カラコロカラコロ♪』と響いていました。その楽しい記憶が、両津の街を何とかしたいという思いにつながっているのだと思います」と懐かしそうに振り返る実穂さん。

両津は佐渡島の玄関口として、多くの人々の旅の始まりと終わりを見守ってきた場所。商店街には、地元の洋服店や専門店が軒を連ね、子どもたちにとっての憧れの場所も存在したといいます。
「両津には『マックス』というハンバーガー屋さんがあったんです。子どもたちにとっては本当に特別な場所で、学校帰りに立ち寄っては、大勢の友達と集まっていました。街にはいつも誰かがいて、歩いているだけで楽しい、そんな思い出がありますね。今は大分変わってしまいましたが……(笑)」と実穂さん。なんと、両津にはハンバーガーショップまであったのですね!?私、知りませんでした……!
しかし、時代の流れと共に佐渡市が誕生。今は、商業や医療などの機能が国仲(くになか)と呼ばれる島の中央部に集まり、佐渡金銀山で相川がにぎわいを見せています。人の流れが変わっていく中で、両津は次第に「通過点」のような存在になってしまったとお二人は感じてしまうそうです。

「かつては両津で一泊し、島内の観光を楽しんだ人々も、今は船で両津港に降り立つと、すぐにレンタカーを借りて、佐和田や相川、小木などへ向かって両津に戻ってくる……といった観光スタイルが主流になってきているのかなと感じますね。街を歩く人が少なくなり、商店街に閉まったシャッターが増えていくのを見るたびに『何とかしたい!』という思いが強くなっていきました」と実穂さん。
両津の商店街にある空き店舗は、彼女たちの目に「寂しさの象徴」ではなく、「未来の可能性」として映るように。「このまま何もしないわけにはいかない」という静かな決意へと変わっていったのです。
商店街の古民家との運命の出会い
母娘の静かな決意が、思わぬ形で実現するに至ったのが、今、お食事処満るかの元になっている古民家です。雑貨屋だった古い建物との出会いを、お二人は「運命だと感じました」と口をそろえます。

「以前からずっと空き家になっていて、両津の街の玄関口にこんなに素敵な建物が空き店舗のままになっているのがもったいないなと思っていたんです。人づてで中を見せてもらえることになり、裏手には駐車スペースもあったことが購入の決め手になりました」と米子さんは振り返ります。
ですが……リノベーションは困難を極めたそう。特に驚いたというのが、建物の傷み具合でした。解体してみると、柱がボロボロになっており、このままでは使い物にならない状態だったそうです。
「どうしようかと頭を抱えました。でも、地元の大工さんが本当に頑張ってくださって、柱を補強し、見事に蘇らせてくれたのです。大工さんだけでなく、内装業者さん、電気工事の職人さんたちも積極的に意見を交わしてくれて、より良い店づくりを目指してくれました。私たちの熱意が伝わったのかな?本当にありがたかったです!」と実穂さんは振り返ります。


お二人が特にこだわったのは、古民家らしい風情を残すことでした。お食事処満るかの店内は吹き抜けになっていて、お店がある1階と2階との間に設けられた欄間細工は、まさにその象徴です。
「あまりにも欄間が綺麗すぎて、お店から上を見上げると欄間が見えるように施工してもらいました。繊細な細工が施されていて、昔の職人さんの技術の結晶だなと感じました。これを塞いでしまうのはもったいないと思って、あえて残すことにしたんです」と実穂さん。

この建物が歩んできた商店街での記憶や昔の職人の技術、それは佐渡で育まれてきた歴史の一片でもあります。
EPILOGUE
地元客も観光客も集える、両津の拠り所へ
お食事処満るかを開店して、約半年。お二人のお話をお聞きしてきましたが、米子さんも実穂さんもとってもパワフル!だと思いませんか?両津ににぎわいを取り戻したいという思いが、母娘の挑戦を後押ししているのが伝わってきました!
お二人がこのお店を通じて創り出していきたいのは、かつて自分が経験したような、地域の人々が気軽に集い、交流できる場所。そのためには、ただ食事をする食事処としてだけでなく、さまざまな人が立ち寄れる仕組みを考えていく必要があると語ります。

