
佐藤 裕美 (さとう ひろみ)さんの自己紹介
新潟市生まれの「林仏壇店」6代目で、今は新潟市西蒲区に住んでいます。幼い頃から母の描く蒔絵に憧れ、デザイン専門学校でイラストを学びました。21歳で家業に入り、伝統的な蒔絵技術を両親から学びました。「新潟の良さを多くの人に知ってもらいたい」という思いで、伝統技術を現代に活かす創作活動を続けています。プライベートでは3人の子どもの母として日々奮闘中です。
PROLOGUE
今回は、小林履物店の小林正輝さんにご紹介いただいた佐藤裕美さんを訪ねて、新潟市中央区にある「林仏壇店」へ。
仏壇といえば、新潟が誇る伝統的工芸品の一つ。京仏壇の流れを汲んだとされる新潟・白根仏壇は、飾り金具を多用し、仏壇頭部の冠に反りをつけるなど独特の豪華さが特徴です。一つの仏壇は、木地師、塗師、金具師、彫師、蒔絵師の「五職」と呼ばれる職人が力を合わせて作り上げます。

その一つである蒔絵(まきえ)とは、漆の木から採れる樹液を精製した漆に弁柄粉(べんがらふん)を加えた弁柄漆(べんがらうるし)で絵や模様を描き、漆が固まらない絶妙なタイミングで金や銀の粉を蒔いて付着させ装飾する日本の伝統技法です。粉を蒔いて絵にするところから蒔絵と呼ばれています。昔はネズミの毛でできた特殊な筆を使い、細密な模様を描いていたといいます。
新潟仏壇における蒔絵は、本漆塗りと本金箔・本金彩を多用した優美な品格があり、時間が経っても変色せず、大事にメンテナンスすれば100年以上使い続けられるのも魅力といわれています。
さて、林仏壇店の一角で、黙々と作業をする佐藤裕美さんを発見!

佐藤さんの周りには仏壇のイメージとはかけ離れた、カラフルなお猪口などがずらりと並んでいます。

「佐藤さんは蒔絵の伝統工芸士なんです」と小林さんから聞いていましたが、どうやらお仏壇だけを造っているわけではなさそうです。一体、蒔絵の技法を使ってどんなものを創っているのか、仏壇店を継いだ思いなども交えてお話を伺いました。
INTERVIEW
代々続く仏壇店を継ぎ、創作活動を模索する日々
佐藤さんの実家である林仏壇店は、江戸時代末期から続く老舗仏壇店。かつては信濃川の支流沿いに店を構え、仏壇の制作・販売を行ってきました。昭和39年の新潟地震を経験し、時代の変化とともに商売の形も変えながらも、代々技術を受け継いできました。

佐藤さんはそんな歴史ある仏壇店の6代目。父・林 芳弘さんは塗師、母・由利子さんは蒔絵師であり、ご両親とも伝統工芸士の資格を持つまさに職人一家!
その中で、幼い頃から佐藤さんは母・由利子さんが描く絵に魅了されていたといいます。
「母の描く絵にずっと憧れていました。一緒にぬり絵をしてくれた時は、丁寧に色を塗る母の繊細な技術を見て、私もこんな風に描けるようになりたいと、子どもながらに思いました」

絵を描くことへの情熱は次第に仕事選びにもつながり、将来は「絵描きか保育士になりたい」と佐藤さんは考えるように。高校卒業後はデザイン専門学校に進学し、グラフィックデザインを学びました。
「写真や広告、さまざまなデザインを試してみて、やっぱり私は自分の手で直接描く作業が一番しっくりくるなと気付きました」と振り返る佐藤さん。デジタルを介さない手仕事の温かみと細部への繊細なこだわりが、佐藤さんの感性と合致していたのです。

専門学校時代には東京のデザインフェスタに出展し、映画「マトリックス」のメインビジュアルを手がけたデザイナーからスカウトされるほどの才能を見せた佐藤さんでしたが、上京の道は選ばず、20歳で家業に入ることになります。
「家に仏壇店があるじゃない」という周囲の声と、代々受け継がれてきた技術を絶やしてはいけないという思いが、佐藤さんを家業へと導きました。
「同級生が華やかな業界に進む中、家業を継ぐことに最初は戸惑いがありましたね……。でも『最低でも3年は続けてみるべき』という両親の教えに従い、蒔絵の技術を学んでいくうちに気持ちの変化を感じました。修行を重ねるうちに少しずつ描けるようになって、それが楽しくなってきたんです!漆と筆で一本の線も描けなかった悔しさが、上達とともに喜びに変わっていきました」
技術修得の過程で芽生えた情熱について、佐藤さんは嬉しそうに振り返ります。

