
中川 雅之 (なかがわ まさゆき)さんの自己紹介
1983年生まれ、大阪府出身です。新潟大学工学部建設学科を卒業後、岐阜県立木工芸術スクールへ。その後、奈良や京都の家具工房で修業を重ね、シンプルで機能的な美しさを追求したシェーカーデザインの家具づくりなどを学びました。2011年、新潟に移住し、家具ブランド「ISANA」を設立。無垢材を使ったオーダーメイド家具を中心に制作しています。趣味は家具や建築を見ることや、銭湯・温泉・秘湯めぐりです。
INTERVIEW
家具職人までの道のり
新潟市秋葉区で家具職人として活動するISANA(イサナ)の中川雅之さんですが、最初から家具の道を志していたわけではありませんでした。むしろ、遠回りや迷いの時間を経て、今の仕事にたどり着いたといいます。
子どもの頃から、ものづくりや建築に興味があったという中川さん。なんと小学校低学年ごろから、学習ノートのマス目を方眼紙に見立て、家の間取り図を描いていたというから驚きです。小学校の卒業文集に将来の夢は建築士と書くほど、その思いは強かったそうです。
その後、紆余曲折ありながらも新潟大学工学部建設学科に進みましたが、大学生活を送る中で、次第に違和感を覚えるようになります。

「建築の設計は、構造や法規、計画など多くの要素を考えながら進めていく仕事です。もちろん面白さもありましたが、設計をしていると、頭の中だけで完結してしまう感じがあって。自分はもう少し、手を動かしてものを作ることに興味があるんじゃないかと思うようになりました」と中川さん。
周囲の友人たちが就職活動を始めるなかで、企業に就職するイメージがどうしても持てず、大学卒業後も進路を決められないまま時間が過ぎていきました。
そして、卒業して1年が経ったころ。ある日、ふらっと立ち寄った本屋で運命の1冊に出会います。それは、家具職人の仕事を紹介する本でした。ページをめくると、木を削り、家具をつくる職人たちの生き生きとした姿が写真とともに紹介されていました。

「それを見たときに、これだ!と思ったんです。木を削って家具をつくるという仕事があるんだと知って、すごく面白そうだと思いました。自分にもできるかもしれないと思ったんです」
それまで建築に興味を持っていた中川さんにとって、家具づくりはどこか通じるものがありました。空間の中で使われるものを形にする仕事でありながら、自分の手で作ることができる。頭の中だけでなく、実際に手を動かして形をつくる。家具職人という仕事に強く惹かれたといいます。
そうして中川さんは、家具職人になることを決意。飛騨高山の木工を学ぶ学校に進み、卒業後は、奈良、京都の家具工房で修業を積みました。
「最初は本当に何もできなかったですね。道具の使い方もわからないし、失敗ばかりでした。でも、少しずつできることが増えていくのが面白かったんです」
家具づくりは、すぐに上達する仕事ではなく、試作を重ねながら少しずつ技術を身につけていくもの。その積み重ねの中で、中川さんは自分なりの家具づくりを考えるようになりました。
まちに根ざすという覚悟

京都にいたころ、染織家になるために奈良に修業に来ていた奥さまと結婚し、その後新潟へ拠点を移します。奥さまも同じ大学の同級生で、もともと大学時代に新潟で暮らしていたことから、「将来、拠点を構えるなら新潟がいい」と、どこか縁を感じていたそうです。
そして2011年、家具と染織を手掛ける「ISANA」を立ち上げます。現在の場所を工房としながらも、その後別の場所に夫妻で小さな店を構えました。それが2011年から2024年まで、新潟市中央区の沼垂商店街でカフェ兼ショールームとして営業していた「ISANA喫茶室」です。

新たなステップに進むため2024年6月に閉店
※ご提供画像
小さくてもいいから、自分たちの作品を見てもらえる場所を持ちたい。そんな思いから物件を探し始め、知人を通して紹介されたのが沼垂商店街。初めて訪れたときの印象は、強烈だったといいます。
「当時の商店街はほとんどの店がシャッターを閉めていて、人通りも少ない状態でした。でも、新潟駅から歩いて来られる場所に、昭和の建物がそのまま残っていることに可能性を感じて、めちゃくちゃ面白いと思ったんです」
そこで、古い建物を自分たちで改装しながら店づくりを開始。ただ、最初は喫茶店をやるつもりはなく、ギャラリーとして土日だけオープンして、平日はアルバイトをしながら続けようと思っていたのです。ところが、その後のある出来事が、中川さん夫妻の意識を大きく変えることになりました。

沼垂地域の人たちの集まりに参加したある夜のこと。そこにいたのは、かつてのまちのにぎわいを知る人たちです。店主たちは口々に、「沼垂は昔、本当にすごいまちだったんだ」と語ったそうです。もともとは青果市場で朝からにぎわい、人が集まり、活気にあふれていたのだと。
しかし、市場は移転し、店は一軒、また一軒と閉じていきます。時代とともにその光景は失われていきました。
そんな状況の中で、店主たちは「またあの頃のにぎわいを取り戻したい。俺たちは、ここのシャッターを1枚でも開けることを目標に、フリーマーケットなどできることをやってるんだ」とその言葉を聞いたとき、中川さんは、自分たちが借りようとしているシャッターの意味を改めて考えたといいます。

