
結城 靖博 (ゆうき やすひろ)さんの自己紹介
新潟県三条市生まれ。155年もの歴史を誇る老舗料亭「遊亀楼 魚兵(ゆうきろう うおひょう)」の代表取締役です。その他、ニートや引きこもりの方々に就労機会を提供する会社「Connection」、まちづくり会社「株式会社 燕三条」の代表も務めます。「自分が楽しいから、やりたいから」という想いでさまざまな地域活動も行っています。お願いされたら断れない性格というのもあり、どんどん増えていくんですよ(笑)
INTERVIEW
多彩な顔を持つ地域活動の立役者

新潟県の燕市と三条市を合わせて「燕三条」と呼ぶこの地域は、古くから高い金属加工技術が集積する、日本有数のものづくりのまちです。「燕三条 工場の祭典」は、普段は見ることのできないまちの工場の扉を一斉に一般開放し、ものづくりの現場を見せてくれる年に一度のオープンファクトリーイベントで、2025年は10月2日(木)から5日(日)まで4日間にわたり開催されます。
このイベントの主催者である「燕三条 工場の祭典実行委員会」で専務理事を務めるのが、結城 靖博(ゆうき やすひろ)さん。まずは、結城さんの現在のお仕事についてお聞きしました。

「料亭『魚兵(うおひょう)』は代々続く家業で、兄が料理長で姉が女将、そして私が代表取締役を務めます。その他にも、内職の斡旋をしている『Connection』の代表取締役として、ニートや引きこもりの方々に仕事の機会を提供し、さらに『株式会社燕三条』の代表取締役として、地域を盛り上げるトレーディングカードの製作・販売も手がけています」と結城さん。

「魚兵」は、明治元年(1868年)創業の歴史ある料亭です。コロナ禍を経て2023年にリニューアル。料亭で利用していた2階の座敷はそのままに、1階にはカフェ、セレクトショップ、ギャラリー、オープンスペースなどを設け、さまざまな用途で気軽に楽しめる場所として生まれ変わりました。

さらに、結城さんの存在感を際立たせているのが地域活動です。三条商工会議所青年部での活動を通じて、地域の若手経営者たちとのネットワークを築いてきました。燕三条工場の祭典、燕三条 匠の守護者プロジェクト、三条凧合戦、燕三条戦隊カジレンジャー、お昼の放送委員会など、これまでに関わった地域活動は多岐にわたります。
「まちづくりに関わるきっかけになったのが『三条マルシェ』の実行委員会に参加したことでした。当時はお店のお客さんから頼まれて渋々やることになったのですが、今思えばそこから生まれた横のつながりが、今の活動の基盤となっています。頼まれたら断れないんですよ」と微笑みながら話します。

今や燕三条のまちに欠かせない存在の結城さん。魚兵の経営、地域活動、新規事業の立ち上げなど、まるでスーパーマンのようにマルチに活躍されていますが、すべては誰かからの依頼や必要に応じて生まれたものだといいます。「基本的に自分がしたいことをやるというよりは、流れに身を任せることを心がけているんです」と語る背景には、結城さんの人生経験が色濃く反映されていたのでした。
人生を変えた「ありがとう」の一言

結城さんの青春時代は、決して順風満帆ではありませんでした。
「中学に入ってから不登校になり、高校もわずか3日で中退しました。いわゆる不良少年でしたね。その頃は大人が大嫌いで、大人の言うことは全部嘘だと思っていました(笑)」と少し恥ずかしげな表情で振り返る結城さん。世の中の矛盾や大人に反発する反抗期を過ごしていたといいます。
そんな結城さんの人生が劇的に変わったのは、18歳の時に始めたコンビニでのアルバイトがきっかけでした。

「コンビニでペットボトルなどが並んでいる冷蔵庫の中側から、商品を補充する仕事を担当していました。寒くて誰もやりたがらない仕事でしたが、当時の私は接客が嫌だったので、好んでやっていたんです。するとある日、店長さんが『いつもありがとうね』とふいに声をかけてくださって──。その言葉に、冷蔵庫の中で涙が止まらなくなったんです。こんな自分でも誰かに必要とされているんだって」
やんちゃな少年時代、大人への反抗心をむき出しにする度に、世間からも冷ややかな目を向けられるように。店長さんの言葉は、どこか世の中から疎外感を感じていた結城さんの凍てついた心を、あたたかく溶かしたのでした。
この一言をきっかけに、結城さんの仕事への取り組みが一変。仕事ぶりが認められ正社員になった後、23歳で家業である魚兵に入社。同時に定時制高校に通い、さらに新潟経営大学で経営やマーケティングを学びました。昼間は大学で勉強、夜は仕事という日々を送り、28歳で魚兵の代表取締役に就任したのです。「とにかく必死に学び、必死に働いた20代でした」と結城さんは振り返ります。

そしてこの間に「BBS会」という、非行少年・少女たちの立ち直りや自立を支援する青年ボランティア団体にも参加。現在に至るまで活動を続け、2024年度、結城さんは「三条地区BBS会」の会長を務めるまでに。そして、この活動をきっかけに立ち上げたのがニートや引きこもり支援の「Connection」でした。
「時代とともに非行少年・少女は減少傾向にあります。一方で、ひきこもりやニートが増加しているんですよ。働きづらさを感じ、社会に馴染めない方へ仕事を提供できる会社を創ろうと『Connection』を起業しました。地域の工場での内職仕事、パッケージやシール張りなどの軽作業を通じて、社会復帰を目指す人たちを支援しています」
全ての人に働きやすさを──。自らの経験をもとに、誰一人として取り残さない社会の実現に向けて結城さんは歩み続けています。
EPILOGUE
まちを知って、好きになる

結城さんの生き方の根幹にあるのは「頼まれたことを断らない」という信念。「私の辞書には『イエス』か『はい』しかないんです」と笑いながら語る結城さんですが、これは単なる優しさではありません。
やんちゃ時代に社会から疎まれた経験、そしてコンビニの店長さんから「ありがとう」と言われた感動。これらの体験から、人から必要とされることの喜びを深く刻み込んだのです。「ありがとうって言われ続けると、今度は自分の方が“ありがとう”を言う機会が多くなるんですよ」と語るように、感謝の循環を大切にしています。
また、仕事も地域活動も、結城さんの根底にあるのは「燕三条愛」。「故郷が好きだと人生は豊かになる」をモットーに、地域の人々とともに、地域のための活動を続けています。しかし意外なことに、その思いは昔からあったわけではなかったそうです。
「ずっとこの燕三条が好きだったわけではないんです。その気持ちが変わっていったのは、地域のイベントに参加するようになってからでしょうか。何もないと思っていたこの場所も知れば知るほど歴史や文化、そこに住む人たちとの交流を楽しく感じるようになりました。そして、せっかくなら自分のいる場所が好きな方が、前向きな気持ちでいられるじゃないですか。だから私は燕三条が大好きなんです」

地域のことを知る、見る、体験する。そうすることで見え方が変わったり、新たな発見や感動に出会えたりすることも。結城さん自身がそうであったように、最初は何もないと思っていた場所でも関わり続けることで愛着が芽生え、さらにそこから生まれた人とのつながりや感謝の気持ちこそが、まちづくりの原動力となるのかもしれません。
結城さんが紡ぐ「ありがとう」の物語は、これからも燕三条の未来をあたたかく照らし続けることでしょう。
