脇坂 裕一 (わきさか ゆういち)さんの自己紹介
うちはもともと兼業農家。親父が田んぼをやっていて、花の栽培は俺が始めたものです。2017(平成29)年頃まで米作りも続けていましたが、両立が難しく、今は花一本。生花の栽培を始めたきっかけは、新発田農業高等学校時代の先生が「花は儲かるぞ」と言っていたから。そんなことなかったですけどね(笑)。そこから花を育てる仕事に興味を持ち、高校卒業後は神奈川県で花苗栽培を行う農家へ研修に行き、一年半後に新潟に戻りました。地道に頑張れる性格ではないので、外に出て営業活動をすることがメインでした。2011(平成23)年に、東日本大震災の復興支援のために被災地へ花を持って行って、人々を元気づけるのは観賞花ではなく食用花だと確信。以前からエディブルフラワーのことは知っていましたが、そこから本格的に始めるようになりました。2013(平成25)年、脇坂園芸を法人化。2024年、長年目標としてきたエディブルフラワー専門のカフェをオープンする予定です。
PROLOGUE
国道49号線から一本入った住宅街のさらに奥。
視界の開けた田んぼ道の間に、エディブルフラワーを生産する脇坂園芸があります。
エディブルフラワーとは……
古代から親しまれる「食用花」のこと。
新潟では「かきのもと(菊の花)」が秋の味覚として有名ですよね。
日本の食文化では「花を食べる」という習慣がまだまだ浸透していないように感じられますが、ヨーロッパを中心に世界中で「食べられる花」は親しまれてきました。
阿賀野市の脇坂園芸では、彩り豊かなエディブルフラワーを
農薬を使用することなく、一つ一つ手作業で丁寧に栽培しています。
直営店「Soel」では、エディブルフラワーを使用したオリジナル商品も販売されていました。
県内唯一の生産者として活動を続ける脇坂園芸 代表の脇坂裕一さん。
なぜ新潟でエディブルフラワー栽培を始めたのでしょうか……?
INTERVIEW
育て方はほぼそのまま、観賞花から食用花へ。
ビニールハウスの中では、カラフルな花々が咲き誇っていました。
ビオラにパンジー、ナデシコにマリーゴールドまで!
この花が全部食用だなんて、半ば信じられないですよね。
それもそのはず。
ガーデニングでもおなじみの花ばかりです。
生産者である脇坂さんは20代から観賞用花の栽培を続けてきたベテラン花農家さん。
2011(平成23)年から、エディブルフラワーの生産者として活動を始めています。
「東日本大震災が発生して、復興支援隊の一人として岩手県大鎚町に花を持って行ったとき、被災した人々に必要なものは花よりも食材だと痛感しました。
そのとき初めて、自分の育てた花を食べてもらったんです。
『この花も食べられるんだよ』って。
うちの花はもともと農薬を使わずに育てることにこだわってきたので、観賞用として販売してきたけれど実際は食べられるものだと分かっていました。
『みんな、どんな反応するかな?』と様子を見ていたら、すごく驚いてくれて。
『インパクトはあるぞ!』と確信しました」
それまではエディブルフラワーというと、料理に添えてある「飾りの花」という認識が一般的。
役目を終えれば料理から避けておくのが通例でした。
しかし、脇坂さんが手がけるエディブルフラワーは、農薬を使わずに育てられたフレッシュな食べられる生花。
展示会にも出展し、販路拡大に向けて営業活動を続けてきました。
「商品を市場に出荷するだけではエディブルフラワーの魅力が伝わらないから、直接買ってもらえるように全国の展示会に参加しました。
商談会も、来いと言われれば全国どこへでも行ったものです。
全国を渡り歩く日々はなかなか苦しかった。
でも、ここを乗り越えないといけないと思って進み続けてきました」
展示会や商談会で出会った人々の印象に残るように心がけたのは、名刺を渡しつつFacebookでつながり、メッセンジャーで気軽にやり取りができるようにすること。
営業をかけるのではなく、お試しのエディブルフラワーを1パック送り、ひたすら反応を待つ。
すると、クオリティーの高い花々は次第に全国のレストランシェフから評価され、婚礼料理やコース料理の目玉として使用されるようになりました。
結婚記念日や誕生日など、特別な日の食事を華やかに演出してくれるエディブルフラワー。
