
馬塲 由紀子 (ばば ゆきこ)さんの自己紹介
1969年、栃木県宇都宮市生まれです。14歳のとき、父の実家がある福島県会津若松市へ移り住み、中学・高校時代を過ごしました。日本体育大学を卒業後、Uターンし地元銀行に勤務。結婚を機に家業である割烹「田季野」に携わり、2009年から女将として店を切り盛りしています。郷土料理を通して、会津の食文化と魅力を全国に発信しています。
INTERVIEW
体育会系から一転、女将の意外な出発点

福島県会津若松市にある「割烹・会津料理 田季野(たきの)」。江戸時代の糸沢陣屋を移築・復元した趣ある建物で味わう「わっぱ飯」は、今や会津を代表する名物料理です。四季折々の食材を生かしたやさしい味わいと、温かなもてなしが訪れる人を和ませます。
二 代目女将の馬塲 由紀子(ばば ゆきこ)さんは、もともと飲食業とは無縁の世界から歩み始めました。子どもの頃から体を動かすのが好きで、高校ではソフトテニス部に所属。顧問の先生の影響で日本体育大学へ進んだという体育会系の馬塲さんですが、現在の着物姿からは意外なギャップでした。

「体育の先生になりたかったんです。でも、教員採用試験に受からなくて、地元の銀行に就職しました。事務職として3 年間勤めた後に主人と結婚し、田季野に嫁いできました。それからはあっという間、もう30年になりますね」と感慨深げに話す馬塲さん。
飲食の経験はなく、入った当初はまさに手探り。接客、配膳、掃除、皿洗い、調理補助まで、現場で一つずつ覚えていきました。女将であるお義母さまに言われて動くのではなく、「いつか自分が女将になるのだから、店の仕事を全部知っておくべき」と自ら学び続けたといいます。その姿勢が周囲の信頼を集めていきました。

「飲食業はマニュアルで動くだけでは対応しきれない場面が多いんです。だからまずは自分自身が柔軟でいること、そしてその姿勢をスタッフへどう伝えるかを大切にしてきました」
馬塲さんが目指したのは、「作業としての接客」ではなく「来てくださってうれしい」という気持ちから生まれる接客。自然な笑顔や言葉の温度は、心からの思いがあるからこそ表れるといいます。
初代から二 代目へ、徐々に継承も始まる中で馬塲さんが取り組んだのは、“人づくり”でした。
人づくりから始まった店づくり
お客さまを心からもてなすために、スタッフ一人ひとりが幸せであることが大切だと考えた馬塲さん。真っ先に目を向けたのは、スタッフたちの生活の安定でした。
現在は20名ほどのスタッフが在籍していますが、かつては倍近くいた時期もあったとのこと。馬塲さんはスタッフ一人ひとりに寄り添い、生活の面でも力になれるよう心を配ってきました。

「自分の生活が不安定だと、幸せな接客なんてできません。スタッフ一人ひとりが少しでも安心して働けるよう、できる限り寄り添ってきました。スタッフの中には、さまざまな事情を抱えた人もいます。時には役所の手続きに同行したり、困りごとがあれば一緒に解決の糸口を探して相談窓口に行ったこともありました。今はそういった個人的な関わり方は難しい時代ですから、無理に踏み込みすぎないようにしています。昔はちょっとおせっかいでしたかね(笑)」
20年、30年と長く働くスタッフが多い理由は、こうした“人へのまなざし”にあるのでしょう。

そして、働き方改革にも早くから着手し、朝・昼・晩のシフト制を導入。無理なく続けられる体制を整備。現在の最高齢スタッフは86歳、そして子育て世代や復職スタッフまで、多様な人が自分に合った働き方で活躍しています。
店づくりにとって欠かせない、人づくり。自己流で試行錯誤を重ねてきましたが、幸いだったのは、姑である先代女将との関係でした。
「義母は『自由にやりなさい』と任せてくれつつ、方向性がずれそうになるとそっと助けてくれたんです。その存在があったから、私は伸び伸びと信念を持って働くことができました」と語る馬塲さんの表情には、深い感謝の色がにじみます。

未経験で飲食業界に入り、地域を代表する味を守り続けて30年。その間には、東日本大震災や新型コロナウイルスの蔓延など、未曾有の出来事が積み重なりました。それでも諦めず、笑顔を絶やさず、前向きに歩んできた馬塲さん。その原点には、幼いころに祖母からかけられた言葉があるといいます。
「小さい頃、私はおばあちゃん子だったのですが、祖母はよく私に『どうせやるなら、嫌々じゃなくて楽しくやりなさい』『自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけない』と大切なことを教えてくれました。今思えば、その教えが根底にあるのだと思います。そして、大学時代、体育会系の厳しい世界に身を置いたことで、体だけでなく心も鍛えられました。元気で明るく笑顔でいれば、だいたいのことはなんとかなるもんですよ」と笑う馬塲さん。その言葉には、経験に裏打ちされた力強さがにじんでいます。
EPILOGUE
会津の食文化を未来へ
震災以降、全国の百貨店の催事に出店したり講演会に登壇したりと、店外の活動も積極的に行ってきた馬塲さん。田季野のわっぱ飯だけでなく、会津の食文化そのものを後世につないでいく活動にも取り組んでいます。

そうした取り組みを続ける中で、宮城県仙台市にある宮城学院女子大学との縁が生まれました。同大学の地域産業活性化を学ぶゼミと出会ったことをきっかけに、会津の食文化や地域資源を生かした商品開発プロジェクトが動き始めたのです。
「会津には、貝柱のだしで里芋やしいたけなどの具材を煮込んだ『こづゆ』という郷土料理があります。この料理を基に、新たなご当地グルメとして『會津(あいづ)おでん』を学生たちと共同開発しました。おでん種には、こづゆの具材を油揚げに詰めた『きんちゃく』や、ニシンの山椒漬けをコンセプトにした揚げかまぼこ『会津天』など、オリジナルの具材が含まれています。會津おでんをきっかけに、若い人たちが郷土料理に興味を持ってくれたらうれしいですね」と馬塲さんは期待を込めます。

開発に約1年をかけ、2022年秋に田季野でお披露目会を実施。その後、田季野で提供し、2023年には家庭で気軽に楽しめるレトルトタイプの販売も始めました。
さらに、洋食店など地域の飲食店も参加し、各店のオリジナル「會津おでん」を展開。だしも具材も会津由来のものをふんだんに使うことを共通とし、さまざまなバリエーションを広げていきました。今年(2025年)は新たに、「會津おでん弁当」が誕生したそうですよ!

その他にも、馬塲さんが力を入れているのが、福島県出身の料理家・野﨑洋光氏(元・分とく山総料理長)との取り組みです。息子さんが同氏のもとで修業していたことをきっかけに交流が始まり、「福島の食文化を次世代へつなぐ」という共通の思いから、食育体験やJR只見線のお弁当企画など、さまざまなプロジェクトを展開しています。
また、野﨑氏とともに新潟を訪ね、料理人たちと交流する中で食文化を通じた地域連携も生まれているそうです。ごっつぉLIFE編集部としてはとてもうれしいお話です!

「野﨑さんとともに郷土料理のレシピを体系的にまとめ、教科書のような本として残す構想も進んでいます。昔からある地域の宝に目を向けて、この素晴らしい食文化を磨き、残していきたいですね」
人を想い、食を通じて心を結ぶ馬塲さんの歩みは、これからも変わることなく続いていきます。会津の味は、会津の人情とともに、これからも受け継がれていくことでしょう。













