渡邊 計一 (わたなべ けいいち)さんの自己紹介
1983年、阿賀野市の水原(すいばら)で生まれ育ちました。私が4代目で、父とともに菓子製造をしています。シティボーイに憧れて高校卒業後は上京し、製菓専門学校に進学。東京の大手菓子メーカーに勤め、和菓子職人として10年間修業しました。30歳の頃に新潟に戻り家業へ。代々受け継ぐ銘菓を守りながらも、皆様に喜んでいただける新たなお菓子づくりに励んでいます。休日は、子どもの少年野球の送迎&応援に全力投球!ってちょっと真面目に紹介しすぎましたかね?(笑)
PROLOGUE
洋菓子とジャムの店「湖と菓」の近藤さんから始まった、ごっつぉLIFE阿賀野市編。最後にご紹介いただいたのは、同じく水原エリアにあり、「湖と菓」から徒歩6分の場所にあるご近所さんです。
JR水原駅と、白鳥の飛来地「瓢湖」の間に位置する、水原本町商店街。飲食店や用品店、薬局、銀行などが立ち並び、どこか懐かしくほのぼのとした雰囲気が漂います。
今回訪れたのは、「瓢湖入口」交差点近くにある「御菓子処 渡計(以下、渡計)」。大正13年に誕生し、今年でちょうど創業100年を迎えた老舗和菓子店です。
店内のショーケースには30種類近くのお菓子が並びますが、「渡計」といえばこのお菓子!
黄味餡を包み専用オーブンで焼き色をつけ、すり蜜をコーティングした銘菓「白鳥の卵®」です。昭和28年に発売されて以来、世代を越えて愛され続け、第17回菓子大博覧会で「金賞」を受賞。テレビや新聞、雑誌などで幾度も取り上げられ、瓢湖に訪れた際のお土産の定番として、阿賀野市の名物になっています。
そのような有名な銘菓がある一方で、次々と時代のニーズに合わせたお菓子も生み出しています。
SNSで「#1日で3,000個売れたいちご大福」と発信するや否や、爆発的な人気となった「いちご大福」(冬季限定)。
道の駅で連日早々と完売する、きなこたっぷりの手練り「わらび餅」(期間限定)。
そして阿賀野市を越え、新たな新潟土産として話題となっているのが……
「彩花~さやか~」
新潟産の果物やお酒などを寒天に閉じ込めた琥珀糖です。
「おもしろいぐらいに、皆さん立ち止まってくださるみたいです。道の駅や百貨店など、『彩花~さやか~』を取り扱っていただいているお店の担当者さんが驚いていました。このお菓子の前には、見えない停止線があるんじゃないかと(笑)」
そうほほ笑みながら話すのは、渡計の4代目・渡邊計一さん。伝統を受け継ぎながら、独自の感性で新たなお菓子を生み出し、SNSでの発信にも力を入れています。
今回は渡邊さんに、お店の歴史や新たなお菓子が生まれたきっかけ、この地域の魅力などについて伺ってきました。
渡邊さん、実はタレントさんですか?!と思うほどトークが面白くて、終始笑いっぱなしのインタビューでした。記事はまじめに書きますね(笑)
INTERVIEW
人として大切なことを学んだ修業時代
渡計の看板商品である「白鳥の卵®」は、渡邊さんのお祖父様である2代目店主・渡邊浩一さんが作ったのがはじまり。このお菓子の誕生には、日本で初めて野生の白鳥の餌付けに成功した、初代「白鳥おじさん」の故・吉川重三郎さんとの親交が深く関わっていました。
「今でこそ瓢湖は白鳥の飛来地になっていますが、『瓢湖を白鳥の湖にしたい』と熱心に活動されたのが吉川さんでした。祖父は吉川さんの活動に感銘を受けて、白鳥にちなんだお菓子を作ることで協力したいという思いがあったようです。そこで考えたのが、白鳥の卵に見立てたお菓子。まだ砂糖が貴重だった時代に、とても甘くて、見た目にもインパクトがある『白鳥の卵®』はたちまち人気に火がつき、瓢湖の白鳥とともに水原の街に根付いたようです」
水原といえば瓢湖、瓢湖といえば「白鳥の卵®」、「白鳥の卵®」といえば渡計と言うように、地域を代表する菓子店へと成長を遂げていきました。
そんな歴史ある和菓子店に生まれた渡邊さん。和菓子職人の道に進むことを決意したのはいつ頃なのでしょうか?