両親のもと日々家業で学ぶ傍ら、佐藤さんは独自の活動も展開。佐藤さんがイラストを描いていることを知っていた古町の飲食店の方から依頼を受けて、壁やシャッターに絵を描き始めたのです。
「家業では伝統的な技法や題材が中心でしたが、街中での活動では自分の感性を自由に表現できる場が欲しかったんです。仕事を終えた夕方から深夜まで古町の店舗で絵を描き続けていました。結構ハードでした(笑)」。
限られた時間を自主制作に費やしていた日々は10年ほど続き、今も一部の作品が幾つかのお店に残っているそうです。

家業と自主制作に取り組み、同時に子育てにも励んでいた佐藤さん。転機となったのは蒔絵の伝統工芸士の資格を取得したことでした。
伝統工芸士とは国に認められた国家資格で、以前は25年の製造実務経験を積んだ上で試験を受ける資格が得られたのですが、現在は継承者不足、後継者育成のため、満12年以上に短縮されています。
それでも組合からの推薦や厳しい技術審査、伝統的な材料や道具を使用しているかなどの条件をクリアする必要がありました。伝統工芸士の試験では、作品を削ってみて本当に漆で書いているかどうかまで確認されるなど、厳格な審査が行われました。その中で佐藤さんは無事に合格!35歳で蒔絵の伝統工芸士を取得しました。

「それまでは『主婦が趣味で蒔絵をやっている』という目で見られることが多かったんですが、伝統工芸士になってからは周りの見る目が明らかに変わりました。作家として認めてもらえるようになったといいますか。資格が私自身の社会的評価に与えた影響ってとても大きかったんです」
30代半ばで、伝統を守りながらも新しい表現を模索し続ける道を歩み始めた佐藤さん。蒔絵師としての確かな技術と、アーティストとしての感性を併せ持つ佐藤さんの挑戦は、伝統工芸の世界に新たな風を吹き込むことになります。
金属加工技術×蒔絵技術で新しいものづくり
伝統工芸士の資格によって、自分自身の技術に対する確信と、周囲からの信頼を得た佐藤さん。その自信が、やがて伝統と革新が融合する新たな創造へと繋がっていきました。
さらに、佐藤さんが38歳の時には思いがけない機会が訪れます。各県から1名の職人を選出する「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT(レクサスニュー匠プロジェクト)」への参加依頼です。
このプロジェクトは、伝統工芸の次世代継承を目的としたもので、全国47都道府県から選りすぐりの若手工芸家を1名ずつ選出し、彼らの新たな創作活動や技術開発を支援するというものでした。
目の前にまたとないチャンスが訪れた佐藤さんですが、当初は参加を躊躇していたのだとか。
「声がかかった時は一番下の子を出産したばかりで、断ろうと思ったんです。ですが、子どもたちが『お母さんやりたいんでしょ。やりなよ。面倒を見るから』と背中を押してくれたことで参加を決意しました」。当時小学生だったというお子さんたち、佐藤さんの普段のものづくりの様子を見ていたからこそ、挑戦したい気持ちを後押ししたのでしょうね!
プロジェクトの条件は、半年という限られた期間内に、まったく新しいものを作り上げなければならないという厳しいものでした。その中で佐藤さんが選んだのは、新潟の誇る「燕三条のステンレス技術」と自らの「蒔絵技術」を融合させる挑戦!
実はこの挑戦は15年ほど前、佐藤さんが20代前半の頃から始まっていました。当時から佐藤さんは、父・芳弘さんと共に金属への漆の焼き付けと蒔絵を模索し続けていたのです。

「ステンレスなどの金属に漆を焼き付けることができないかと、新しい漆の可能性を父とずっと考えていたんです。二人で試行錯誤を繰り返して、これだと焼きすぎてくすんじゃうよね、これだと焼きすぎてボロボロしちゃうよね、でもこれだと焼かなすぎて取れるよねと、温度や時間を変えながら実験を重ねてきました」。
佐藤さんはステンレス加工のプロフェッショナルである金属加工の企業と、特殊な酸化発色技術を持つ企業にも協力を求め、最後に佐藤さん自身が蒔絵と焼き付けを施す、三段階の製作工程を確立しました。
代表作誕生!全国へと知れ渡らせた、予想外の“バズり”
そうして出来上がったのが、「宙COCORO(そらこころ)」と名付けられた美しいお猪口。ステンレス製のお猪口に独自の焼き付け技法で蒔絵を施したもので、星座、花火、花などの繊細な絵柄が特徴です。