「一度、野菜などを店頭で売ってみようと考えました。そうすれば、お店の中に入るわけではなくても、歩いている人が気軽に『何が売っているのかな?』と立ち寄りやすくなりますよね。ちょうどお店の入り口も広くて活用しがいがあるので、他にどんなことができるかなと二人で考えているんです」と実穂さん。
取材中、米子さんが厨房に入って行き、「今日は暑いから、一杯どうぞ」と、手作りの梅ジュースを出してくれました。「いただきま〜す」とごっつぉクルー皆でありがたくいただきましたが……「この梅ジュース、おいしい!!」と大盛り上がり!

梅ジュースに使われた梅は、米子さんの妹さんが大切に育てた梅の木から採れたもので、お食事処満るかのランチには、この梅を使った梅干しが添えられているそうです。
食いしん坊の私たち、梅干しもいただきましたが、最近よくある市販の甘め梅干しとは異なる、梅本来の酸味と旨みが楽しめる梅干しでした。
「酸っぱい〜!でも、これこれ!懐かしい梅干しの味ですね」なーんてまたも大盛り上がり(笑)。

「すごくふっくらしていて、肉厚でおいしいですよね。この梅は、常連のお客様に密かな人気なんですよ」と実穂さん。
例えば、店先にベンチを置いて、観光客や地元の人々に向けて、この梅を使ったジュースやかき氷、さらには梅干しおにぎりなども楽しめると面白そう……。
と、取材中に話が盛り上がりましたが、実穂さん、お食事処ではありますが、こういった名物ができることで、実穂さんが昔憧れていたハンバーガーショップ「マックス」のような場所になる可能性も秘めていませんか……!?
「ハンバーガーと梅の商品だとまたイメージが変わってしまいますが(笑)、確かに地元の子どもたちがお小遣いを持って買えるような商品もあったらいいなとは思っていました。私たちが飲食業を始めた一番のきっかけも、両津という地元のためですから。だから、このお店が両津の街の活性化に少しでも貢献できたら嬉しいですし、観光客の方にはもちろん、地元の人が『ああ、両津っていいな』『地元に帰って来た感じがするな』と感じられる、そんなホッとする場所にしたいんですよね」。
実穂さんは熱い気持ちを、丁寧に言葉にしてくれました。

それにしても取材中、梅を使ったおにぎりにパフェ、ソフトクリームはどう?など、アイデアが飛び交いました!
何だかどのアイデアも実現できそうな予感……といいますか、どれも食べてみたい……。私たちごっつぉクルーもアイデア出しに参加させてもらって、楽しいひとときでした。
両津の街を愛する母娘の思いは、商店街の未来を創り出そうと動き始めたばかりです!
NEXT EPISODES
最後に、佐渡の魅力的なお二人を、加賀さんからご紹介いただきました。
佐渡初のボルダリング施設を営む阿部耕介さん
1人目は、佐渡では珍しいボルダリング施設「KUJIRA WALL(クジラウォール)」を運営する阿部 耕介(あべ こうすけ)さん。
「KUJIRA WALLは姉と義兄がやっています。ボルダリングジムは佐渡にはなかった新しい取り組みなので、もっと広まってほしいですね」と実穂さん。
室内施設で天候に左右されず、地域活動の一環として子どもたちのスクールも開催しているそうです。どんな場所なのか、どんな経歴の方なのか気になります!
地域に根ざした「中澤仲助商店」の中澤裕史さん
2人目は、両津夷商店街で長年、海産物の食料品店を営む中澤仲助商店の中澤 裕史(なかざわ ひろふみ)さん。
「中澤さんのお店の塩辛やイカの一夜干しは、地域の方々に愛され続けている逸品です。魚のない時期でも常に何かしらの商売をされていて、裕史さんと加奈さんご夫婦の明るいお人柄もお店の魅力です」と実穂さん。
中澤仲助商店のお店があるのは、お食事処満るかのすぐご近所!観光客の方も気軽に立ち寄れる地元密着のお店とのことで、こちらも取材が楽しみです。
阿部さんと中澤さんのエピソードも、どうぞお楽しみに。