「高校卒業後の進路を考えていたとき、候補の中に東京の製菓専門学校があったんです。もうお菓子のことを学びたくて学びたくて……という気はまったくなく、大都会で自由に羽ばたけるんじゃないか!白鳥のように!と思ったんですよ(笑)。それで製菓専門学校へ進学して、父がお世話になった親方さんからご紹介いただき、新宿の大手菓子メーカーに就職したんです。その時も、新宿で働けるのがかっこいいとしか思っていなかったですね。ところが実際に働いてみたら、想像以上に厳しい職人の世界でした」と渡邊さん。
軽い気持ちで飛び込んだ職人の世界では、和菓子づくりの基本から学び、早朝から夜遅くまでよく働いたと言います。も……もしかして、ガチガチの縦社会で怒号が飛び交うような世界でしょうか。テレビドラマで観るようなシーンを想像してしまいました……!
「親方からは厳しくも温かく育てていただきました。よく言われたのは『菓子は人なり』、製作物には人柄が表れると。また、『物事には必ず意味がある』と心構えから所作に至るまで丁寧に教えていただきました。その当時、20代前半の自分には意味が分かりませんでしたが、今になってそれがどれだけ大事なことなのか、身に沁みて感じています」と渡邊さんは懐かしそうに振り返ります。
流行の発信地である東京の大手菓子メーカーでは、最先端の商品開発やマーケティング、ブランディング、更に経営にまつわることも学んだそうです。
「ありがたいことにお菓子の製造部だけでなく、商品開発部や営業部など、さまざまな部署の方と仲良くさせてもらっていました。営業部長からは、『失敗から学べ』とよく言われましたね。ヒット商品が成功した原因を考えるのではなく、失敗した商品の原因を考えろと。失敗には法則性があるから、それを探し出して自分に活かすことが大事だということなんです。この会社での10年はお菓子作りに限らず、考え方やあり方といった、人として大切なことを教えてもらいましたね」
厳しい職人の世界で培った経験は、いつしか財産に。そして、渡邊さんの素直で明るいお人柄が、部署を越えて多くの人を引き寄せたのでしょう。
人々の心を動かすSNS発信
渡邊さんが新潟へ戻り家業に入ったのは30歳の頃。店の仕事を一通り覚えた後、東京時代の経験をもとに、それまで渡計では作っていなかったお菓子を販売し始めました。そしてしばらくしてから、SNSの発信もスタート。
「SNSはありのままに発信していますね。どら焼きの投稿をしたときに、『購入はお控えください』と書いたんですよ。しかも3回も繰り返して。手焼きで少量ずつしか作れないので、たくさん売れると近所の方が買いに来る分がなくなってしまうんです。なので、そのように書いたら逆にお客様が増えてしまって。テレビ局まで取材に来てしまって」
そ、そ、そんなことを言うお店の方に初めてお会いしました(笑)
また、いちご大福の販売を始めたときのこと。東京時代に勤めていた会社で、1日3,000個売れていたいちご大福のレシピをもとに作ったことから、「#1日で3,000個売れたいちご大福」と発信したら、毎日完売する人気商品になったそうです。
この他にも渡邊さんらしいSNSでの発信はたくさんあり、どれも戦略的にやっているように見られがちですが、あくまでありのまま発信していると言います。
「SNSはお菓子のことから私の至らぬところまで、自然体で発信しています。すると、私を応援して店舗に足を運んでくださるお客様が増えてきたんです。おいしいお菓子を作ることは大事なのですが、どんな人が作っているのかを発信することも大事なんじゃないかと。店頭には母が立って接客をしているんですが、そこでもお菓子を売るだけなくて、お客様との何気ない会話を大切にしてもらっています。『おいしい』に『+α』の付加価値を付けて、より心に残るお菓子になれば」と思いを語る渡邊さん。
着飾ることなく自然体でユーモアたっぷりなお人柄。そしてお客様がどんなことを求め、喜んでもらえるのかということを日々考えている姿勢が、ひしひしと伝わってきます。
新たな新潟名物に込めた想い
渡邊さんが新潟に戻り数年が経った頃、「NIIGATAみらいプロジェクト」という事業に携わる機会に恵まれ、阿賀野市の特産品を使ったお菓子の製作にチャレンジしました。
そこで生まれたのが、琥珀糖菓子の「彩花~さやか~」です。
一口噛めばシャリッ、中はツルンと弾力のあるゼリーのような食感で、果物などの風味が口いっぱいに広がります。まるで果実をそのまま食べているような濃厚な味わいなんですよ!
