
桑原 大 (くわばら だい)さんの自己紹介
1963年生まれで、還暦を過ぎました。磐梯酒造の5代目を務めます。創業当時から変わらない昔ながらの酒造りを大切にする一方で、新たな商品開発にも励んでいます。趣味は、刀剣をはじめとした美術品のコレクションです。祖父が収集していた日本刀の登録証を取得するために勉強を始めたことがきっかけで、すっかりその魅力に惹き込まれてしまいました。
PROLOGUE

※ご提供画像
新潟県から磐越自動車道を通って福島県へ。車を走らせていくと、均整の取れた美しい山容が見えてきます。会津富士とも呼ばれる日本百名山の一つ、磐梯山です。
その山麓に広がる磐梯町は、山裾から緩やかに広がる高原地域で、春には雪解け水が豊富に湧き出し、美しい湧水や滝が数多く見られることから、名水の里としても知られています。

この恵まれた環境の中で、135年にわたり酒造り一筋を貫いてきたのが老舗の酒蔵「磐梯酒造」です。名峰磐梯山の伏流水と地元で栽培された酒米を原料に、伝統的な製法で丁寧に地酒を造り続けています。

軒先の看板には「和醸良酒(わじょうりょうしゅ)」の文字が。きっとこの言葉に、磐梯酒造の酒造りへの思いが込められているに違いありません。
この度、インタビューを受けてくださったのは、5代目蔵元の桑原 大(くわばら だい)さん。磐梯町では桑原さんを知らない人はいない!?というほど、地域に根ざした活動もしているそうです。桑原さんに、磐梯酒造の歴史や酒造りのこだわりをお聞きしてきました!

INTERVIEW
家族で守り継ぐ、磐梯の酒
磐梯酒造は1890年(明治23年)の創業以来、135年にわたり酒造り一筋に歩んできました。代表取締役で杜氏を務める桑原さんと、奥さま、息子さんの3人を中心に営まれ、冬場には数名の蔵人が加わる少数精鋭の蔵です。福島県内を中心にお酒の8〜9割が流通し、首都圏や海外にもその味が届けられています。
まずは、桑原さんに磐梯酒造が醸すお酒のラインアップについて教えてもらいました。

「主な銘柄は3つあります。まず、代表銘柄である『磐梯山』は、創業当初から地域の皆さんに愛されてきた看板商品で、食事とよく合うバランスのよい味わいが特徴です。次に『会津桜』も昔からある伝統銘柄で、私の代になってから会津産古代米を使ったお酒としてリニューアルしました。赤い色は、古代米である黒米の天然色素なんです」

さらに、2017年には上位ブランド『乗丹坊(じょうたんぼう)』も立ち上げ、今では磐梯酒造を代表する銘柄の一つに。純米以上の特別純米、純米吟醸、純米大吟醸の3種類で、乗丹坊には、磐梯町産のみの酒米を使用するというこだわりです。
これら3つの銘柄を軸としながら、時代の変化に合わせた新しい挑戦も続けています。

日本酒好きな女性グループ「PON酒女子」とのコラボレーションで誕生した「@Party(アットパーティー)」は、甘口でスッキリとした味わいが特徴。また、地域とのつながりから生まれた磐梯町産のりんごを使った、日本酒ベースのリキュール「Bandaisan Apple x Sake(磐梯山りんご酒)」も人気商品です。
「日本酒市場が年々縮小していく中で、新しい飲み方の提案や間口を広げる取り組みとして、若い世代を意識した商品開発にも積極的に取り組んでいます」と桑原さん。時代の変化に柔軟に対応する姿勢が感じられます。
手仕事にこだわり続ける伝統の技

磐梯酒造が誇るのは、昔ながらの製法にこだわった手づくりの酒造り。「小さな蔵だからこそできること、磐梯酒造にしかできないことにこそ意味がある」と桑原さんは語ります。
例えば、酒造りの序盤に行う蒸米を冷ます「放冷」という工程では、一般的には機械を使って風を強制的に当てて冷却する蔵が多い中、磐梯酒造では自然放冷にこだわっています。時間はかかりますが、美しく澄んだ冬の冷気でゆっくりと冷却するという、自然の方法を守り続けているのです。

また、もろみを酒と酒粕に分離させる工程「搾り」。一般的な「薮田式」と呼ばれる方法は、空気圧で一気に搾るので1日もあれば作業が終わりますが、磐梯酒造が昔から続けているのは「佐瀬式」という方法。もろみを入れた袋を槽(ふね)と呼ばれる木枠に敷き詰め、二日間かけてゆっくり丁寧に搾ります。
「うちが搾るのはもろみ全体の8割ほどで、残りの2割は酒粕になります。酒粕を多めに残すことで苦味や辛味成分は酒粕に残し、もろみ中の旨味成分のみを抽出することができます。製成される清酒の量は減りますが、その分美味しいお酒ができるというわけです」と桑原さん。

