
二瓶 孝文 (にへい たかふみ)さんの自己紹介
1981年生まれ。東京の大学を卒業後、家業に入り、現在は会津中央乳業の専務取締役を務めます。営業活動を主に担当していますが、新商品の開発などにも携わっています。仕事柄、食べ物を見ると「どんな乳製品と合わせたらおいしいかな」と考えてしまう癖があり、周りからは、職業病だと笑われています(笑)
INTERVIEW
試練がもたらした揺るがぬ決意

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「小さい頃から手伝っていたのか、手伝わされてたのか、もう分からないですね」
そう笑うのは、「べこの乳」でおなじみの会津中央乳業の専務、二瓶 孝文(にへい たかふみ)さん。福島県の会津地方でおよそ80年にわたり牛乳を届けている、地域に根ざした乳業メーカーです。
現在、営業や販売管理などの仕事を受け持つ二瓶さんの原点には、小さな頃から肌で感じてきた現場の記憶がありました。

「小学校低学年のころから、しょっちゅう父が運転する会社のトラックに乗っていました。催事やイベント出店など色んなところに連れて行ってもらいましたね。イベントで、試飲用の紙コップに牛乳を注いで『どうぞ』と差し出すと、飲んだ瞬間、お客さんの表情が変わるんです。『こんなにおいしい牛乳、飲んだことない!』って。子どもながらに、家業の牛乳が認められた手応えのようなものを感じた瞬間でした」と笑顔で話す二瓶さん。
お客さんと直接向き合うイベントの光景は、仕事の原風景となり、やがて「自分はこの会社を継ぐんだろう」という、ごく自然な未来像につながっていきました。
しかし、高校生の頃、二瓶さんは初めて現実の重さを突きつけられます。
1996(平成8年)、品質事故が発生し、会津中央乳業は25日間の営業停止処分を受けました。販売も製造も止まり、従業員を守れるかどうか……家族で重い話し合いが続き、家族だけで工場を回そうかという話まで出るほど、追い詰められました。

「当時、私は高校生で、進路もまだ固まっていませんでした。でも、大学進学を諦めても良いと思えるぐらい、会社がなくなるのは嫌だという気持ちだけは揺らぎませんでしたね」と当時を振り返る二瓶さん。
すると、そんな会社をもう一度立ち上がらせたのは、外から届いた“声”でした。
「早く復活してほしい」「べこの乳が飲めないと困る」。叱責どころか、新聞への投書や電話で寄せられる励ましが、再起への力になったのです。

その後、信頼を取り戻すために、当時はまだ大手しか取得していなかった、世界基準の衛生管理方式「HACCP(ハサップ)」認証に挑戦。当時のHACCPは、膨大な工程を洗い出し、危害要因をすべて管理しなければならず、中小規模の乳業メーカーにとっては非常にハードルが高いものでした。それでも、同社では一つひとつの工程を徹底的に見直し、工場の体制そのものを作り替える覚悟で臨んだと言います。そして2003年にようやく取得へとこぎつけました。
「大事なのは、取得で終わらず、あの時に決めた高い衛生レベルを守り続けること」と二瓶さん。高校生の頃に味わった危機は、今も会津中央乳業の指針となり、安心・安全を徹底する姿勢の支えになっています。
ブランドを育てた地道な積み重ね

大学卒業後は迷わず家業へ。入社後、まず最初に配属されたのは工場でした。牛乳がどのように殺菌され、パックに詰められ、冷却され、出荷されていくのかを、自分の手で覚えるところから社会人生活が始まります。「現場を知らずに商品を語れない」というお父さまの言葉を胸に、黙々と向き合った3年間だったそうです。
やがて営業へと移った後、二瓶さんの師匠になったのがお母さまでした。物産展や百貨店の催事では、お母さまがひとりで売り場を切り盛りし、次々とべこの乳のファンを増やしていました。

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「物産展での立ち居振る舞いや言葉選びは見事でした。『高いけど、おいしいから飲んでみてください』と、商品に対する自信が溢れていたんです。結局、商品の向こう側には人がいる。母を見て、そう思いました」と二瓶さん。
広告費をかけられない小さな会社だからこそ草の根のPRを続け、その積み重ねが「べこの乳」というブランドを育ててきたのです。

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現在、専務となった二瓶さんがとりわけ大切にしているのが、お客さまの声を工場に届けること。SNSのコメントや催事で聞いた声を印刷し、掲示板に貼ったり、朝礼で共有したりして、現場全体で共有しています。
「『いつもこれしか飲まないんです』『会津を離れても、べこの乳を見ると帰ってきた気持ちになります』そんな言葉に触れると、仕事の意味がふっと立ち上がってきます。現場の一人ひとりが、その実感を持てる環境にしたいんです」
その思いが、会津中央乳業の原動力となっています。

EPILOGUE
会津で育むサステナブルな輪
会津中央乳業が地域に開き続けている取り組みのひとつに、毎年6月の第3日曜日に行う 「べこ乳マルシェ」というイベントがあります。6月の第3日曜日…そう、ちち(父)の日です(笑) 2025年の開催で14回目を迎えました。
本社工場の敷地に酪農家や地元住民が集まり、牛とのふれあい、バターづくり、野菜釣りなどを楽しむ、生産者と消費者がつながる1日。酪農家にとっても「自分の牛乳が“べこの乳”になって届いている」と実感できる大切な場です。
そして、このマルシェではこんな催し物も……

当日の様子はインスタライブで配信も
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飲みにくいヨーグルト早飲み世界大会! こちらは開催して3回目。マルシェには、1000名を超える来場者が訪れ、会場は大いに盛り上がりました。

「会津のべこの乳発 つまんでよいよいチーズ」
また、未来に向けた新しい挑戦も始まっています。震災後には、添加物を使わずに、生乳と食塩だけで完成させたチーズをつくりました。さらに、磐梯町で進んでいるのが、このチーズとウイスキーの循環プロジェクト。磐梯町にあるウイスキー蒸溜所「天鏡」で出る搾りかすを、牧場が飼料として活用し、その乳を会津中央乳業がチーズに加工するという、地域の資源を循環させる取り組みです。
「本来、酪農は、人が食べられないものを、人が食べられるものに変える仕事なんです。海外の飼料に頼らず、地域の副産物を活かす循環を広げたい」と二瓶さんは目を輝かせます。
さらに今後は、会津らしさを込めた山椒漬けや酒粕漬け風味のチーズも企画中とのこと。日本酒の消費が減る今だからこそ、地酒とチーズを結ぶ新しい食文化を根付かせていくことも考えているそうです。
そして最後に、二瓶さんが口にした言葉があります。

「大人の世代じゃなくて、孫の世代のために働こうと思っているんです」
自分の代だけが良ければいいわけではない。酪農家が続き、会津の風景が残り、子どもたちが「べこの乳」を飲んで育つ未来があること。その先に、自身の使命があると言います。
高校時代の危機を経験したあの日からずっと胸の中にある、会社を残すという覚悟。だからこそ、目の前の仕事は小さくても、一つひとつ丁寧に積み重ねていく。地域とともに歩み、地域の未来をつくる。その姿勢が、二瓶さんの人生そのものになっています。
会津中央乳業の牛乳は、今日もまっすぐな思いを込め、地域の食卓をやさしく照らしています。どんなときも寄り添ってきた「あの子」のように──。