一番の魅力は、水や酒を注いだ時に現れる幻想的な美しさ。水やお酒などの液体が注がれることで、酸化発色と蒔絵が光を反射し、奥行きのある幻想的な空間が広がります。
ご覧ください。



水を注ぐにつれて、お猪口の中に奥行きや広がりを感じませんか?
もうこの美しさにうっとり……。いつまで眺めていたくなる風景です。
「注いだ時に一番綺麗になるように描くのを心がけています。漆を擦り込んで焼くことで、金属の質感を残しながら色彩表現ができるんです。絵柄を描き、焼き付け、また描いて焼き付けるという工程を30回ほど繰り返すことで、耐久性と美しさを両立させました。とても繊細な作業で、乾き具合の見極めが重要なんです。早すぎると金が沈んで汚くなり、遅すぎると定着しない、その微妙なバランスがとても難しいですね」
2019年2月のプロジェクト発表会では、新潟伊勢丹のバイヤーから声がかかり、同年ゴールデンウィークに新潟伊勢丹の催事への初出展が実現。
「27個売れました。一つを作るのにものすごい労力を使うので、頑張った甲斐があったと思いました!」と笑顔で当時を振り返ります。
しかし、真の飛躍はその後訪れました。
購入者がSNSに投稿した「宙COCORO」の写真が予想外に拡散し、全国から問い合わせが殺到!いわゆる「バズった」というものですね。
「私はツイッター(現・X)もやってなかったので、知らないところで大変なことになってると言われてびっくりしました(笑)」と突然の反響に戸惑った様子を語ります。

現在、「宙COCORO」は新潟伊勢丹で販売されており、注文は4ヵ月待ちという人気ぶり。今や47都道府県すべてに届けられたという実績を持ちます。
佐藤さんは月に20個ほどしか制作できないといいますが、その理由は「一つ一つを納得いくまで仕上げる」というこだわりゆえ。
「ちょっとここの点が大きすぎるとか、人からすればきれいでしょと言われても納得いかない部分があったり……自分なりのこだわりがあるんです」。小さな妥協をも許さない姿勢を貫いています。
EPILOGUE
絶やさないものづくりを目指して
プライベートでは西蒲区巻地区で暮らす佐藤さん。「みんな優しくて、横のつながりが強い」と語るように、地域コミュニティの温かさにも深い愛着を感じています。
「子どもの送り迎えを地域で分担するなど、人と人との支え合いを大切にしている地域です。人間関係の豊かさに親子共々助けられています。そんな新潟で生まれたからこそ、新潟の良さをみんなに知ってもらいたい。その思いが私の創作活動の原動力にもなっています」
さまざまな技術や伝統を活かして創造される、佐藤さんのものづくりの根底にも、常に「新潟」という地域への愛着があるといいます。
「伝統工芸士としては、技術を『絶やさない』という使命感もあります。伝統工芸の世界は高齢の方が多く、その方々がいなくなっていくと技術も途絶えてしまうことに危機感を抱いています。一度途絶えると、その技術は二度と取り戻せません。そう考えることも、新しいものづくりへの発想や展開にもつながっていると思うんです」

伝統工芸の世界に新しい風を吹き込みたいと、若い世代への伝統技術の普及に努めています。近々では、小林履物店の小林正輝さんと共に、4月12日(土)、13日(日)に新潟市で開催される「アート・ミックス・ジャパン」に出展し、蒔絵体験を開催予定です。
また、妹でネイリストの亜美さんとタッグを組み、ネイルチップに蒔絵を施すなど、若い女性が身近に伝統工芸に触れる機会を創出する試みを大切にしています。
「ちょっとしたきっかけで、新潟の文化や伝統を感じてもらえたら」と願う佐藤さん。伝統と現代をつなぐ架け橋となって、ものづくりに取り組んでいます。
妥協なきものづくりへのポリシーは
自分が納得いくまで、最後の最後までこだわり抜く
すべての製品をとびきり可愛い状態で送り出す
職人気質であり、美しさや彩りを大切にする佐藤さんらしい信条です!

「これからも新潟の技術や文化を多くの人に知ってもらい、少しでも伝統をつないでいけたら」
伝統を守りながらも新しい表現に挑戦し続ける、佐藤さんの創造の旅は、まだ始まったばかりです。