瓢湖の八重桜を使った「さくら」、平飼い卵を使った「プリン」、地元農家さんの「黒イチジク」「越後姫」など阿賀野市の素材を使い、そのままギュッと閉じ込めた琥珀糖。宝石のような見た目の美しさと、新しくもどこか懐かしい味わいが評判を呼び、たちまち話題になりました。
「琥珀糖って昔からあるお茶菓子なのですが、その見た目の美しさから、もっと中身にこだわってきれいにラッピングをしたら、大切な方への贈り物にできるんじゃないかと思ったんです。果物などの素材は、『ちょっと入れすぎかな』と思うぐらい贅沢に入れています。その方が断然おいしいので、原価なんて考えちゃだめですよ(笑)。おかげさまで好評をいただき、阿賀野市だけでなく新潟県の他の地域の素材を使ったり、企業とコラボしたりと、どんどんラインナップが広がっています」
現在「彩花~さやか~」は全部で15種類。渡計の他、新潟県内の道の駅や百貨店などで取り扱っています。なんと年間販売本数は1万本! これが全て手作りとは驚きです。「白鳥の卵®」が地域の銘菓になったように、「彩花~さやか~」も新潟を代表するお菓子になる日は、そう遠くはないかもしれません。
EPILOGUE
個を磨き、手を取り合い、仲間たちとともに
憧れの大都会でシティボーイになるべく上京し、ふるさとに戻った渡邊さん。一度離れたからこそ、この地域の魅力を存分に感じていました。
水原を、阿賀野市を、より魅力ある街にしていきたいと、祭りやイベントを開催するなどまちづくりにも携わっています。また、「湖と菓」の近藤さんをご取材した際に「渡邊さんがつないでくださったおかげで、瓢湖白鳥観察舎のカフェメニューにうちのお菓子を使っていただけることになったんです」とも仰っていました。地域の人と人をつなぐ、架け橋のような存在なのですね!
「せっかく同じ地域で商売をするのだから、ライバルではなく仲間として切磋琢磨し合っていければいいと思うんです。そこで何か化学反応が生まれたら楽しいじゃないですか。もちろん個々のお店それぞれで輝けるようにスキルを磨いていくことも大事で、共感したり応援したりし合いながら、横のつながりを強めていけたら、地域全体が盛り上がっていくと思います。
阿賀野市は豊かな自然があって歴史もあり、一生懸命こだわりを持って商売している方々がたくさんいる魅力的な街です。もっとそのことを発信していきたいですね」とまっすぐな眼差しで語ってくださいました。
最後に渡邊さんの目標をお聞きしました。
「温泉が好きなので銭湯を経営することです」
ズコーーーッ!!
「というのは冗談で、『彩花~さやか~』を新潟県の30市町村全ての名産品で作りたいと思っています。地域の厳選素材を人づてで探したり、生産者さんのもとに私が直接お伺いして取り引きをお願いしたりしているので、なかなか時間がかかりますが、いつか新潟県コンプリートセットを作ってみたいですね。その後は県外へ、世界へ、羽ばたかせますよ~!」
渡邊さんなら、お笑いタレントとしても羽ばたけますよ(笑)
かつてお祖父様が、瓢湖の白鳥のことや親交があった吉川さんの想いをもって新たなお菓子を生み出したように、渡邊さんも生まれ育った地域の魅力や出会った生産者さんたちの想いを込めて、お菓子づくりに励みます。
「菓子は人なり」
渡邊さんだからこそできる、人々を喜ばせる笑顔のお菓子づくりに、今後も目が離せません!