
小林 正輝 (こばやしまさあき)さんの自己紹介
新潟市西蒲区(旧巻町)出身で、地元で和装履物の職人をしています。関西の美術大学を卒業後、東京の住宅メーカーに勤めていましたが、27歳で地元へ戻り、小林履物店/小林桐材工場の四代目として跡を継ぎました。家業の傍ら、知人の依頼・紹介を受けてウェブ制作やグラフィックデザインなど、クリエイターとしても活動しています。何事も「愉しむこと」を常に心がけています。
PROLOGUE
8つの区に分かれる新潟市。それぞれに特色や個性がある新潟市の8つの区ですが、今回ご紹介するのは、新潟市の南西部に広がる西蒲区(にしかんく)。実はごっつぉLIFEで西蒲区を取り上げるのは初となります!パチパチパチ〜(拍手のつもり)。
というわけで、まずは西蒲区のご紹介から。
西蒲区は新潟市の行政区の一つで、旧巻町・西川町・潟東村・岩室村・中之口村のエリアです。日本海に面した越後七浦海岸、角田山、多宝山といった山々、その裾野には越後平野が広がり、海・山・平野がそろう新潟らしい風景を見せてくれる地域です。

菜の花と桜が満開の上堰潟公園。その後ろに見えるのは角田山(下)
※ご提供画像
桜と菜の花の名所である上堰潟(うわぜきがた)公園、そこで毎年開催される「わらアートまつり」、さらには温泉地やワイナリーも点在し、最近では新潟県有数の観光地としても注目されています。

そんな西蒲区の中心部に位置するのが、かつての巻町(まきまち)こと巻地区。巻といえば、かつて北国街道の宿場町として栄えた歴史があり、町の随所には風情ある景観が残っています。

「まき鯛車商店街」と名付けられた、巻駅周辺の商店街もその一つ。昔ながらの肉屋さんや雑貨店、特撮・アニメ好きに人気の玩具屋、古着屋など個性豊かな店舗が軒を連ねています。

商店街を歩いていると “和”の風情を全面に出した格子戸のお店を発見!こちらが今回ご紹介する「小林履物店」です。店先には草履や下駄、奥にはカラフルな鼻緒がディスプレイされています。

畳2畳ほどの作業スペースで、手際良く下駄に鼻緒を結んでいるのは店主の小林正輝さん。

噂によると、小林さんは下駄職人でありながらデザインの仕事をしたり、日本各地での物産展の企画・運営や商店街や地域の活性化に取り組んだりと、多方面に活躍されているのだとか。さらに、新潟を代表するあのお祭りにも深く関わっているそうで……小林さん!聞きたいことが盛りだくさんです。まずは小林さんと小林履物店のストーリーからご紹介していきましょう。
INTERVIEW
下駄屋の四代目はマルチなクリエイター!
小林履物店は大正8年(1919)創業。もとは染物などを行う紺屋が始まりで、二代目は和装履物を、三代目の小林さんの父の代には桐製品の他、靴やサンダルなども扱うように。四代目の小林さんは下駄づくりに特化した専門店へと生まれ変わらせて、時代の変化と共に少しずつ形態を変えて営業してきました。
小林さんは現在、下駄職人でありながら、ウェブサイト制作やグラフィックデザインも請け負うなど、職人かつクリエイターとして活躍されています。
以前は大学で建築とグラフィックを学び、東京の住宅メーカーで設計やインテリアデザイン、販促ツールの制作に関わっていましたが、充実しつつもどこか流れ作業のような日々が続いていたのを感じていたそうです。
しかし、実家に帰れば、そこは長い歴史を持つ履物店。いつしか実家に向き合う気持ちが前向きになり「こんな歴史のある店は逆に面白いかもしれない」と思うようになりました。

「正直、店を継ごうと思ったことはなかったです。でも父が体調を崩してしまって、親孝行のつもりで2、3年だけ戻ってこようかなと思ったのがきっかけでした。子どもが生まれるタイミングでもあったので、育児の環境としても新潟に戻るのも良いかなといろいろ考えまして」
小林さんが帰郷してからは、靴やサンダルを扱うお店から、下駄・草履専門の和装履物店へと方向転換!何とも大胆です。
「下駄をつくる職人さんは減る一方だったのですが、決して下駄の需要がないわけではありませんでした。だからこそ、下駄を専門で扱うお店は他にないだろうから、必要とされるだろうと考えたんです。おかげで、下駄といえば小林履物店という評判が定着しつつあります」
一方、下駄づくりの修業は厳しいものでした。最初は美術品や掛軸などを入れる桐箱づくりから始まり、父の指導のもと製材・木工の基礎を学びます。「石の上にも三年」の精神で「ジャッキー・チェンの映画のように師弟関係を楽しみながら、技術を習得していきました(笑)」と懐かしそうに振り返ります。

「うちの強みは、製造と販売を兼ねた履物づくりの全工程を、自社で行えること。工場で丸太の状態から製材して、そこから下駄を作っていくことができます。うちで作る下駄は新潟県産の良質な桐材を使っています」

