
旗野さん姉妹の自己紹介
長女・旗野麗子さん(写真右) / 三女・旗野聖子さん(写真中)/ 四女・旗野佳子さん(写真左)
明治11年創業の窯元を四代目として受け継ぎ、三姉妹で運営しています。三人とも10代から家業に携わり、60年近く焼き物づくりに取り組んできました。父から受け継いだ「使いやすさ」へのこだわりを大切に、全ての工程を手作業で行うことをモットーにしています。姉妹で喧嘩はしないのかって?そりゃしますよ(笑)。
INTERVIEW
民芸としての焼き物を目指して
新潟県阿賀野市の安田エリアで、150年もの歴史を刻む旗野窯。創始者である旗野直太朗氏が村松(現:五泉市)の田沢窯で陶工技術を習得した後、明治11年(1878年)に窯を開業したのが旗野窯の礎になりました。

「先祖の名字はもともと『波多野(はたの)』でしたが、本家が明治天皇の時代に旗揚げするということで『旗』の字に変えて、『旗野』になったと父から聞いています」と長女の麗子さん。
戦前の旗野窯では主にすり鉢や植木鉢といった日用の器を製造していましたが、戦後は生活様式の変化に伴いこれらの需要が落ち込んでいきます。
一方、大正15年(1926年)には柳宗悦氏を中心に民芸運動が始まり、日常の生活道具に美を見出し、新しい価値観が提示されていきました。この運動の思想は戦後、日本各地の窯元に広がっていきます。

そうした時代背景の中、三姉妹の父で三代目となる旗野義夫さんは、1950年代から庵地焼を民芸陶器の道へと舵を切ります。義夫さんは民芸思想に共感し、「本物の手作りで、使いやすく誰にでも買える価格の陶器」を目指したのです。
1960年代初めには、義夫さんが洗練された面取り技法と鉄分の多い「庵地黒」と呼ばれる漆黒の釉薬を完成させ、庵地焼の名を全国に広めることに成功。昭和49年(1974年)には「庵地焼」として登録商標が認められました。

庵地焼は1に体力、2に体力、3に体力で4・5も体力!
麗子さん、聖子さん、佳子さんの三姉妹が旗野窯を引き継いだ理由には、三代目である父・義夫さんを中心とした深い家族の絆がありました。
「私たち、最初から焼き物が大好きでやってきたわけではないんです。ずっと仕事ばかりしている両親でしたけど、休みの時にはいろんなところに遊びに連れて行ってもらってね。大変な中でも、大切に育ててもらったことをずっと実感してきたんです。だからこそ、父母の苦労する姿を見て育ち、『父母を楽にしてあげたい』という思いが強かったのでしょうね」と麗子さんは振り返ります。

長女の麗子さんと三女の聖子さんは10代から家業に携わるようになり、以来60年近く焼き物づくりに従事してきました。
「何が必要かって聞かれると、1から5番目ぐらいまでは体力(笑)。その中でも父は新しい挑戦も続ける人でした」と聖子さんも懐かしそうに語ります。
地元の土にこだわり、地元のケヤキの灰で釉薬も作り、全工程を手作業で行う–そんな父の姿から学んだことを、旗野さん三姉妹は徹底して続けてきました。

「あえて手間かけているということではないんです。庵地焼は、これだけの手間をかける必要があるものだということ。どこかで少しでも手を抜いたら、庵地焼らしさは失われてしまうと思います」と力強く語るのは四女の佳子さん。効率化とは真逆のこの姿勢が、庵地焼の個性を生み出してきたのですね。
EPILOGUE
地域と歩んできた庵地焼の未来
庵地焼は2022年に新潟県伝統工芸品として指定されました。現在は佳子さんの娘の明日香さんと香織さんも窯の仕事に加わり、技術継承が着実に進められています。

技術継承と保存への取り組みの一つとして、36年ぶりに登り窯も復活させました。登り窯は斜面に沿って複数の焼成室を階段状に連ねた伝統的な窯のこと。一番下から薪で火を焚き、熱が上部へ自然に上がる仕組みで、一度に大量の陶器を焼くことができるそうです。
「最近では環境問題などからガス窯が主流ですが、伝統的な味わいを求めて今も使われているところがあるそうですね。うちの窯でも、毎年12月にここで薪を使って2昼夜半かけて焼きます。ガス窯とは違う風合いの器ができるんですよ」と佳子さん。

旗野窯の真摯な姿勢は、地域との絆も育んできました。
「地元の人たちにもたくさん支えられてきました。旧安田町の時代には町長さんが上京される際に、お土産に庵地焼を使ってくださったことも多々ありました。また、父の生き方がある学校の先生の心を動かしたそうで、小学校高学年向けの道徳の教科書に『民芸の心』というタイトルで掲載されたこともありました」と佳子さんは嬉しそうに教えてくれました。

お店での直販もこだわりの一つで、「お客さんが嬉しそうに選んで、買った器を大事そうに抱えて帰るのを見るのが嬉しくて」と聖子さん。時には何十年も前に買った器を持って来られるお客様もいるそうで、器が旗野窯を離れた後もそれぞれの家庭で長く使われ、いろいろな思い出が作られていることを思うと、感慨深くなると三人はいいます。

作り手と使い手をつなぐ絆であり、地域の誇りとして受け継がれてきた旗野窯の庵地焼。ある時は食卓の中心に、またある時は花を活けて窓辺に。日々の暮らしの中で、庵地の土から生まれた器はいつしか家族の歴史の一部となっていきます。
「私たちは焼き物をやってきたんじゃなくて、焼き物と生きてきたんです」
三姉妹の手から生まれた庵地焼は、これからも多くの人の暮らしを豊かに彩り続けます。
NEXT EPISODES
最後に、五泉・阿賀野の魅力的なお二人を、旗野さんからご紹介いただきました。
「安田瓦」の魅力を発信する加茂豊和さん
1人目は、安田瓦協同組合と「にいがた瓦館 かわらティエ」の事務長を務める加茂豊和(かも とよかず)さん。
「加茂さんは福島県出身で阿賀野市に移住された方。安田瓦のことはもちろん、広い視点で歴史、現在、未来へと繋げるため常に思考されています。安田瓦の認知度を高めるため、幅広く活動されていて、庵地という地域への愛にもあふれた方なんです」と旗野さん三姉妹。
「にいがた瓦館 かわらティエ」は2023年にオープンした体験型産業観光施設で、加茂さんはここでの来館者対応やイベント企画など、訪問者が楽しめる工夫を続けているそうです。
れんこん農家として地域の味を守る羽賀恵子さん
2人目は、五泉市で伝統的なれんこん栽培を守りながらも、安全性にこだわった栽培に取り組んでいる、れんこん農家の羽賀恵子(はがけいこ)さん。
「羽賀さんとは昨年初めてお会いしましたが、土の匂いと頭と心に流れる波長が、私と似ていると感じた方です。安全なれんこんを作る姿勢に魂が込められています」と佳子さん。
土づくりから全てを手作業で行うことにこだわる庵地焼にも通じるものがありそうですね!
加茂さんと羽賀さんのエピソードも、どうぞお楽しみに。
