
二瓶 孝文 (にへい たかふみ)さんの自己紹介
1981年生まれ。東京の大学を卒業後、家業に入り、現在は会津中央乳業の専務取締役を務めます。営業活動を主に担当していますが、新商品の開発などにも携わっています。仕事柄、食べ物を見ると「どんな乳製品と合わせたらおいしいかな」と考えてしまう癖があり、周りからは、職業病だと笑われています(笑)
PROLOGUE

みなさん、こちらをご存知でしょうか?「飲んだことがある」「テレビで見た!」「大好き」など、さまざまな声が聞こえてきそうですね。商品名は「会津の雪ソフトクリーミィヨーグルト」。ストロー付きの飲むヨーグルトなのですが、実はもうひとつ名前があるんです。それは……
飲みにくいヨーグルト!
「コラコラ、それは失礼でしょう~」と思われたかもしれません。ご安心ください、これは乳業メーカー公認の呼び名なんです。飲むヨーグルトとして販売されているのに、吸っても吸ってもなかなか出てこず、パッケージには「よく振ってお飲みください」と書いてあります。なぜなら、飲みにくい”ほど濃厚な”ヨーグルトだから!
まるでクリームチーズのような濃厚なおいしさの秘密は、特殊な製法とその原料である牛乳のおいしさに隠されていました。

その牛乳というのが、今や県内のみならず首都圏でも多くのファンを持つ、福島県のご当地牛乳「会津のべこの乳」です。
今回は、福島県の会津坂下町にある会津中央乳業にやってきました。専務の二瓶 孝文(にへい たかふみ)さんに、べこの乳のこと、そして会津中央乳業の歴史と現場に息づくこだわりをお聞きしてきました。

INTERVIEW
酪農家の想いと歩む「べこの乳」
会津中央乳業は、1948(昭和23)年に創業した乳業メーカー。現在は二代目の社長であるお父さまが会社を率い、お兄さまが工場を、二瓶さんが営業をメインで担っています。従業員27人という小さな会社ながら、創業からおよそ80年にわたり、会津地域に根ざした乳製品づくりを続けてきました。

写真下/同じ敷地内にある直売店「アイス牧場」
「原料となる生乳は会津産100%で、会津エリアにあるほとんどの酪農家さんから集めています。毎日集荷に伺い、丁寧に育てられた牛の乳を預かっています。全国的には小規模ですが、小さいからこそ実現できるこだわりがあります」と二瓶さん。
そのこだわりの中心にあるのが「べこの乳」。現社長が約10年の試行錯誤を経て、1986(昭和61)年頃から販売開始した牛乳です。
その味の違いは主に殺菌方法にあります。スーパーで販売されている一般的な牛乳の多くは、130度で2秒間加熱する超高温瞬間殺菌を採用。大量生産に向き、コストも抑えられるため、市場に出回る牛乳の9割以上がこの方法なのだそう。一方、同社では85度で15分間という独自の「中温殺菌」を採用しています。低温殺菌(63度で30分間)より温度が高く、超高温より低い、その中間の方法です。

超高温瞬間殺菌はウェルダンで、低温殺菌はレア。
中温殺菌はミディアムレアなのだとか ※イメージ画像
「集荷に行くと、酪農家さんが鍋で温めて『飲んでみて』とよそってくれるんです。その牛乳のおいしいこと! 父はその味を工場で再現したかったんです」と二瓶さん。温度や時間を細かく調整し、試行錯誤を続けた結果、最もおいしさが引き立つのがこの中温帯だったそうです。
中温殺菌は製造方法にも手間がかかります。大きなタンクを鍋のように使い、一釜ずつ加熱し、85度に達したら15分キープ。焦げ付かないよう攪拌しながらゆっくり温めていきます。大量生産には向きませんが、この丁寧な工程が風味に深みを出すのです。

「小さなメーカーだからこそ、手間を惜しまず本当においしいと思えるものを作りたいんです。大手さんと同じやり方をしても意味がありませんから」と、迷いのない口調で語ります。
そして、中温殺菌のほかにも、高い品質管理や、地域ごとの原乳を混ぜずにタンクに入れる方法など、会津中央乳業ならではのこだわりはいくつも。さらに、会津の豊かな自然と酪農家の愛情が重なり合い、その一滴一滴が「べこの乳」の味を支えています。
どんな時代も「あの子」とともに

1976(昭和51)年、合併により「会津中央乳業株式会社」へと進展。
写真右/肩に手を添えられた男の子が現社長の二瓶孝也さん
※ご提供画像
戦後まもなく誕生した会津中央乳業(当時:二瓶牛乳)。創業者である二瓶さんのお祖父さまは、地域の人々に栄養を届けようと牛乳の仕事を始めました。そこには、深い背景もありました。
「祖父は戦前、満州鉄道で働いていました。終戦後、食料も水も十分に得られず、幼かった長女を現地で亡くしてしまったんです。その後、父が誕生し、ようやく帰国をして始めたのが牛乳屋でした。うちのトレードマークになっている『あの子』と名付けた女の子のイラストがありますが、実は父のお姉さんがモデルなんです」