「この集まりの帰り道、夫婦で商店街を歩きながら『これはちょっと違ったかもしれないね』という話になったんです。平日は別の場所でアルバイトをし、土日だけ店を開けてまた閉める。それでは、地域の人たちが大事にしてきた場所に、よそ者が土足で踏み込むようなことになるのではないかと感じました。だったら、1日でも多くシャッターを開けられる方法を考えようと思ったんです」
地域の人たちがずっと大事に守ってきた場所で、アルバイトをしながら片手間で続けるのではなく、このシャッターを開けて、ここで日銭を稼ぎ、ここで生活していく。そこで夫婦で出した答えが、この場所で生計を立てるということであり、コーヒーを出すという発想でした。
そうして、店内には中川さんが制作した椅子やテーブルが並び、コーヒーを飲みながら家具を体験できるカフェとしてスタートを切ることになったのです。

その決断は、結果として、このまちの新しい流れにもつながっていきました。店には近所のお年寄りから若い人まで、さまざまな人が訪れるようになり、カウンターには不思議な出会いが生まれます。やがて「ここで店をやってみたい」と相談に来る人も現れ、中川さんは地域の人を紹介する“窓口”のような役割も担うように。こうして少しずつ新しい店が増え、現在の沼垂テラス商店街へとつながっていきます。
「僕たちが何かを変えたというより、ただそこにいたという感じです。でも、ここに自分たちがいることで、このまちが面白いと思ってもらえたらいいなとは、ずっと思っていました」
あの夜、夫婦で決めた地域に根ざす覚悟が、その後の歩みの原点に。家具づくりから始まった中川さんの活動は、場を作り、人々を惹き寄せ、いつの間にかまちの風景の一部にもなっていったのです。

EPILOGUE
家具づくりの先にあるもの
遠回りをしながら、自分の手でつくる仕事にたどり着き、まちに根を下ろし、少しずつ自分の形をつくってきた中川さん。その歩みを振り返ると、家具づくりとは、ただ木を削って形にする仕事ではないのだと感じます。
中川さんは、自身の家具づくりについてこんなふうに話してくれました。
「機能や意匠といったディテールを少しずつ増やしていって、その組み合わせで家具ができていきます。最初から完成形が見えているというより、やってみて、違ったらまた直して、その繰り返しですね。だから、これが完成ですというものは、たぶんまだないんだと思います。10年、20年とかけて少しずつ変わっていくし、そのときどきで見えてくるものも違う。注文してくれる人や見てくれる人がいて、その反応を受け取りながら、少しずつ形になっていくんですよね」
ひとつの答えにたどり着くというより、試し、直し、また手を動かしながら、時間をかけて輪郭をつくっていく。その姿勢は、家具だけでなく、中川さんの生き方そのものにも重なるようです。

建築に憧れた少年時代があり、進路に迷った時期があり、本屋で偶然出会った一冊の本が、家具職人への道をひらきました。新潟に移り、家具をつくり、喫茶室を開き、まちと関わりながら、自分の仕事を少しずつ育ててきた中川さん。その歩みもまた、最初から完成形が見えていたものではなく、違和感や迷いを抱えながら、一つひとつ選び取ってきた時間の積み重ねだったのです。
「自分一人で完結する仕事ではないんですよね。木が育つ時間があって、それを届けてくれる人がいて、使ってくれる人がいる。その中で自分は、ほんの一部を担っているだけなんだと思います。でも、その一部をちゃんと丁寧にやることが、家具をつくることなんじゃないかなと思っています」

新潟には、豊かな森があります。そこに育つ木が、人の手を経て家具になり、また誰かの暮らしの中で長い時間を過ごしていく。中川さんが見つめているのは、家具づくりの技術だけでなく、森とまち、そして暮らしをつなぐ営みなのかもしれません。
森と人、暮らしと家具──そのあいだにあるつながりを見つめながら、中川さんはこれからも、自分の仕事を少しずつ育てていくのでしょう。
ISANAの家具は、これからも誰かの日々に、静かに寄り添い続けていきます。

NEXT EPISODES
最後に、新潟市の魅力的なおふたりを、中川さんからご紹介いただきました。
「こんこん堂」の井上有紀さん
1人目は、新潟市西区内野にある本屋と印刷編集室「こんこん堂」の井上 有紀(いのうえ ゆき)さんです。
「ゆきちゃんは自分で雑誌を作っていて、インタビューをしてもらった内容が『なわない』という名の雑誌として形になったんですよ。まだまだ独立したばかりで、応援したいなと思っています」
新潟で自分の表現を形にしようと挑戦する井上さん。どんな思いで活動を続けているのか、お話を聞いてみたいと思います。
銭湯「旭湯」の稲森光太郎さん
2人目は、「こんこん堂」と目と鼻の先にある銭湯「旭湯」の稲森光太郎(いなもりこうたろう)さんです。
「もともと稲森くんは建築関係の仕事をしていて、壁面棚を作る人を探していたことから紹介を受けたんです。初めて顔を合わせた日に作務衣みたいな服を着ていて、『なんだこの人は…』と思ったのを覚えています(笑) その後、銭湯を受け継ぐことになったと聞いて驚きましたよ」と中川さん。
地域のまちに残る銭湯文化を未来へつなごうとする稲森さん。100年以上の歴史を持つ旭湯を受け継いだきっかけや現在の取り組みなど、そのお話にも注目です。
そして中川さんは、おふたりについてこう話してくれました。
「ゆきちゃんも稲森くんも、僕のひとまわりくらい下の世代。内野という地域にこれから根を張って、自分たちのなりわいをつくろうとする姿が、心を打ちます。当時の自分を見ているようで、懐かしくもあり、まぶしくもあります」
地域で新たな一歩を踏み出す、井上さんと稲森さん。それぞれの歩みと現在の取り組みを、ぜひご覧ください。