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このスタイルは全国でも数軒しかないといわれ、そのうちの1軒が新潟市にあるなんて……まさに地域の価値=ごっつぉです!
さらに「どうせやるなら自分なりの工夫を取り入れたい」と小林さんが次に取り組んだのがウェブサイトの制作。当時はインターネットが今ほど普及しておらず、履物の製造元でホームページを持っているのは全国でほんの数件。それならばと独学でお店のホームページを作り、これが引き金となり、全国の百貨店や物産展から下駄のオファーが舞い込むようになります。
右手に下駄を、左手にはパソコン、ハイパーマルチクリエイター・小林正輝の爆誕です。
小林さんは全国各地の物産展でも下駄を積極的にPR。そこで知り合った職人さんたちとも交流を深めていきます。その出会いの中で、下駄の鼻緒に地元産の織物を取り入れたり、伝統工芸を取り入れた下駄を考えたりと、新たなアイディアも次々に生まれました。

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「全国の漆職人、竹細工の職人、染織の職人の話を聞けば聞くほど、それぞれの分野に奥深い技術があることに気付かされます。でも、ベテランも若手も本質的なところは変わらないんです。それは、年齢に関係なく、皆さん楽しんで仕事をしているということです。一番大事なことは楽しむこと。何をするにしても、楽しんでやっているかどうか。やらされている感がないのが大事なんです」
新しい下駄の価値と、運命の出会い
小林さんの職人としての人生の転機となった出来事がもう一つ。それは「にいがた総おどり」との出会いです。今から22年ほど前、小林さんが新潟に帰郷して4年ほど経った頃、店に一人の男性が訪れました。
「最初は正直に言うと、『なんだか怪しい』と思いました(笑)」と当時を振り返る小林さん。とりあえず話を聞いてみることにしたところ、その方は「にいがた総おどり」を運営する能登剛史(のとたけし)さんでした。

「当時、能登さんはにいがた総おどり(以下、総おどり)を立ち上げて2年ほどの頃だったと思います。彼らは踊りにより「新潟らしさ」を出したいと考えて、江戸時代の新潟の様子が描かれた絵巻物、これを模した踊りを企画していたそうです。
『これを再現したいんです。できますか?』って能登さんが見せてくれたのが、『蜑(あま)の手振り』という絵巻物でした」
「蜑の手振り」とは初代・新潟奉行の川村修就(かわむらながたか)が、新潟の代表的な風土や風俗の6種類を描かせたとされるもの。その中の一つ、「新潟町の盆踊の行列」に、醤油樽を持って即興で打ち鳴らされる中、人々は音のする方へ小足駄(こあしだ)と呼ばれる下駄を抱えて走り寄り、橋げたに下駄を打ち鳴らして四日四晩も踊り狂ったとされる様子が描かれているのです。ちなみに「蜑」とは海人・漁夫を意味します。
(こちらの絵巻物は、新潟市歴史博物館に所蔵されています)

その依頼に、小林さんのご両親は多忙で乗り気ではなかったものの、小林さん自身はちょうど3年の修行を経て、自分専用のかんなを作ってもらったタイミング。
「逆に自分のかんながなかったら、断っていたかもしれません(笑)。腕試しじゃないですが、そんな気持ちでやってみようと思いました」
何か変わったことをやってみたかった思いも重なり、能登さんからの依頼を快く引き受けて、新しい下駄づくりがスタートしました。
1,000足の下駄を……手作り!?
試しに作った数足の下駄は想像以上に評判が良く、翌年には100足の注文が入ります。そして翌年にはさらに倍に膨れ上がり、ついには1,000足に!
1,000足って1,000人分を手作りしたってことですよね、小林さん!?
「そうです、そうです。全部一足一足手作業でした。朝も夜も作り続けて、店がもう下駄で埋まっていた感じですね(笑)」
にいがた総おどりで使用される小足駄には、伝統的な「差し歯」の技法が用いられています。下駄の底に硬い木の歯を差し込み、取り替え可能にするこの技法は江戸時代から受け継がれてきたもの。踊りの激しい動きに耐えるためには従来の下駄よりもさらに頑丈でなければならず、歯の厚みや木の種類を変えるなど、試行錯誤を重ねながら改良を続けました。

「木の具合を見ながら、これはすぐに痩せる、これは大丈夫と一つ一つ見極めて、叩く具合を変えて入れていくんです。これは機械では絶対無理。職人の勘が必要なんです」と小林さん。その作業は、まさに下駄職人の真髄です。
踊りの種類によって壊れる頻度も異なります。激しい踊りといわれる男踊りは、地面に下駄をバシンバシンッと打ちつけていくので、下駄が割れたりするのだとか。
「差し歯の利点は、歯だけ交換できること。20年使っている人もいますよ。歯をずっと交換して使っている人もいれば、1年で派手に壊してしまう人もいます(笑)」。なるほど、履く人の踊りぶりや性格も下駄の“持ち”に影響してくるんですねぇ。
にいがた総おどりと小林さんの縁はその後も続き、毎年初夏になると下駄の調整や製造の仕事に追われているのだとか。9月のにいがた総おどり本番にも足を運び、祭りを見届けるのも小林さんの楽しみの一つなのだそうです。