新潟県内でも、脇坂さんの栽培するエディブルフラワーを取り入れた料理やデザートプレートを提供している飲食店がたくさんあります。
実は、ごっつぉライターの私も脇坂さんの作るエディブルフラワーの大ファン。
この鮮やかな発色!観賞用以上の美しさを感じます。
何とも言えない幸福感に何度も満たされ、元気をもらってきました。
大切な人へのサプライズに、エディブルフラワーで飾られた料理、とってもおすすめです。
その儚い美しさには、花束とは一味違う感動があります。
前例のない挑戦から20年。ついに開花する夢の第一歩。
たくさんのドライフラワーを吊るした「Soel」の店内は、花好きには堪らない心地いい空間が広がります。
「Soel」はもともと、脇坂さんがカフェをオープンするために苦労して仕上げた店舗。
しかし、カフェオープンの夢は未だ叶えられていません。
「40歳を目前に今後のことを考えた時、田んぼの真ん中に立って景色を見ていたら
『ここでジャズを聴きながらコーヒーが飲めたら最高だろうな』って思ったんだよね」
阿賀野市の雄大な自然を望むこの場所は、脇坂さんのお気に入り。
この景色をいつまでも眺められるカフェをつくろうと、40歳の時に動き出した新たな挑戦でした。
この挑戦を実行に移してみて分かったのは、開発にあたってさまざまな申請や許可が必要になること。
脇坂園芸のある場所は、市街化調整区域に指定された農地。
農地に許可なく建物を建てることは法律で禁止されています。
当時の農地転用は今以上に大変に感じられたようです。
「市の担当者に『開発はダメなのか?』と聞いてみると、『絶対とは言わないけど99%はダメ!』と言われて。1%の希望があるならやってやるぞと決心しました。」
そこからは、脇坂さんの地道な努力の連続です。
阿賀野市役所、農業委員会、新潟県農業普及指導センターなど、
さまざまな機関を訪れ、カフェ建設の実現に向けて動き続けてきました。
始まりは「ここでお茶を飲みたい」という率直な想いから動き出した脇坂さんのカフェ建設計画。
「私的なカフェを建てたい」から「多くの人が訪れる農家カフェにしたい」。
さらに、「自社栽培の米を使った米粉のカフェにしよう」と、何度も何度も事業計画書を書き直しては挑戦を続けてきました。
ようやく事業化の目途が立ち、「これからだ!」というときに東日本大震災が発生。
被災地支援の経験を基に動き出したのが、エディブルフラワー生産でした。
そこからすぐにまた計画書を書き換え、エディブルフラワーを使った加工品を味わえるカフェ建設の計画へと方向転換していったと言います。
2013(平成25)年、各所から建物建設の許可が下り、申請していた補助金関係も全て採択され、目まぐるしいほど忙しい50代の幕開けでした。
そして還暦を迎えた2023年。
10年周期で人生が大きく動く脇坂さんの60代は、ビッグニュースから始まりました。
「認定されてから稼働できるまでに10年かかりましたが、
ようやくエディブルフラワー専門のカフェをオープンすることになりました。
オープンは2024年4月予定。
メニューは全て花。
軽食やスイーツが中心のメニュー展開になりそうですが、どれを頼んでもエディブルフラワーで華やかに盛り付けます」
EPILOGUE
エディブルフラワーをもっと身近に。
20年前には「99%無理!」と言われたカフェオープンを遂に実現する脇坂さん。
キラキラとした少年のような眼差しで、開発中のメニューを見せてくれました。
「どれも食べたくなるでしょ?どこを探してもない、うちだけのメニュー。
まだまだこれから新しいものを作っていくよ」
脇坂さんの育てたエディブルフラワーは、名だたる産地を抑えて
全国、世界各地のシェフから依頼が届く人気商品です。
その魅力を100%楽しめるカフェだなんて!
どんなメニューが味わえるのか、今から楽しみで仕方がありません。
「最初に動いていた事業計画なんだけどね(笑)。
このカフェの主役は、俺の夢の続きを描いてくれるスタッフたちです。
俺は花を作り続けることで、皆さんの何気ない1日に特別な時間を作るのが仕事ですから。
これからも、皆さんに驚きと感動を与えられるようなエディブルフラワーを作っていきたいです」
どんな困難にも立ち向かうバイタリティーとパワフルな行動力。
純粋に感動しました。
脇坂さん、ありがとうございました!