さらに特徴的なのが「四段仕込み」という製法。通常、酒は三段仕込みで造られるのが主流ですが、磐梯酒造ではさらに甘酒を添加して本醸造酒を造っています。
「一般的に、本醸造はもろみにアルコールを添加してすっきりとした味に仕上げますが、うちはその前に自家製の甘酒を加えます。コクと旨味がしっかりありながらもキレもある味わいになるんです。甘酒を作るのに丸2日を費やすので手間がかかりますが、これは絶対にやめられないやり方ですね」
機械化は最小限に抑え、できるだけ手をかけ伝統の手法を守り続ける磐梯酒造。すべてはおいしいお酒を造るために、決して手間暇を惜しまない姿勢が貫かれています。

そして、桑原さんの代になってから社訓として掲げたのが「和醸良酒」という言葉。この言葉には二つの意味が込められているといいます。一つは「和して良酒を醸す」、蔵人が協力しあって良い酒を造るという意味。もう一つは、逆から読んで「良酒醸和」、つまり自分たちが造った良い酒を召し上がったお客様に、和みの気持ちを届けるという意味です。
「俺たちはタンク5000リットルの酒を造っているんじゃない。お客様の盃一杯のために、その笑顔のために造っているんだと、蔵人たちに伝えるようになりました」と力強く語る桑原さん。
軒先の看板に書いてあった言葉には、造り手の熱い想いが込められていました。

地域と共に歩み、未来へつなぐ
磐梯酒造が歩んできた135年という長き道のりは、決して平坦なものではありませんでした。特に、東日本大震災とコロナ禍という二つの未曾有の出来事は、大きな試練となりました。

「本当にお酒が売れなくなりました。震災のときは『酒なんて飲んでる場合じゃない』という空気が漂い、東京の百貨店に置いてもらっていた棚も、気づけば静かになくなっていました。特に福島の酒の扱いを控える風潮には、大きなショックを受けましたね」
幸い蔵や機械、タンクなどに大きな破損はなく、酒造りを続けられる状態でしたが、その後の風評被害が大きな打撃に。しかし、この困難が福島の酒蔵を団結させるきっかけになったのです。
「自分だけが良くてもだめだ。みんなで良くなろう」という想いから、福島県の蔵元たちは情報を公開し合うようになりました。県として「福島県清酒アカデミー職業能力開発校」を設立し、各蔵の蔵人や従業員が集まって切磋琢磨する場が生まれたのです。通常は門外不出とされる仕込みの方法や配合、温度管理までオープンに共有し、福島の酒全体の底上げにつながりました。この取り組みが実を結び、全国新酒鑑評会での金賞受賞数で福島県が高い評価を得るようになったそうです。

「これまでのどの時代も先代たちが苦難を乗り越えてきたからこそ、自分も頑張らなきゃいけない、負けてたまるかという思いでここまでバトンをつなぐことができました」と桑原さんは言葉を噛み締めます。震災からの復活には一歩一歩時間をかけて取り組み、今日まで歩みを止めませんでした。
そして2025年から、長男の大和(やまと)さんも正社員として蔵に入り、お父さまと二人三脚で新しい時代を切り開こうとしています。

「父を見ていると、常に新しいことにチャレンジしている印象があります。私もそれを受け継いで、新商品の開発などに取り組んでみたいですね」と語る大和さん。商品の配達から商談会や県主催のイベントまで積極的に参加し、着実に経験を積んでいます。
「どこに行っても父の名前が知れ渡っているんですよ。プレッシャーもありますが、私は私なりにやるしかないと思っています」という言葉からは、次世代を担う覚悟が伝わってきます。

そして桑原さんは、これからの時代について「酒を造って売るだけでなく、どう飲むか、どんな料理に合うかまで提案できる蔵でなければ、生き残れない」と語ります。お酒そのものの魅力に加えて、食や観光とも結び付ける提案が重要だと考えているそうです。
135年の伝統を守りながらも、時代に合わせた新しい価値を創造し続ける磐梯酒造。「お客様の盃一杯の笑顔のために」という想いを胸に、磐梯町から県外へ、世界へ、磐梯酒造の酒は今日も届けられています。
次回は、新たな商品開発のことや酒造りを越えた地域活動のことについて、詳しくお聞きします。お楽しみに!