時が経ち、成長したお父さまが新たな商品づくりに励む中で、パッケージに採用したのが、おさげ髪の少女の笑顔。マークには、「あのとき牛乳があったなら…」「栄養があるものを食べさせることができていたなら…」と想う切ない親心とともに、「どこの子も健康で幸せに育ってほしい」という願いが込められています。
やがて高度経済成長期を迎え、大手メーカーが拡大していく中、小さな会津の乳業メーカーは、生き残りと向き合います。そこで選んだのは、手間のかかる中温殺菌や会津産生乳へのこだわりでした。価格競争を避け、「質」で勝負する道を選ぶことで生まれた「べこの乳」は、県内外で評判を呼び、会津を代表する牛乳へと成長したのです。

※ご提供画像
それから「べこの乳」ブランドは広がり、さらに牛乳そのもののおいしさを追求する、新たな商品が生まれました。
2008年に誕生した特濃牛乳「会津のべこの特濃 もうひとしぼり」。一般的に特濃牛乳というと「何かを加えて濃くする」と思われがちですが、同商品はまったく逆。生乳に余計なものを足さず、水分だけを取りのぞいて濃くするという方法だったのです。
「この低温濃縮(RO)製法は、高圧で牛乳をフィルターに通し、水分だけを抜くことで、しぼりたての風味を損なわずに甘みとコクを引き出します。かつてOEM(他社製品の製造)を請け負っていた時代に、大手乳業メーカーから譲り受けた貴重な機械で、今では特濃牛乳や濃縮ヨーグルトづくりに欠かせない存在になっています」と二瓶さん。
こうして生まれた「もうひとしぼり」は、JR東日本の豪華寝台列車「TRAIN SUITE 四季島(トランスイートシキシマ)」に採用されるほどの評価を得ました。前回ご紹介した田季野さんに続き、会津中央乳業さんもあの四季島に選ばれたとは!

生乳らしい清らかな風味が魅力
※ご提供画像
さらに、その濃縮技術を応用してつくられたヨーグルト「会津の雪」も、熱を加えず水分だけを搾ることでふんわりとした雪のような食感を実現。べこの乳のものづくりには、「会津の生乳のよさをできるだけそのまま届けたい」という一貫した思いがあります。
会津の味を届け続けるということ

そして、2011年、忘れもしない未曾有の出来事が訪れます。東日本大震災です。工場に大きな被害はなかったものの、別の問題が会社を襲ったのです。
「『福島県産の生乳 出荷停止』というテロップがテレビに流れた瞬間から、世界が一変しました。保健所からは連日検査結果の報告があり、『問題なし』と言われ続けていたにもかかわらず、会津産生乳の出荷ができなくなったんです。会津産生乳100%を掲げてきた『べこの乳』は、風評被害によりブランドごと販売中止に追い込まれ、県外販路もすべて失われました……。それでも、牛乳を必要としている人は目の前にいたんです」と、時折、言葉を詰まらせながら振り返る二瓶さん。
学校給食を食べる子どもたち、病院の患者さん、赤ちゃんにミルクをあげるお母さんたち──。牛乳を必要とする地域の人のため、岩手県から原乳を調達し、別ラインでの製造を継続。すぐにパッケージを新たに刷ることも難しかったため、現場では、毎日千本、二千本という単位でシールを貼り続けたそうです。そしてそのうち、パッケージから「会津」という文字が消えることに。
会津産の生乳で、もう一度「べこの乳」をつくれる日を信じて、目の前の現実に一つひとつ向き合っていく日々でした。

どれほど苦渋の決断だったか。
想像するだけで、胸が締め付けられます
「そんな中でも、ただ踏みとどまっただけではありません。県外販路が失われた分、風評被害に負けない商品を作ろうと、チーズづくりに取り組みました。また、牛乳そのもののおいしさをさらに追求したり、こだわりの商品で再度県外に切り込んだりと、考え得る手立てを総動員して挑み続けました。当時は必死でしたが、今思えば、その踏ん張りが会社を強くしてくれました」
県外販路がようやく震災前の水準に戻ってきたのは、震災から10年以上が経ったごく最近のこと。「あの子」に込められた願いと同じように、困難の中でも届けることをやめない姿勢こそ、会津中央乳業の原点なのです。

「私は会社というものは、大きくさせるのではなく、永続させることが大事だと思っています。なぜなら、お客さまに満足していただくのが最大の目的だからです。そのためには、みんながハッピーにならないと会社というのは残りません。酪農家が存続し、地域に仕事があり、消費者が『この牛乳があってよかった』と言い続けてくれる、そんな循環を続けていきたいんです。目先の売り上げやシェアよりも、約束を守ることや信念を持ち続けることが大事なのではないでしょうか」と二瓶さんはまっすぐに語ります。
震災時、岩手産生乳を使っても「べこの乳」の名では出さなかったこと。会津産生乳が戻ってくるまで、ブランドを安易に復活させなかったこと。どれも、効率や損得だけを考えれば、まわり道に見える選択かもしれません。それでも、会津の牛乳屋として大切にしたい筋がある。会津中央乳業の仕事は、そのまっすぐな想いの上に成り立っています。
次回は、二瓶さんご自身の歩みや、「べこの乳」から広がった新たなチャレンジについて詳しくお聞きします。どうぞお楽しみに!








