
加茂 豊和 (かも とよかず)さんの自己紹介
2012年に福島市から阿賀野市へ移住し、現在は安田瓦(やすだがわら)協同組合で事務長を務めています。瓦や建築について全く知識がなかったのですが、地元出身者ではない目線から安田瓦の価値を広く発信したいと頑張っています。安田瓦のことなら、何でも聞いてください!
INTERVIEW
安田瓦は、知れば知るほど偉大さが分かる
安田瓦の魅力を発信しようと日々取り組んでいる加茂豊和さん。
安田瓦への情熱からして、生まれも育ちも地元の方なのかと思いきや……実は加茂さんは、福島市から阿賀野市へやってきた移住者でした。

「最初は『安田瓦って何だろう?』という状態でしたし、最初の2年間は安田瓦について何も知らずに営業をしていました。根は真面目なので、言われたことを素直に頑張ろうと、『安田瓦、お願いします!』と言って回っていただけでした(笑)」
安田瓦について全く知識がなかった加茂さんでしたが、安田瓦の営業活動を通じて徐々にその価値に気付いていきます。
福島から移住をして2年が過ぎた頃には、加茂さんのお子さんも友達ができて、新潟での生活に馴染んでいきました。福島に戻らず新潟に残る選択をしたのも、安田瓦と家族の存在が大きかったと加茂さんは振り返ります。

「安田瓦を知るほど、安田瓦の魅力を実感するんですよね。具体的に何が良いのかというと、やっぱりね、豪雪地帯でも安心して使える瓦で、地域の特徴や影響を踏まえて作られてきた瓦ということに尽きると思います。これを200年かけて作り続けてきたのは、まさに偉業ですよね」
“もったいない!”のよそ者目線で、見えない価値を磨く
200年もの歴史があり、地域に根ざしてきた安田瓦について熱く語る加茂さん。その様子は安田瓦と職人たちへのリスペクトに満ちています。
「安田瓦には十分な魅力があるんですが、ただ、それをPRしたり、発信する力が弱かった。僕みたいな外部からきた人間から見れば『もったいないなー!』と思うわけです」
地元の人にとっては、屋根を見上げれば安田瓦があり、もはや当たり前すぎる光景と安田瓦の存在。表立っていない価値を、加茂さんはよそ者の目線で再発見してきました。

「福島で食べていた桃がまさにそんな感じで、地元にいた頃は当たり前に食べていたんですが、新潟に移住して食べる機会がなくなったでしょう。そうすると『福島の桃が食べたいな』と地元を離れてやっとその価値を実感するんです。
安田瓦もきっとそう。だから、当たり前になっている価値を学び直したり、発信し直したりすることが必要だと考えて、施設を企画提案したり、組織の仕組みを変えてきたりと取り組んできました」
なるほど、そうして誕生した一つが「かわらティエ」だったというわけですね。
(「かわらティエ」の詳細は前編の記事をご覧ください!)
一方、安田瓦協同組合の事務長として活動している加茂さんは、安田瓦に関わる中で瓦職人たちの厳しい現実も目の当たりにしてきました。
家内工業的な経営が多い中で、社長自らが営業を行なって仕事を取る……そんなシビアな世界を間近で見た中で、安田瓦の職人たちが本来の仕事である瓦の製造に取り組むための、安定した体制が必要だと加茂さんは考えました。
それが、安田瓦協同組合で行う製造と施工の一体化の取り組みです。

「一般的には瓦の製造元は工事業者である屋根屋さんに瓦を売って、屋根屋さんが施工をするという流れになりますが、顧客向けの窓口を一本化することで、製造から施工まで一貫したサポートが可能になりました。瓦の製造元と工事業者の事務所が同じところにあるっていうのは、他県ではあまりないと思います。組合が窓口になることで連絡や手配もスムーズになりますし、製造元の受注管理にも一役買っているのではないでしょうか」
他にも組合では、一般のお客様向けに、屋根の困りごとの窓口も設置しています。
「屋根屋さんって、日中は屋根の上にいて電話に出れないことが多いんです。そうすると一般のお客様はどこに電話をすればいいのかわからなくなってしまうため、組合が窓口になって信頼できる工事業者さんを紹介する駆け込み寺的な存在を目指しています」

家内工業的な経営が多いという業界において、組合が窓口機能を果たすことで、一般の方々、瓦の製造元、工事業者をつなぎ、安心して相談できる体制を整えているのですね。
EPILOGUE
歴史を刻み、未来を担う一役に
安田瓦への知識を深め、安定した受注につなげる仕組みづくりに取り組んできた加茂さん。次なる野望は……「ズバリ、県外への販路開拓です!」と笑顔で語ります。
「その中でも、注目すべきは北海道の『網走監獄』での取り組みですね」
え、網走監獄!?
網走監獄といえば、歴史的にも有名な旧網走刑務所ですし、高倉健主演の映画「網走番外地」を思い浮かべてしまいますが……!
「そうそう、あの映画の舞台にもなった『博物館 網走監獄』です。ここで昔、新潟の瓦が使われていた歴史があるんです。雪国で耐久性があるからという理由で、昭和40年代の修理では安田瓦の職人が現地に出向いて行っていたそうです」
まさか、安田瓦が北海道の地にまで渡っていたとは……今回の取材で一番驚いたお話でした!!

「今現在、『博物館 網走監獄』は重要文化財として保存修理工事が進んでいて、歴史的な流れから安田瓦での修繕ができたら嬉しいなと考えているんです。
また、最近は瓦製造元の社長と一緒に福島に行って、現地の屋根屋さんと交流を重ねています。米沢で採用になったり、別荘で使われたり、少しずつですが県外での実績が出てきています」
他にも村上市や佐渡市の伝統的建造物群保存地区での活用、歴史的なつながりを活かした販路開拓を進めているそうです。

「瓦業界はこれから勢いよく伸びる業界ではない」と現実を見据えながらも「残すための方法」を模索し続けている加茂さん。移住から13年が経った今に感じる、地域の人々との関係についても語ってくれました。
「安田瓦の職人さんや会社の皆さんって、仕事のことで言い合いになっても、次に会った時はケロッと普通に接してくれる人ばかり。僕のようなよそ者であっても上下関係じゃなくて、対等な関係で接してくれる人が多いんです。
あとは、安田瓦を応援してくれる地元の方も本当にたくさんいますね。旗野窯さんの庵地焼もそうですが、歴史があるものを大切にする文化は根付いていると感じます」
加茂さんのよそ者の目線から始まった挑戦が、今や200年続く地域産業の未来を切り開く大切な切り札に。加茂さんの思いが、地域の宝ともいえる安田瓦の魅力に、さらなる磨きをかけています。