ちなみに、踊りのために作り始めた下駄でしたが、後にその機能性が注目され、今ではプロスポーツ選手のトレーニング用の下駄を作ってほしいとの依頼が、小林さんのもとにやってくるようになりました。
下駄を履いての歩行やジャンプは、足裏の筋肉を鍛えるのに適していて、体幹トレーニングとしても効果が期待されるのだとか。思いがけない形で新しい需要が生まれたのも面白いですね!
EPILOGUE
「地元を大事にする」を次の世代へ
下駄に新しい価値や可能性を生み出し、そこからまた新たなつながりを生んでいる小林さんの下駄づくり。県内外へと広く下駄をアピールしていますが、そこには地元に対する思いが根底にあると、小林さんは語ります。
「地元観光協会や巻商店街のホームページを作ったり、巻のお店の皆さんと一緒に魅力を発信してきたのは、地元に貢献したいというのもありましたし、自分たちが楽しめることをしたいという気持ちもありました。それに、地域で活動することで新しい学びや発見、交流も生まれて、それぞれの店の個性を磨くきっかけにもなりました。
百貨店や物産展などお店以外の場所で下駄を販売してきたからといって、地元と商いは関係ないというわけでなく、地元があるからこそ商売が成り立ち、技を磨く環境が整うものだと考えています。地元があってこその商売ですし、地域に根ざしているからこそ、職人の仕事も続いていきます。だから私にとっての地元は、これまでもこれからも、大事にしていくべきものですね」

現在の西蒲区では、岩室や越前浜、角田浜などを中心に、若い世代が主体となった新たな動きが見られています。地域に移住してくる子育て世代も増えました。点と点がつながるように、地域間の交流も少しずつ広がりを見せています。

その中で、小林さんが何よりも見据えているのは、次の世代のこと。地域の子どもたちが大人になった時に、自分のふるさとを誇れるような町であることです。「地元を大事にする」という言葉に、小林さんの思いがまさに集約されています。
「西蒲区は伸びしろがある地域です。地域のために活動したいという人が増えているのは良い傾向ですし、これからが楽しみな町になりつつあると思います。
大人たちが地元を愛せるようになれば、子どもたちも自然と地元に誇りを持つようになる。きっとそういうものだと思います。そんな世代を超えた思いを共有していくのも、われわれ大人の役目ですね」と小林さん。
小林履物店の店先には、西蒲区を紹介する観光パンフレットやお店のチラシ、ショップカードなどがずらりと並んでいます。ここからも、小林さんの地元愛が伝わってくるかのようです。
一つひとつ真摯に向き合う下駄づくりのように。西蒲区ならではの価値と下駄の魅力を磨く小林さんの挑戦は、これからも続きます。
NEXT EPISODES
最後に、新潟市西蒲区の魅力的なお二人を、小林さんからご紹介いただきました。
漆工芸の蒔絵で新しいものづくりに挑戦する佐藤裕美さん
1人目は、新潟市中央区の老舗「林仏壇店」六代目で、仏壇に蒔絵を施す伝統工芸士として活躍する西蒲区在住の佐藤裕美(さとうひろみ)さん。
「佐藤さんは漆工芸の職人さんで、家業の仏壇店の仕事をしながら、自身の創作活動にも励んでいます。2018年に開催された「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 2018」に選ばれるなど全国的にも注目されている存在です」と小林さん。
佐藤さんと出会ってからは一緒に作品を作りたいという思いも芽生え、小林さんは下駄に漆を施してもらうなど、コラボレーションも実現させてきました。
4月12日(土)、13日(日)には新潟市で開催される「アート・ミックス・ジャパン」にて、小林さんと佐藤さんが共に出展される予定です。こちらも楽しみですね♫
地域に開かれた酒蔵を発信する「笹祝酒造」の笹口亮介さん
2人目は、西蒲区にある「笹祝(ささいわい)酒造」の六代目・笹口亮介さん。代々続く酒蔵に新しい風を吹かせる立役者として、地域に根ざした酒蔵づくりに取り組んでいる方です。
「笹口さんはとにかく一生懸命!Uターンされてから、酒蔵をもっと広く開放して、歴史ある空間と日本酒の文化を感じてもらいたいと頑張っている方です。僕もいつも刺激を受けています」
笹口さんが企画する「蔵開き」では、チラシ制作などで小林さんが協力。また、笹口さんはさまざまなイベント、地域活性化活動にも尽力。酒蔵という枠組みを超えた活動に取り組んでいます。
佐藤さんと笹口さんのエピソードも、どうぞお楽しみに!
